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ラージャラーニ寺院のシカラ(尖塔)壁面の陽の当る突出面には堂々とした方位神や、豊満な女神、穏やかな表情のミトゥナ(男女交歓像)が軒を連ねる中、入り組んだ壁面凹部の奥まった場所には、性器も露なミトゥナ、ナーイカー(情念を抱く女)が淫靡なエネルギーを発散している。
シカラは、インド文化圏にとって世界軸となるカイラス山の象徴。となると、シカラの壁面凸部は尾根、凹部は谷に当る。この寺院を訪れたのは雨期だったから、雨が降れば当然、谷には水が流れるわけで、凹部は陽も当たらないため、この場所にある像は常に湿っていて、ぬめるような肌。だから余計にヒワイで、見る者をぎょっとさせる。
カジュラーホのミトゥナがその大胆な性的ポーズとは裏腹に、寺院壁面の陽の当る目立つところにあって、あっけらかんとしているのとは対照的だ。両者の、こういったセクシャルな表現の扱い方の違いが出ていて面白い。
性的エネルギーは“シャクティ”とよばれ、タントリズムでは重要な概念。宇宙の構造を表している寺院に、こういった像を彫ることは、冷たい石に活力を与える。つまり、石造建造物の固く冷たい材質と、スタティックな構造そのものより、そこにみなぎるダイナミックなエネルギーを重要視している。
ナーイカーの像は、左の写真のように付き人の矮人が、“どこ見とんじゃ!”といいたくなるような視線を送っているのをよく見かける。しかし、この矮人のおかげで、数メートル離れたところから見上げている私達も、感情移入によって至近距離から局部を拝んでいるような気分にさせられ、それが“シャクティ”のフィードバック&パワーアップにつながっているわけだ!?
こういった彫像と建物を別個のものとしてとらえ、建築物としてデザインが優れているとか話しても、そこにみなぎるエネルギーを感じなければ、全く意味がない。そういう意味では、ムクテーシュヴァラやリンガラージャのようなオリッサの傑作建築に比べ、洗練されないラージャラーニのシカラは、むしろ、そのエネルギー感の表象として成功しているのではないか。
人の身体も、顔のように立派に見せようとする部分もあれば、陽にあたることの無い陰部もある。身体と宇宙を同一視する発想は、ラージャラーニのシカラでは、観念的なものというより、もっと生理的なリアリティーとして存在しているようだ。
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