おるたな美術館

旅先で出会った東洋美術、西洋美術

メキシコ編

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“その1” <http://blogs.yahoo.co.jp/sugafuto/37928627.html> のようにユニークなファサードで知られるこの教会。でも、私がいたく気に入ってしまったのは堂内のキリスト像とマリア像の2体だ。

展示方法は、殺風景なショーウィンドウに造花を添えるだけという垢抜けないブティックのシチュエーションながら、キリストの額と頬をつたう血やマリアの瞳からこぼれる涙の繊細な表現。入念に仕上げられた悲劇的な表情と手振りが商業ディスプレイとは一線を画した芸術性を示し、悲劇のヒーロー、ヒロインとして聖なるオーラを放つ。

カテドラルの死せるキリスト像 <http://blogs.yahoo.co.jp/sugafuto/37676996.html> でも見られた長い眉と切れ長で大きな目を持つキッチュな様式は、近年の作風なのだろうか。遠くから見てもその表情がよくわかるので演劇的訴求力がある。ここ堂内では間近に見るためクサいくらいオーバーアクトだとしても、宗教行事で山車に載せられて町を練り歩く時に効力を発揮するのだろう。イエスの傷ましさとマリアの悲痛な表情に、みんなの信仰心は俄然盛り上がるわけだ。

これがイタリアルネサンス・バロック正統の大理石彫刻だったりすると、いくら芸術として優れていてもこうはいかない。単に“白い石像”で終わってしまう。これは像なんかではなく、眼前に現れた“イエスさま”であり“マリアさま”なんだろう。

磔の息子を見上げるマリアの左胸には、彼女の悲しみを象徴する剣に貫かれた心臓“汚れなき御心”の大型金属プレート(サントドミンゴ“その2” <http://blogs.yahoo.co.jp/sugafuto/37581826.html> の下画像にもある)が輝く。それにしても、マリアの肌の色がキリストに比べて血色が悪く、しかも指がややゴツいのは年齢の表現なのか、それとも単に作者が違うだけか(たぶん後者)。いずれにせよ、男性信者ならこのマリアを見て心揺さぶられるだろうし、女性信者ならこの少女マンガのように華奢なキリストを見て母性本能をくすぐられ、マリアの気持ちと一体化してしまうのかも知れない。

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サンフランシスコ教会は、カテドラルを中心としたプエブラ市歴史地区の東端にある。私が行った時はファサードの前で、教会に併設された学校の生徒達が10メートルを有に超える細長いマットを敷いてマット運動をやっていた(服装は日本と変わらず紺と白のトレーニングウェア)。

祭壇衝立風のファサード両脇にはレンガの壁にイスラム風タイル装飾が施され、そのタイルで十字架まで象られている。混交様式というより、レンガを媒介として、スペインバロックとイスラム様式が併存したままプエブラに持ち込まれている感じで、これがけっこうおしゃれにまとまっていて違和感が無い。

ファサード中央には、聖フランチェスコが山中で祈っていると、六枚羽根のセラフィム(熾天使)の姿をとったイエスが現れ、聖痕を授けるという、有名な奇跡譚のレリーフが目を惹く(左下画像)。

このテーマで代表的なジョットの絵画などでは、イエスは十字架のポーズをとっているだけだが、ここでは十字架にはりつけられた姿のまま六枚の羽根をまとっている-。また植物や鳥が南国風で、雲の表現が唐草文みたいなのが面白い。

プエブラ/カテドラル

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 プエブラの中心にあるカテドラルはさすがに正統スペインバロックの建造物で、内部装飾も幾何学的で控えめなもの。近郊の教会に見られるような装飾過剰でデフォルメされた要素は見当たらない。

聖堂の周囲を巡る柵には天使達の像がならんでいてメルヘンチックだ。灰色の塔も夜はライトアップで美しく輝き、町のシンボルにふさわしい偉容を誇る。

しかしこの聖堂にも過剰なオーラを放つアートがしっかり存在していた。端正な内装の堂内に置かれた瀟洒な棺型のケースに、これでもかのむごたらしさ。焼けたようにただれて黒く盛り上がった傷口と、体を覆うおびただしい流血の後。遺骸を棺に安置しているのだから傷口を洗浄していても良さそうなものだが、信仰心をあおる為にはイエスの犠牲の重さをアピールするこの見せ方が効果的なのだろうか。

顔の方も、メキシコの教会でよく見かけるマネキンのような端正なイケメンではなく、悲劇的な表情にデフォルメされて、白目の向き具合なんか笑えるくらい強烈だ。

高揚した信者の宗教感情に対して、荘重な堂内の雰囲気だけでは応えきれない何かを一身に引き受けるような特異点。まあ、それはいいとして、なんで髪が茶髪で、しかも縦ロールなわけ?

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サントドミンゴ教会入口から天上界のようなロサリオ礼拝堂にたどり着くには、まず、これらキリストの死体に向かわなければいけないのは、約束された天国にいたる道程への関門として死があるからかもしれない。

アステカをはじめメソアメリカが抽象的な表現で、カトリック美術が写実的な表現と対照的ではあっても、どちらも偶像表現が生贄と関係していることは共通している。かつて、世界を維持するためにおびただしい生贄を必要としていたのが、キリスト教ではイエスがその役を一身に引き受けてくれることになったのだろうか?

植民地時代のお仕着せとはいえ、独立後もこうしてカトリック教会に熱心に人々が詰め掛けるのは、贖罪という意識よりも、民族的な情念や存在の不安、死生観の文脈にキリスト教の教義や美術が読み込まていったからかのように思える。

このむごたらしい死体と向き合えば、儀礼に於いて実際の殺戮を目の当たりにしなくても、平穏な日常を約束された気分になれるのだろうか? いずれにしても教会が、地元の人々の心のよりどころとして機能しているのは、宗教が単に困った時の神頼みや、縁起担ぎではなく、義務や慣習でもなく、かといってファナティックなものでもなく、人々の人生に溶け込んでいる様で理解出来る。

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ウルトラバロックの教会で最も有名なプエブラのロサリオ礼拝堂(上画像)は1611年竣工のサント・ドミンゴ教会の聖堂に増設する形で1690年頃に完成を見たらしい。

八角形のクーポラがケーキみたいで、プエブラ料理のチョコレートソースや生クリームを思わせる甘いテイストの外観にふさわしく、堂内もまた聖母子や聖人、天使たちのかわいい造形と金や白を基調としたクリーミーな色彩による過剰装飾で知られるが、あいにく修復中(誰も修復作業してなかったけど)。堂内に直接入ることは出来ず、礼拝堂と連結したサント・ドミンゴの聖堂内から眺めるだけだったのが残念。

それでも礼拝堂に向かってシャッターを切った時に、広場の鳩が礼拝堂天井の中心に表された聖霊としての鳩と同じポーズをとってくれたのは嬉しい驚きではあった。

その本堂であるサント・ドミンゴはロサリオ礼拝堂のような土着化した様式ではなく、まだ厳格なスペインバロック様式が残り、堂内に入るといきなりリアルな十字架上のキリスト像が迎えてくれる(下画像)。クリーミーな天上界イメージのロサリオ礼拝堂とはえらい違いだ。

身廊奥には黄金の大型祭壇衝立があり、さらにその両脇にも同じ規模の祭壇衝立がある。ロサリオ礼拝堂内は、この厳格な堂内を奥まで進み左に曲がったところから柵越しに眺めるのみだった。

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