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写真集『ウルトラバロック』(小野一郎)を見て以来、トナンツィントラという村の名前は私にとって特別なものになっていた。それは字面としてよりも響きとしてといった方がいいのかも知れない。サンタ・マリア教会堂の写真とともに、その音の響きが何かとても魅惑的なイメージとして像を結び、ずっと心に残っていた。
村というのでどんな辺境の地かと思ったら、案外簡単に行けたので拍子抜けした。現地では礼拝に訪れる現地の人びとが引きも切らず、生きた祈りの場はくつろいだ感じで厳粛なものではないにせよ、あまり写真をパチパチ撮りまくるのは気が退けた(という割にはたくさん撮ったな)。
『ウルトラバロック』ではマリア像を取り囲むように照らす青いネオン管と、その両脇に供えられた日本の葬式でおなじみの白い大輪の菊が衝撃的なのだが、今回訪問した時はネオン管は取り外され献花も白百合と取り混ぜられたもので、おだやかでネチュラルな印象だった(これはあくまで日本人の主観)。
デジカメは細部まで克明に描写してしまうので(勿論それが目的で使ったわけだが)画像を見るとかなりぎょっとさせられるかもしれない。でも、実際の現場はとても落ち着いた癒しの空間だ。過剰に見える装飾もけっしてうるさくなくて静謐で繊細なイメージが強い。男性的ダイナミズムではなく、むしろ女性的な造形感覚。
隙間の無い飽和状態で、これ以上増殖すれば崩落してしまいそうに見えるのも画像から受ける印象にすぎず、実際は重量感が希薄で浮遊するような上昇感があり、そんな不安は感じさせない。また、正統なバロックではもっと写実的な植物文様が、ここでは白い雲かホイップクリームのように見え、食文化豊かなプエブラ近郊だけあって、何だか美味しそうでお菓子の家に巨大なデコレーションケーキが鎮座しているようにも見えた。
こういう究極の増殖感覚は、スペインから移植された教会建築様式に地元の民族色が接ぎ木されたからとするのは表面的過ぎるだろう。むしろ建築装飾として規定の様式を保っていたものが、メキシコの地に移植されることによって本来の表現衝動が自己増殖するかのように暴走したんじゃないか。
いいかえれば、もともとスペインバロックという西洋とイスラムのハイブリッド様式の中に潜在しながらも抑制されていた成長因子の働きが、メキシコの地で限定解除となったように思える。
やはりウルトラバロック教会として有名な、プエブラのロサリオ礼拝堂が光溢れる天界イメージであるのに対し、こちらは天上界を表しているにもかかわらず、どうしても洞窟(地母神の子宮)イメージと2重映しに見えてしまう。地母神の属性(生殖=原罪)から切り離された聖処女であるはずのマリアがまるで地下洞窟の主のように見えるパラドクスは、キリスト教正統のマリア信仰の背後に隠された民間信仰の発露といえそうだ。
そして、そのことがカオスとコスモスがせめぎあうようなこのサンタ・マリア教会堂を “特別なもの” にしているのだろう。因に “トナンツィン” はスペイン征服以前のメキシコの女神で “われらの母” という意味なんだそうな。
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