おるたな美術館

旅先で出会った東洋美術、西洋美術

フランス編

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ギメ東洋美術館その5

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AVや成人映画でもない限り、ラブシーンというのは、全身又は下半身のショットというのは少なくて、だいたい抱き合う男優と女優の上半身のアップになるのが普通。

ところが、チベット密教の父母仏を見る場合、多面多臂の異形に目を奪われ、このように両者の表情を覗き込む事ってあまりないような気がする。正面から拝むのが普通で、当然明妃は後ろ向き。その明妃の後頭部に隠れて、主尊の口元も見えない場合が多いからなおさらだ。

にもかかわらず、このようなアングルで撮影しようと思ったのは、たぶん左画像のチャクラサンヴァラの妃、ヴァジュラヴァラーヒーのまとわりつくようなウェットな瞳に違和感を覚えたからだったと思う。

チベットの金銅仏って多面多臂の超越的身体で、やや抽象化された造形だから、これほどウェットな表情というのは意外だった。これだといかにも“濡れ場”って感じだ。

性交していながら、異形だったり憤怒の形相だったりというのは、人に畏怖感を与え、こうした像にとっての“性交”を俗人のものと聖別する役割を果たしているといえる。早い話が煩悩を断つわけだ。それがこれほど人間的な表情だから意外なわけである。

そういう見方が自分の脳内で成り立ってしまうと、右画像のハヤグリーヴァ(日本では六観音のひとつ、馬頭観音として知られる)のような憤怒形の父母仏すら、人間的な“濡れ場”に見えてしまうから不思議だ。怒っている表情とはいえ、アノときにへらへら笑っている人もいないだろうから、これって案外リアルだったりする。

実は、チベットの仏師は、多面多臂像のごちゃごちゃした装飾に気を配る以上に、抱き合いながらお互いを見つめ合う父母仏の表情にも、単純な即物的合体に終始しない、入念な造形を施していたというわけか。

ルーヴルその6

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ルーヴルが世界に誇るエジプトコレクションの中でも、最高作のひとつとされるのがこの書記坐像。でも、だからといってこの像の前に、大勢の観光客が群れをなしているわけではない。

理由は簡単、この像が女性像では無く、しかも二段腹の世俗の中年像だからだろう。つまり、美しいとかカッコいいとかいった人物像ではない。それでは、歴史に名を残す立派な人物なのかというと、まだ誰の肖像なのか定説をみていないようだ。とはいえ、当時の書記はエリート中のエリートなので、本人がステイタスとして肖像を造らせるのが習慣だったらしい。ということは、他にもたくさん造られたということで、特別な意味やエピソードを持った彫像というものでもなさそうだ。

素材も加工がしやすくて比較的安価だったであろう石灰岩。高価な材料をふんだんにつかっているとか、特別手の込んだ細工が施されているとかいった類いの物でもない。あぐらをかいてパピルスと葦製ペンを持つお決まりのポーズは、独創性があるというものでもない。

なるほどこれでは像の前を素通りする来館者がいても仕方が無いのかもしれない。この像には美術品としての“売り”がない。

ところがいざ実物の前に立ってみると、優れた芸術作品の持つオーラを強く感じてしまった。この像の素晴しいところは、人の体温を感じさせることにありそうだ。オッサンの体臭や肌の温もりを感じたところで嬉しくはないが、4千5百年も前の彫刻に、そんなことを感じるのは驚異的だろう。

しかもそれはこの像の顔によってというより、むしろこのたるんだ胴体によって成されている。

優れた人格描写とか、精神性の高さといった。伝説化された人物や、王朝の高官としての立派さではなく、ただ、そこにパーソナルな佇まいを感じる。それだけのことというのは、大義名分を必要とする人類の美術の歴史を振り返ると、奇跡的なことのように思えた。

恐らくこのような解釈は、制作者や発注者の意図するところでは無かっただろう。4千5百年後の現代人に、当時の“素の人間”の有り様が、たまたま伝わってしまった。この“万に一つの偶然”が起るには、とてつもなく多様で重層的な文化の豊かさがその背景に横たわっていなければならないのだろう。

ルーヴルその5

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高く結い上げた髪のようなものや太腿からコブラが鎌首を持ち上げ、頭の側面からはライオンその他数種の動物の頭が生えている。四臂で、屹立した男根、いかつい顔とくればシヴァの忿怒相バイラヴァ?……でも第3の目が無いな。

さらには、身体中が羽毛(?)で覆われ、飛行機みたいな翼と尾羽まで備えている。キャプションには“ベス神 …プサムテク一世… B.C.664-610”とある。……そういえば、ここは古代エジプトの展示室だった。

古代文明の中でも、とりわけエジプトの美術品は、スタイリッシュでオシャレな印象が強い。動物の頭や身体を持つ神像にしても、クールかつモダンに造形処理された印象があったから、このいかがわしいブロンズ像には面食らった(というかとても惹かれた)。

