おるたな美術館

旅先で出会った東洋美術、西洋美術

インド編

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インド博物館その6

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“仏頂面(ぶっちょうずら)”というのは仏頂系の仏の顔から来ているらしい。この画像を見て仏頂面だとは誰も思わないだろうが、この仏も仏頂系で、女王の品格を感じさせる三面八臂の女尊ウシュニーシャ・ヴィジャヤー(仏頂尊勝、11世紀、ビハール州出土)。

密教のシンボルである金剛杵が十字に組み合わさった羯磨を胸に掲げる右手が一本失われているので、尚更、その写実的で洗練された女性像は、これが仏教美術である事はおろか、東洋美術である事すら忘れてしまいそうだ。

仏頂尊勝は、仏頂(仏陀の頭頂部の盛り上がりの肉髻のこと。ヨーガでは最上位の第七チャクラにあたる。)のもつ最高の悟りの神秘的な力を説いた『仏頂尊勝陀羅尼』のことで、この読誦による長寿と滅罪を祈願する陀羅尼法が、かつて中国、日本でも大流行したらしい。

そして、その本尊とされたのは単独像ではなく、大日如来を中尊とする曼荼羅。こっちは、ダーラニー(陀羅尼)が女性名詞であることから女尊として仏格化されたもので、後期密教を今に伝えるチベットでは仏頂尊勝は、阿弥陀仏,白ターラーと共に長寿三尊として現在でも人気だそうだ。

“その2、3”で見て来たように、初期の仏教美術では門衛に過ぎなかった女神が、数百年の年月を経て仏教パンテオン最上位の如来と同格にまで出世したわけだ。だから最早、ヤクシーのように裸身をさらけ出したりして、あからさまに媚を売ったりなどしない。その上半身の官能的なモデリングには、肉身部の露出度を抑えつつも、高貴なるシャクティ(仏教の概念じゃないけど)の妖艶ぶりを表現しようとした、彫工の腐心の跡が伺える。

両脇の奇怪な顔は、ヤクシーの足下の侏儒と同じく、それが異形であるが故に女神の美しさを引き立てるのに寄与し、また、畏怖すべき存在であることをも示しているようだ。

それにしても、どうも私は、仏頂を形象化したゴージャスな髪髻冠を頂くその端正な美貌が、えらく気に入っていたようで、そればかり撮って全体像を撮影したものが残っていない。特徴的な左端の化仏など半分切れてしまっていて、なんともあきれたものだ。

インド博物館その5

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シンメトリー(左右対称)の構図、暗いモノクロームの色調、複雑なディテール、ぬめっとした光沢感等、パーラ朝とそれに続くセーナ朝の後期密教美術とH.R.ギーガーの絵画はよく似ている。

チベットの仏教美術を見てもわかる通り、血、骨、生首、髑髏、裸体、性器、性交といったモチーフは後期密教の得意分野だが、そういったモチーフは、パーラ・セーナ朝のものでは少ない(残っていないだけかもしれないが…)ようだ。

ましてや上の画像のパールヴァティー(12世紀)は、同じシヴァの神妃であっても“その4”のドゥルガーとは逆の貞淑、温和なキャラで、エロ・グロ・ホラー度はより低いから、そこら辺はギーガー作品とは違うかも。

とはいえ、造形的にはやはり共通点が多い。ギーガー作品の“バイオメカノイド”といわれる肉体と機械の合成は、造形的に見れば、柔らかくぬめっとした形態・テクスチュアと、硬質で複雑な形態・テクスチュアのコントラストであり、これはこのパールヴァティーの肉身部とその表面を荘厳する装身具に対応する。また、入り組んだ管状、襞状の形態が空間恐怖症的に背景を埋め尽くすのも良く似ている。

ギーガー作品が、西洋神秘思想の影響を指摘されるように、密教のような神秘主義的な精神世界のイメージと、こうした造形的特徴は深く関係しているようだ。

女神が重視される後期密教にならって、通常シヴァの隣に寄り添う姿の多いパールヴァティーも、ここでは堂々と中央で脇侍を従えている(右側の脇侍なんかけっこうチャーミングだ)。

そればかりか頭光の上部には、シヴァを中心として左にブラフマー、右にヴィシュヌの坐像が彫られており、さらに、その両脇にシヴァの息子達のガネーシャとスカンダが坐している。このことは、トリムルティー(三神一体)と、シヴァファミリーを統合したパンテオンの中心を占める大女神と見ることができるのかもしれない。

インド博物館その4

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インド博物館にある、10世紀西ベンガル(東インド)のドゥルガーマヒシャースラマルディニー(水牛の阿修羅を殺す女神)。

そういえば、ドゥルガーという神格は、ヒンドゥー教の主要神のパワーを集約した最強の“シャクティ”で、現在に至るまで盛んに信仰されているにもかかわらず、美術館で優れた作例に出会えることって意外と少ない気がする。

美術館に収蔵されている作品は、支配階級や有力寺院の発願による洗練されたヒンドゥー教正統派のものが中心で、密教色が濃く、民間の作例が多いドゥルガーは、あまり見かけないということなのだろうか?

