おるたな美術館

旅先で出会った東洋美術、西洋美術

メキシコ編

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古代遺跡にせよ近代の壁画やバロック教会にせよ、私達がメキシコの美術にSF的な超現実性を感じるのはそれが西洋美術、東洋美術、日本美術といった既知の美術概念からはみ出しているからなんだろう。一応美術全集なんかだと西洋美術の範疇に入れられたりするが、いかんせん収まりが悪い。

要するにSF的なものとは単純に宇宙的、未来的なものであるのに加え、見慣れた既成の文化から逸脱する異文化的なものだというのがわかる。しかもそれが既成文化のミクスチュアの上に成り立っているように見えるから、未知の世界への驚きが共感の上に成り立っている。

また、幾何学的でメカニカルな要素もSF的感覚を喚起する。だから同じ超過密な装飾のウルトラバロック教会でも、有機的形態がまさるトナンツィントラのサンタ・マリア教会より正統派バロックの幾何学的な枠組みがよく見えるこのオコトラン聖堂の方が、見知らぬ高度な文明世界的ワクワク感があったりする。

だが、なんといっても決め手は天井の円形窓とマリア像を収めた中央のカプセルのようなガラスケースだろう。UFOの円形ハッチが開き、そこから円柱状に光が放射されて宇宙人が昇降するとういう古典的SFイメージを連想させる。

恐らく円形窓の設計者は雲間から地上に差す陽の光をイメージしたのだろう。それが雲の上の天国の存在を暗示させる。天使や聖人の彫刻と過密装飾も上昇性を持ちつつ天井の窓に吸い込まれるように収斂して行くので、やはりこの円形窓のファンタジックな効果は絶大だ。

SFでも宗教美術でも現実世界を相対化してしまえる “もう一つの世界” を確信させるような反重力のスペクタクルを必要としている。なぜならそれが人びとの魂を解放へと導くからだろう。

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トラスカラは日本のガイドブックにあまり載っていない町だが、本で紹介された写真を見てからというもの一目は見たいと思っていたオコトラン聖堂がある。それは、秘境で発見されるような摩訶不思議な新種の植物を思わせた。

カテドラルのあるソカロ(中央広場)から丘を登ってゆくと急に視野が開け、そこに現れた壮麗な光景には息をのんだ。写真で見てもユニークな建物だと思っていたが、広場を囲む塀までこんなに装飾的とは……。丘の上というより、いきなり天国に登り詰めたような重力を感じさせない空気感がそこにはあった。

地方色の強い教会建築の中で別格の洗練度は、まさにヌエストラ・セニョーラ(ノートル・ダム=我らが貴婦人)の名にふさわしい。

貝扇状のアーチを持つファサードは、離れて見ると重厚なバロック様式の装飾がまるで白いフリルに取って代わられたようだ。ゴシック様式じゃないのでゴスロリならぬバロロリ?!

その日はファサードの前で足場が組まれ、ホイップクリームみたいに真っ白に塗り直している最中だったので、縦長に引き延ばされたような2段の鐘塔などウェディングケーキそのものに思えた。レンガの部分はミルクチョコレートみたいだし、やはり味覚に訴えるなぁ。

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メキシコ壁画運動の三大巨匠(リベラ、オロスコ、シケイロス)の作品としてベジャス・アルテスのものがよく知られているのは、壁面が延々と続くパノラマ的展開でないので単一の画像として紹介しやすいのと、焦点がはっきりした構図なので縮小されてもそれなりにインパクトがあるのが原因だろう。

このディエゴ・リベラの「人間,宇宙の操縦者」(1934年)もまるで羽根のように配置されたレンズに囲まれた中央人物が求心的な画面効果を生み出し、リベラのパノラマ構図による他の大規模壁画と違ってメキシコの歴史を知らない私達にも充分おもしろい。

もう一つは左にブルジョアジー,右にプロレタリアートと、内容に於いても対立構図になっているところが作品の密度をより高めているといえそう。それにしても人間だろうが機械、動植物だろうが、よくこれだけ描けるものだ。

映画「フリーダ」でリベラがニューヨークのロックフェラー・センターの壁画にレーニンを描いた為に解雇されるというエピソードがあるが、その完成しなかった壁画の構想がこの作品に持ち込まれているらしい。右側のレンズに挟まれてレーニンが、さらに当時リベラ夫妻がかくまっていたスターリンの政敵トロツキーも右下画像右下に描かれている。

レンズは望遠鏡と顕微鏡でそれぞれに宇宙(マクロコスモス)と微生物(ミクロコスモス)を映し出し、中央の手が握る球には遺伝子工学が、その下には農業というよりはやはりバイオテクノロジー的イメージが描かれる。SF映画が陳腐なファンタジーだった時代にこれだけの近未来的イメージを残したのさすがだ。壁画がになう啓蒙的役割の大きさがうかがえる。

ところで “その1” のオロスコの「カタルシス」はこの作品の吹抜けを挟んで真向かいにある。リベラのマルクス・レーニン主義と科学技術に裏打ちされた近未来文明という楽天的イメージとは対極のこの地獄絵図は同じ年に描かれている。仏画でいえば浄土変相図と六道絵ぐらい違うが、ここではテーマ以上に作風というか造形理念とその背景となる思想が全く対立している。

