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京博の暁斎展はとても面白い展覧会なのに、“絵画の冒険者” とか “近代へかける橋” とか他の絵師にも付けられそうなつまらんキャッチ・コピーなのは何故? 近代へかけるどころか近代にはサブカルチャー扱いで潜伏し続けたんだから “現代への海底トンネル” の方がいいんじゃないか?
それにしてもこれほど巧い人だったとは…。やっぱり印刷物ではわからん。狩野派、浮世絵,水墨など様々な旧来の日本の絵画様式だけでなく西洋画の人体表現まで自家薬籠中の物としている。また「山姥図」のように古典的風格を感じる様式の統合さえ可能なのに、同一画面に違った画風を同居させる様式の混在が多く、統合された新様式に熱心ではなかったのは、明治維新という、旧来新来の美術様式やその背景となる思想など(要するに〜イズム)が所詮フィクションに過ぎないことが見え過ぎる程見える時代の転換期にいたからかも知れない。その反骨精神からエスタブリッシュメントにはなりたくなかったのだろう。
暁斎が信じたのは己の画技のみで様式が孕む理想主義的な思想信条など最早信用していなかった。18世紀の若冲や簫白、応挙のように絵師個人の依って立つ美意識や理想を信じることのできた幸福な時代ではなかったのだろう。「五聖奏楽図」の鈴と扇子を持って磔になってるキリスト(やっぱりこのアブナイ笑いこそ真骨頂)なんか見てるとそう思うし、そこに暁斎が現代と共鳴する所以を見ることも出来そう。
京都国際マンガミュージアムのほうは “明治日本のギャグマスター” と気合いの入ったコピーに見合わず生憎の内容。暁斎の場合は京博で出品された肉筆画の方がここで見る版画より遥かに質が高いのがよくわかった。理由は当時の版元の彫りと刷りの技術とセンスが錦絵全盛期からは程遠い水準だったからだろう。無背景のものは暁斎のデッサン力が際立っていい感じなのに、背景のあるものはただでさえゴチャゴチャした構図に無秩序な色彩が混乱を助長している。
それはいいとして、この程度の質と量で千円はボッタクリだろう。質はともかくゲップが出るくらいの量を期待していたのに、これでは安易な便乗展覧会といわれても仕方が無いのでは。
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