おるたな美術館

旅先で出会った東洋美術、西洋美術

インド編

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全10ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]

[ 次のページ ]

イメージ 1

アディナータ寺院のシカラの北西面にあるミノタウロスのような像は南西面にも見ることができる。これって、シヴァ神の乗物ナンディン(聖牛)を神格化したものだろうか?頭部が馬や象や水牛なのとは違い、牛っていうのは他ではあまり知らない。

足下に聖牛と女性像があり、太鼓腹が息子のガネーシャを思わせるので、やはりシヴァとゆかりの深い像のようであっても、持物は斧と法螺貝らしきものと水瓶、残りの手は与願印と、シヴァの属性を感じさせる要素は少ない。水瓶はシヴァも持っていたりするが、斧と法螺貝はビシュヌ系の持物だろう。

第一ここはジャイナ教の寺院でもあるし、後期密教の時代、様々な宗派の習合がこうした像を形作らせたのだろうか?

開く トラックバック(1)

アディナータ寺院のシカラの北西面にあるミノタウロスのような像は南西面にも見ることができる。これって、シヴァ神の乗物ナンディン(聖牛)を神格化したものだろうか?頭部が馬や象や水牛なのとは違い、牛っていうのは他ではあまり知らない。

足下に聖牛と女性像があり、太鼓腹が息子のガネーシャを思わせるので、やはりシヴァとゆかりの深い像のようであっても、持物は斧と法螺貝らしきものと水瓶、残りの手は与願印と、シヴァの属性を感じさせる要素は少ない。水瓶はシヴァも持っていたりするが、斧と法螺貝はビシュヌ系の持物だろう。

第一ここはジャイナ教の寺院でもあるし、後期密教の時代、様々な宗派の習合がこうした像を形作らせたのだろうか?

ラクシュマナその5

イメージ 1

左3点は、ラクシュマナ寺院基壇南側フリーズの一部。カジュラーホのエロティック彫刻で最も有名なものの一つだ。有名な理由は、これらがいったい何をやっているかが、子供じゃなければすぐにわかるものでありながら、エクステリアの装飾に使うには珍しいモチーフだからだろう。

太古の昔から異文化を越えて、普遍的な人類の行いであり、かつ現代では覆い隠すべきとされているもの。だからいつも問題にされるのは、“何が描かれているか” ではなく、“何でこんなものが目立つところに描かれているのか” である。


モチーフの大きさの比がまちまちなのは、高さの限られた空間で、余白を開けずに展開する装飾帯ならではの画面構成ゆえだろう。左下の画像は、軍隊で兵士が女の代わりに馬で…という場面らしいが、馬より人間の足が長かったりする。なるほどこれなら台に乗らなくても高さが合う。まるで、慰安用の小馬がいたかのようだ。

それにしても、馬の右側の人物のやろうとしていることはわかるが、左側の人物は馬相手に一体どうするつもりなのやら。


ラクシュマナの基壇の周囲にはこのようにフリーズ彫刻がよく残っており、こうした南側の性的オルギーの場面だけでなく,右画像の北側にある戦争の場面など、現世の人間の様々な行いが描かれている。

右画像のようなアングルで寺院を見上げれば、基壇に描かれた地上界のちっぽけな人間の行いと、それを見下ろす神々の棲む山(メール山)という世界観を実感出来る。ということは、画像中央のバルコニーから外を眺めると、神の視点に立って世界を見渡すということになるわけだ。

イメージ 1

左画像の、凡庸な出来の神々の像に挟まれて、テンションの高い造形が際立つ女性像。体を反らせて後手を組むポーズはカジュラーホでは多く、この像は腕を欠損しながらも、寺院壁面に残るものとしては最高の1点だろう。

こうした女性像は、図像的制約の多い神像に比べ、いかに彫工の創造性や野心を注ぎ込む対象となっていたかを如実に示すサンプルと言える。この画像の陰影のつき方一つを見ても、両隣の神像ののっぺりとしたメリハリの無い陰影と、はっきりと好対照を成している。“体の鍛え方が違います”という風にも見える。