また、翌年には国外追放による3年間の近隣諸国歴訪後に帰国したシケイロスがこのベジャス・アルテスでリベラを激しく批判する講演をおこなっている。詳しいことはよく知らないが、いずれにしてもこの2階に漲る緊張感というのは作品に於いてだけではなかった。激しい対立が生み出すダイナミズムがこの国立宮殿には集約されており(公共の建物では普通こんなことあり得ない)、それはメキシコ文化の豊穣さをも示しているようだ。

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“その1”とおなじくベジャス・アルテス2Fの回廊にあるシケイロスによる第二次大戦終結の年の作「ヌエバ・デモクラシア」(新しい民主主義、)。狭い廊下にあり、離れた距離から壁画全体を見ることは不可能。吹抜けを挟んで反対側の廊下から眺めてもアール・デコとアステカのミクスチュア様式の装飾をした柱に隠れて全体を見ることが出来ないし、これもまた最初から客観的な鑑賞など意図していないのだろう。鑑賞者は火山口から飛び出して覆いかぶさるような巨大な女性像を、のけぞりながら眺めることになる。

それにしても何でヘッドギアしてるのかと思ったら、これってフリギア帽らしい。ようするにドラクロワの「民衆を導く自由の女神」の女神が冠ってる解放奴隷の象徴で、従ってこれも自由の女神ということになる。なるほど衣服をはだけて上半身を露にしているドラクロワの自由の女神のその衣服を火山に置換えると……振りかざした握り拳といい、似てくるな。ドラクロワと大きく違うのは大地という地母神的属性の有無だろう。

ファシズムの台頭でボールチェーンの手枷を付けられ抑圧されていた自由の象徴が、ファシズム(右下で倒れるドイツ兵らしき像)を打ち倒して新しい民主主義として大地から生まれ出るという超劇画的わかりやすさ。その表情は産みの苦しみを表しているようにも見える。それに、この極端な短縮法で飛び出してくる表現は、ウルトラマンの変身シーンみたいでもあるし。

画材はフレスコではなくピロキシリンというシケイロスが独自に開発したものらしい。確かにフレスコのマットで淡白なテクスチュアはこの画風にはふさわしくない。テカテカの脂ぎった艶がぴったりくる。

こういうのって、日本人の感覚からは遠いように見えてその実、画面からはみ出る大胆な構図に障屏画と共通するものを感じる。短縮法はともかく、これが女神でなく龍や大樹、奇岩や道釈人物であればさほど違和感無いのでは。

また、これだけオッパイが目の前にドカーン!という構図も珍しい。乳房が公の場に出ることを不快に思う北隣の某合衆国ではあり得ない。しかもここはメキシコで最も格式の高い劇場の廊下、ホールではクラシックコンサートやオペラ、メキシコ民族舞踏が上演されるが “その1”と同様画面からはヘヴィなロックが轟音で鳴り響いてくるようだ。

セクシーでワイルドなダイナミズムと大衆性、ロックミュージック誕生以前のロック的表現はメキシコにあった。

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メキシコへは古代文明とバロック教会が目当てだったが、近代の壁画の方も気になっていたので、比較的小規模ではあっても三大巨匠の代表作が並ぶベジャス・アルテス(芸術)宮殿を覗いてみた。

メキシコのモダンアートでルフィーノ・タマヨやフリーダ・カーロのようなタブローなら日本でもみることが出来るのに対し、壁画となると公共施設に描かれメキシコ人民が気軽に目にすることが出来るとはいっても、海外の人間は現地に赴かないと実物を拝むことが出来ない。かといって美術本の図版で見たところで実物との大きさの違いはタブローの比では無く、あまりにもイメージが違い過ぎる。

このオロスコの作品「カタルシス」も画面全体を歪み無く見渡すことの出来る小さな印刷物では、その奇妙な画面構成に説得力が感じられなかったのが、実際に見てみると、2体の娼婦が巨大な汚物のようにど迫力で足下に迫って来る。

人物をおおむね実寸大で描くルネサンスのフレスコやディエゴ・リベラの作品に比べ遥かに大きく描かれており、画面全体は柱に遮られて見渡すことなど出来ない。鑑賞者はその柱よりも壁面に近づいて見るしか無く、結果として近距離から暴力的なまでに歪んだ画面を目の当たりにすることになる。

娼婦達が横たわる床面そのものは描かずに、堕落した存在の象徴として壁面の底辺に接する形で描かれているのも壁画ならではの構図として説得力を持つ。

識字率が低いが故の、絵解きによるメッセージという目的の為とはいえその劇画チックな表現と、金と権力と暴力にまみれた機械文明が業火によって浄化(カタルシス)されるという実にわかりやすいテーマは、抽象的で難解なイメージのヨーロッパのモダンアートとは別の美が20世紀にあったことを再認識させられた。

大衆への訴求力という意味に於いては同じ1930年代の欧米のアートより21世紀的だと実感させられる。スポーツで言うとオリンピック競技とプロレスくらい違うな。

また、本来当たり障りの無い作品が飾られるような高尚な公共の施設に、これだけ過激な絵があること自体痛快でもある。タブローならともかく、こんなワイルドでダーティーなフレスコ画ってちょっと見たことが無い。

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