いずれにせよ、このドゥルガーのイガイガした作風は、インド博物館の展示室で、異彩を放っていてインパクトがある。

図像の複雑化(儀軌の重視)と造形のダイナミズムは反比例する。ヒンドゥー教興隆期(6〜8世紀)のダイナミズムとスケール感溢れる西インド石窟寺院の壁面彫刻とは対照的に、パーラ朝(8〜12世紀)の東インドの彫刻は動感や量感が無くなり、体型も華奢で抽象的、背景もより複雑な意匠で埋め尽くされるようになった。

華奢で緻密な工芸的作風は、こういう猛々しいキャラには向いていない。そこで彫工は、10本の腕は太めに表し、ツルツルの光沢仕上げにすることが多い肉身部を、あえてざらついた仕上げに。そして、コスチュームのイガイガしたモールドとの相乗効果で、ゴツいイメージをつくり出すことによって、複雑化した図像学的約束事を守りつつも、女神の漲るパワーを演出しようとしたのかもしれない。

インド博物館その3

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資本主義の発達による増産指向と宗教的道徳観の後退、大衆の欲望をダイレクトに反映したセクシャルイメージの商業化。そうした条件がそろった第二次大戦後のアメリカに於いて初めて、極端に大きな胸と尻、極端に細く括れた腰をもつヌードイメージが成立したと勝手に思っていた私は、学生の頃、こうした彫刻が2千年近くも前の、しかも仏教遺跡に存在することを知って驚いた。

こうした下腹部も露なグラマー美女が、ずらりと仏塔の周りを囲む欄楯に表された理由(言い訳?)はどうあれ、多くの民衆をそのエッチな魅力によって惹き付ける目的があったことは否めないだろう。

ビハーラ(僧房=僧の生活と修行の場)ではなくチャイティヤ(ヤクシャ、ヤクシーなどの精霊の宿る場所。仏教成立後は、仏塔またはそれを祀った礼拝堂)には多くの信者を呼び込み、寄進や布施を集めるアトラクションが必要だったのだ。勿論そこには、仏教の教えを絵解きするための仏伝図や本生図も描かれている。

結局のところ、経済効果を無視して大宗教の美術を語ることなど無意味なのだろう。

そういう意味では70年代、テレビに客を奪われた映画が、“ポルノ解禁”というアドバンテージを利用して、ポルノ映画以外でもストーリー展開とは無関係に女優を脱がせたり、ベッドシーンを挿入したりして入場者を増やそうとしたのと変わりないかも。

勿論ヤクシーの方は、シャクティズムというインド土着信仰の重要概念と、豊穣多産、不死再生という現世利益への願いという特殊事情が前提となる。宗教的道徳観の後退などではない。


そんなわけで、欄楯彫刻であるこれらのヤクシー、クシャーナ朝(1〜3世紀)にマトゥラーで数多く造られた典型的な例といえる。ただ、最もポピュラーな形式である“その2”のヤクシーのようなシャーラバンジカー(樹下美人)ではなく、もっと世俗的な貴婦人もしくは遊女が描写されており、その点では、“その1”のナーイカーに近い(といっても“その1”のナーイカーは樹下美人形式が復活しているからややこしいが)。

だから、こうして並んだ姿は、ポーズだけ見ればファッション雑誌(体型でいえば男性雑誌)のグラビアのモデルと変わりない、えらくモダンなものだ。

でも、キモカワの侏儒に乗っかっているところから女神(精霊)であることはあきらかで、“その1”のような、中世ヒンドゥー教美術のナーイカーの足下にまとわりつく小さな人物(“その1”では“いったい何処見とんじゃ!”の人物)はその世俗化した変形なのかもしれない。

インド博物館その2

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インド博物館の目玉の一つに“バールフト・ルーム”がある。インド中部のバールフトで発見された初期の仏教美術で、仏塔(舎利塔、卒塔婆)を取り囲んでいた欄楯(柵)が部屋いっぱいに展示されている。

釈迦のいた頃、東インドでは遺骨崇拝が盛んだったらしく、釈迦の遺骨も仏舎利として仏塔に収められ、礼拝の対象となった。

“仏像”なるものはまだ無く、礼拝の対象として偶像が造られていたのは民間信仰の森や樹の精霊ヤクシャ(夜叉)で、それが結界として仏塔の廻りを取り囲む欄楯に、護衛役で彫られるようになったらしい。

インダス文明を除けば、通常、インド美術史の人体表現はヤクシャ、その女性形のヤクシー(夜叉女)に始まる。従って、“仏教の本場”の仏教美術は仏像ではなく、そういった精霊の像がその劈頭を飾ることになる。

欄楯彫刻としては現存で最も古い例(紀元前2世紀または、紀元前1世紀初頭とされる)で、そのせいかヤクシーは後の時代のものより土俗的な野性味が魅力だ。

しかも、このヤクシーは、同じ欄楯の他の彫像と比べても特別な感じで、装身具が多く、顔に刺青らしき模様まであり、コテコテのエスニックファッション。

樹に手足を絡ませるポーズはまるでポールダンサーみたいだし、砂岩の濃褐色も手伝って、よりワイルドでセクシーなイメージを演出している。

もちろんこの彫刻がルーツと限ったわけではないが、美術史的には、片手で枝をしならせるポーズは、脇の下から釈迦を出産する摩耶夫人のイメージの原型になったといわれているし、“樹下美人”というテーマは中国を経由して「鳥毛立女」として正倉院に残る。

さらには、動物(このヤクシーの場合は魚の下半身を持つ山羊)の上に乗る形式は、仏像やヒンドゥー神像が乗るヴァーハナ(乗物)の原型らしい。

ちょっとこの画像では見にくいけど、ヤクシーの左隣のヤクシャの足下の侏儒は、日本の四天王が踏みつけている邪鬼にそっくり。それもそのはず、この後、インドではヤクシーがより発展して行くが、日本へは、中国というフィルター(女性の裸体表現を漉しとる)を通って、こうしたヤクシャの図像を原型とする四天王が仏法の守護神としてやってくる。


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