おるたな美術館

旅先で出会った東洋美術、西洋美術

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ルーヴルその1

イメージ 1

なんでこれがオルタナティヴなのか? 超メジャーの美術館ルーヴルの、しかも2、3年前の某衛星放送のルーヴル特集では、所蔵作品中人気投票第一位、ネットのキーワード検索でも、この “サモトラケのニケ” はヒット件数3,000を越している。何せ “Nike=ナイキ” である。美術愛好家でなくても知っているのだ。

ところが、キ−ワ−ド検索の最初の100件の画像を見てみると、天窓を背景に写し込んでいるのは、わずか5件(イメージ検索だけだと373件中10件程度で3%を切る)。

というわけで、これはサモトラケのニケの “おるたな視点” なのである。

実は、私も美術全集の図版よろしく、斜め前から美しいアングルをと考えながら写真を何枚も撮った。でも全部つまらない結果に…。結局、最初に何気なくコンパクトカメラで撮ったこの2枚が、実際に見た時のニケの印象をいみじくも伝えていた。

これはどういうことなのか?

どうも私達は、あの頭と腕のない彫刻に,写真には写らない何かを見ているのではないか? つまり、鑑賞者が無意識に自らのイマジネーションで不完全な彫刻を補い、完成させているようなのである。

ギリシャ彫刻というのは、元々自己完結性が強い。どんなロケーションに於いても、環境に影響されることなく美しい。ところが、頭も腕も欠けてしまったとなると話は別。

従って、スナップ写真にしてしまうと、これはもう無惨に壊れた彫刻で、がっかりものである。ミロのヴィーナスのように頭がきれいに残っていればまだしも、ニケだと、アングルによっては石の塊にしか見えない。

写真の場合、被写体が不完全な断片ならば、美術書の図版のように大型カメラを使い、照明も凝って、彫刻の量感やディテールの魅力を引き出す方法以外は、背景で補うしかない。それで、あの天窓とアーチの曲線を写し込むことが、被写体に“何か”を付与することになったのだろう。

モナ・リザやヴィーナスは、作品を設置する場所を選ばない。それに対して、ニケはあの階段の踊り場で初めてその魅力を最大限発揮することが出来るようだ。


と、ここまでは、まるで “壊れた作品=不完全” であるというようなネガティヴな発想だったが、ここからは話が変わる。

2002年に発表した作品 ”Eva” <http://sugaft.com/2002sen.html>は、よくサモトラケのニケを連想するといわれた。いわれてみればその作品はドレスのような形をした彫刻であるから、頭部や腕がない。コスチュームは人が着てはじめてその機能を果たすわけだから、ドレスが展示してあると、そのドレスを着ている誰かを、見えもしないのにイメージして補完する。ようするに、この作品もまた作品として完結していないということだ。

日本では誰ケ袖図屏風のように、金地にあでやかな小袖だけを描いた絵がある。当時の人々はそれを見て、実際には描かれていない “歌舞の菩薩” たる理想の女“遊女”をイメージしたのだろう。

つまり、すべてを表現しない不完全な作品は、豊かなイマジネーションを喚起する装置なわけである。描き得ないような美を表現しようとしているといってもいいかもしれない。

私達が、アテネオリンピックのメダルに描かれた頭も腕も完全なニケを見て、なんか興ざめなのは、イメージが既に限定されているためだろう。

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