古代エジプトでは異種イメージの合成を、モチーフを抽象化したプロダクトデザインのような処理をすることによって、外科手術的なグロテスクさや不自然なイメージに陥るのを回避しているのが通常なのに、このベス像ときたら、動物の頭の付け方などまったくぶっきらぼうだ。中央の顔面の大きさも、身体部の自然なプロポーションに比べ、均整を欠いている。

この密教美術顔負けの複合神、エジプトでは魔除けの神としてかなりポピュラーだったらしい。その割にはイメージの洗練度が低いのは、美術本などで私達がよく知るエジプトの神々のように公的な信仰というより、むしろ民間信仰の対象で、図像的特徴が一定しなかったことにもよるようだ。

ベス神は、後ろ足立ちの擬人化されたライオンがベースになっているとか。時代が下ると、インド美術に於けるヤクシャのようなユーモラスな異形の小人イメージが護符などの造形となる。ところがこの像,侏儒系の造形でなく、左足を前に出して直立する古代エジプト人体彫刻の正統な基本型に、様々な構成要素を後付けした造形と考えられる。

蛇から人を守ってくれることから、このようにコブラを表していることもあるらしい。出産の守り神でもあるので、勃起したペニスはそのことと関係(ミンのような豊穣神のイメージ)するのかもしれない。人々の現世利益の要求に応えていくと、どんどん複合的なイメージになるのだろう。

時代が下る程複合度が増してゆく(ヴァージョンアップする)点も、仏教・ヒンドゥー教タントリズム美術の展開と符号する。人々の現世利益に対する欲望を形に表すと、それが素直な表現であればある程グロテスクな造形になる。そして、そこに“聖なるもの”を感じ取る精神文化もある。

古代エジプトの美術というのは、それを洗練というオブラートに包んだ印象が強かっただけに、この像は、ルーヴルの古代エジプト展示室で異端として孤軍奮闘しているようにも見えた。

ギメ東洋美術館その4

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女性の胸像と円弧を描くオブジェの組み合わせ。ルーヴルのミロのヴィーナスやサモトラケのニケに代表されるような、破損した状態で発掘されたかつての女神像が、美術館に展示されることによって、あらたな美的価値観を付与されるという異化作用のマジック。そのギメ版がこのインド中世のシャーラバンジカー(10〜11世紀)だろう。

仏像の造られる以前から盛んに造像されてきたこの樹下美人のテーマ。ただでさえ装飾化されている樹木が、破損によって完全に抽象化している。

インド女神像にしては珍しく伏目がちで楚々としているので、なんか、インド女性がフレンチホルンを担いで、日舞を舞っているようにも見えるな(なんじゃそりゃ?!)。

まあ、この元樹木のオブジェのおかげで、見る角度によって全く像の表情が変わるという彫刻的面白さが増したわけだ。特に注目すべきは、右の画像。元々丸彫りではなく高浮彫りだから、こっちは裏面になってしまうので、本来は見ることのできなかったはずのアングルだ。破損によって創り出された新たな造形美である。

丸くなってうずくまるようなこの形、胎児や発芽の様子を連想するし、図像的解釈が最早不可能であるにも拘らず、生命を産み育てるというこの女神の属性を、その造形はいみじくも伝えている

ギメ東洋美術館その3

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ガンダーラの影響下にはじまるアフガニスタン仏教美術の最後期(7〜8世紀)のものといわれるのが、このフォンドキスタンの仏教美術。これ以降の中央アジアはイスラム化するので、人体造形としても最終形態のひとつなのかもしれない。

フォンドキスタンの仏教遺跡はフランス隊によって発見され、文化協定の為、発掘物を多数所蔵するのはアフガン以外ではフランスのギメのみらしい(個人蔵を除けばだろうが)。そんなわけで、自慢の逸品なのだろう。

ギリシャ・ローマの写実的で均整のとれた造形理念によって、素材を従属させるガンダーラの石像や、ハッダのストゥッコ(漆喰)像のイメージとは裏腹の、素材(塑土)の特性を生かした無理の無い造形感覚。頭部の下半分に顔の造作が集中していたり(要するにおデコが広い)、胸が高い位置にあったり、なで肩で手足や胴が長く伸びていたりと独特の比例を持つ。写実的な人体のプロポーションは影を潜め、軽やかで優美なマニエリスムが実にオシャレだ。

一見素朴でありながら、高度にソフィスティケイトされた造形は、ローカル性と、国際性の両立という当時のシルクロードならではの高い美意識を感じる。

画像中央の仏陀などはイラン風と言われる飾りの付いたマント姿で、うっかり見てると仏像というよりファンタジーもののキャラクターを想起させる。グプタ・インド美術の影響を受ける菩薩(左画像)と仏陀(右画像)らしき像も、ゆったりと崩したポーズが仏像らしくなく、手首の破損もあって印相もはっきりしないし、宗教色の薄いモダンな雰囲気を感じさせる。

こういう地域性を保ちながらも、国際水準をクリアした地方文化の在り方は美しいなどと、当時のフォンドキスタン周辺の文化状況を知りもしないくせに勝手に夢想してしまった。

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