臀部と腰の無理なひねりや乳房と両肩の関係、首のつながり等、解剖学的に見て不自然に思えるが、これはむしろ、正確な人体の再現程度に留まっているようなレベルの彫刻ではないことを示している。その点は“インド博物館その1” < http://blogs.yahoo.co.jp/sugafuto/21215807.html>と同じだ。

つまりこの像は、膝から下(この部分だけはかなり類型的だが)、太腿と尻、胴と乳房、肩と頭といった各部の最も美しいポーズとアングルを合成したアッサンブラージュと見ることが出来る。こうすることによって、見るアングルが限られている浮彫り的な壁面彫刻でありながら、360度どの角度からも眺めることの出来る、丸彫り彫刻の情報量とダイナミズムに迫ろうとしている。

新古典主義の画家、アングルの「グランドオダリスク」が、オダリスクの背中を異様に長くし(絵画に無い奥行きのディメンションを、背中の長さに転化している)、本来見えるはずの無い乳房や左膝を見える位置にずらす等、デフォルマシオンや複数視点の導入によって、平面の限界を超える情報量(ゆったりした安定感のある曲線美)を見せるのと同じ手法で,張りつめた肉体美を演出しているといえないだろうか。

キュビスム的手法は、何も近代西洋美術の発明ではない。こうした解体再構成は、人類が先史から同じ構造と容量の脳を持っている以上、結果として立ち現れることがある。

勿論彫工が、ここまでして表現しようとしているのは“シャクティ”という神的エネルギーであり、ヒンドゥーパンテオンの周辺的存在に、タントリズムの重要概念が色濃く反映している。追求すべき理想があってこその高度な造形美だ。


また、ラクシュマナ寺院は五堂形式と呼ばれ、基壇中央の本堂の他に4角に小さなお堂が現在も残っている。その南東角の小堂の南側で見つけたのが右画像の彫刻。こっちは正確な人体の再現レベル以下といわれても仕方の無いものかも知れない(右腕は脱臼しているように見える)。

しかし,こうした目立たない場所の稚拙な作品には、作者個人のパーソナルな思い入れを見ることが出来て、とても好きだ。技量不足であっても千年前の人の息使いというか、作者が表現したかったものがちゃんと伝わってくるようで感動的だ。


このようにオフィシャルな神像からパーソナルな女性像、高度な造形から稚拙だけど味わい深いものまで、多様なレベルの作品や人々の思いに出会えるのがカジュラーホ大型寺院の醍醐味であり。それが、この寺院を一つの小宇宙足らしめる要因となっている。

イメージ 1

有名なエロティック彫刻が多いラクシュマナ寺院では “オルギー(狂躁)とエクスターゼ(陶酔)” イメージだけが強調されてしまい、こういう画像が紹介されることは少ない。しかし、この前殿南面の外壁はラクシュマナのエクステリアの魅力が抽象美にもあることを雄弁に物語っていないだろうか。

整然と区画分けされたグリッドに精緻な彫刻。S字を描く唐草文は極端に抽象化され、随分モダンなデザインになっている。ダクトのような太いパイプ状の帯なんかインダストリアルな感覚だし、ちょっとSF映画のセットを思わせるような近未来的感覚におそわれる。

この一角の画像だけを見ても、人体や動物、植物文といった多様なモチーフと、かなり写実的なものから、より装飾化、抽象化された幾何学的形態に及ぶ変化に富んだ様式とが、まるで標本のように並んでいる。

この寺院が彼らの文化の集約であり、歴史的、地理的に多様なデータの蓄積であること示しているようにも思える。

全10ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10]

[ 次のページ ]


.
sug**uto
sug**uto
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!
話題の新商品が今だけもらえる!
ジュレームアミノ シュープリーム
プレゼントキャンペーン
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事