おるたな美術館

旅先で出会った東洋美術、西洋美術

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雲岡その6

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第7窟拱門は保存状態が良くなく、上の画像の拱門頂部(“その5”右の画像上部の続き)もかなりの部分が剥落している。例えば、第10窟例明窓頂部(下の画像)のような、同じ図様の保存状態の良いのに比べると、中央の大きな蓮華が全く欠損してしまっていることが解る。

これは、第7窟拱門頂部が、近代絵画的価値観から見ると、“装飾”から“絵画”に移行し、絵画的魅力が増したととらえることも可能だ。

剥落して図様の残っていない面積が広いので、空間の広がりを感じさせ、完成当初の、空間を埋め尽くす息苦しさから解放された心地よさを感じるのは確かだし、円形を等間隔で取り巻く群像という単調なレイアウトが崩れ、変化のある構図にもなっている。

そして、何よりも漆喰や塗料がはげ落ちて、飛天のモデリングそのものの美しさが露となり、地面からの反射光という柔らかなライティングにより、その繊細な彫りもはっきりと見ることが出来るようになったのが大きい。

下の画像も、同じく塗料と漆喰の下に美しい彫技が隠れていることを考えると、ちょっと複雑な気分だ。

この寺院装飾に携わった多くの人々の行いよりも、風化に美を感じるのは、“する”(作為)より“なる”(スポンティニアス)ことに重きを置く日本的な美意識といえるかな。

いや、ひょっとすると下の画像に見られるような寺院内部の肉色と、ちょっと見ただけでは仏像や天のような人の形と判別できない襞状の形態に覆われた、体内構造的生々しさが充満する中、飛天の表情を読み取りやすい第7窟拱門の簡素な浮彫りに、当時のこの地の仏教思想や美意識を解さない人間が、親しみやすさと清涼剤の爽やかさを感じているだけなのかも。

退いてみれば、20世紀に“東洋美術”なるものを成り立たせていた美意識とは、こういうものだったのかもしれない。

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