おるたな美術館

旅先で出会った東洋美術、西洋美術

インド編

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両脇に少し見える、神殿と集会殿のバルコニーに挟まれた外壁南面の彫刻群。27年後のヴィシュヴァナータや71年後創建されたカンダリヤ・マハーデーヴァが3層になっているのに対し、ラクシュマナでは群像のフリーズは2層で、さほどスペクタクルを感じない分、1体1体の肉付けが豊か。

下の画像も“カンダリヤ・マハーデーヴァその3”<http://blogs.yahoo.co.jp/sugafuto/27908855.html>のいかにも儀式めいた4Pの交歓図に比べると、同じ立ち姿勢ながら情熱的で、肉身の暖かみや柔らかみを感じる。マハーデーヴァでは両端の女性がカップルのアクロバティックな性交を手助け(性行為に参加)していたのに対し、ラクシュマナの場合、左側は男性で、抱き合うカップルに背を向けて2人とも自慰に耽っている。

おまけに男の足下では矮人の女が男の太腿を嘗めていたり(私が宿泊したホテルのオーナーJugal Tiwari氏のガイドブックによると、太腿をつたって滴り落ちる精液を嘗めているところらしい)と、予定調和的なマハーデーヴァに比べ、性行為をあからさまに見せることのインパクトをかなり意識した表現だ。

また、実際に可能かどうかは別として、片足立ちで残りの足をお互いの身体に巻き付けるポーズなど、情熱的な抱擁の演出に大きく寄与しているのも、淡々としたマハーデーヴァとは対照的。

それにしてもこのカップルの髭面の男の髪はいったいどういう身分(職業?神格?)のものなのか?とにかくヒップなヘアースタイルだ。

この4体(+矮人1体)のある層の左端にもやはり立ち姿の交歓図があるが、こうした体位が当時盛んだったというより、立像の並ぶ壁面としてはむしろ、構図に収めやすかったということなのかも知れない。

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カジュラーホの寺院はバルコニーの下などの壁面に龕が設けられ、そこにヒンドゥーの神々が彫刻されている。それらは当然他の壁面彫刻とは別格扱いで手の込んだものだが、盗まれたものも多いのだろうか、現在残っているのは形式的なものが多く、創造性豊かで、しかも良い状態で残っているものは少ないみたいだ。

また、カジュラーホの美術を特徴付けるものでもないので、こうした龕に彫られた作品はあまり紹介されない。

そんな中、ラクシュマナ寺院のガネーシャ像はかなり保存状態が良い。しかもおなじみの民間信仰的イメージではなく、かなりグレードアップした偉容で、これほど立派なガネーシャ像というのもあまり見かけない気がする。

“パタンその6”<http://blogs.yahoo.co.jp/sugafuto/27971477.html>がシヴァの畏怖相バイラヴァのガネーシャ版なら、こっちはナタラージャ(舞踏王としてのシヴァ)のガネーシャ版といったところか? 取巻きの演奏に合わせて太鼓腹の巨体をゆする様が見事に表されている。

丹念な像表現だけでなく,画面全体を支配する、ゆらゆらとした形態のうねりが音楽的なグルーヴ感を演出していて、優雅で力強い演奏まで聞こえてきそうだ。それはこの彫刻の主題が、図像的描写のみに留まらず、立ちのぼるアウラ表現、つまり目に見えないエネルギー体の描出にあることを示しているといえそう。

勿論、そんな神秘主義的な側面だけでなく、極端にガネーシャだけ大きく誇張した構図や、その右足下からちょこっと顔をのぞかせるネズミなど、大衆神らしいユーモラスな面も窺い知ることが出来る。この寺が高い思想性、芸術性とエンターティメント性を兼ね備えた、宗教施設&アミューズメントセンターであったことの証左だろう。

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急峻な岩の山肌を思わせるマハーデーヴァの南壁面(左画像)。この寺院が切立った岩山を思わせるのは、その壁面に “土っぽさ”や“肉っぽさ”を感じさせないからだろう。

それはやはり、壁面彫刻の作風によるところが大きい。後に紹介予定の同じく大型の寺院ラクシュマナと比べるとよくわかるのだが、神々やミトゥナの肉付けがリアルでなく、もっと洗練され,形式化しているのだ。

彫工のクリエイティヴな姿勢や、個人的な嗜好が露呈したような思い入れのある作品が無く、従って,ふと立ち止まって見入ってしまうような魅力的な作品,間近で見なければわからないような入念な仕上げの作品が見当たらない。

良い意味でも悪い意味でも無駄が無い。言い換えれば群像が整然と壁面を覆う中、その調和に破綻を来して目立ってしまうような作品が無い。よく統率された軍隊のようなものだ。

これは個々の彫刻作品を見れば、実につまらないものと映る反面、建造物外壁の装飾と見れば、壁面全体を見渡すスペクタクルとして美しい。その点に於いてマハーデーヴァは、調和のとれた優れた建造物と言える。

これは、カジュラーホのエロティック彫刻から来る、エロエロで異教的、頽廃的なイメージというものとは決定的に違うものだ。

有名な右画像の性的ヨーガといわれる“アクロバティック4P”の彫刻も、何かのエンブレムのような単純化されたモダンなデザイン性を感じさせる。

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それにしても、自分で取材した写真やスケッチを見返してみても、カジュラーホで最も大きく、しかも壁面彫刻が多いにもかかわらず、マハーデーヴァの個々の彫刻を写したり描いたりしたものが殆どないのには驚かされた。

カジュラーホに関する出版物の画像にしても同じことがいえる。それは、この寺院に於いて、彫像を刻むことのモチベーションが変わってしまったことから来るように思える。

寺院壁面を覆う、おびただしい彫像群の中からたった一つの作品に惹かれるということは、そこに一つの個性もしくはミクロコスモスを見いだすからであり、それをつくった人物又はそこに描き出された神や人に私的な存在を感じ取るからだ。

それは寺院建築という宗教思想の具現化からすると、逸脱した部分であるのかもしれない。でも、そうであるがゆえに、私はこれまで見て来た他のカジュラーホの寺院に魅力を感じてきたのだ。

マハーデーヴァはその点,全く違っていた。この寺院の彫像にあるのは、あくまで構造物のテクスチュアとしての魅力である。だから一つ一つの彫像に注視するより、右画像のような視野でプロポーションの整った彫像群を見上げる方が、その圧倒的な美しさを感じ取ることが出来る。

この寺院南西部分の列柱の持つ、レビューショウのようなゴージャスな感覚は、一体一体が肉体として具象的に主張すること無く、律動的な装飾効果を上げていることによる結果といえるだろう。

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シカラといわれる高い塔を本殿に持つ北インド型のカジュラーホの寺院は、メール山(須弥山)を中心としたインドの宇宙観を造形化したものといわれる。そうした象徴的な意味は別としても、カンダリヤ・マハーデーヴァには“山”を強く感じさせられる。

ラクシュマナ(954年、右下)が大型寺院としての形式を完成させ、ヴィシュヴァナータ(1002年、左下)をへて、このカンダリア・マハーデーヴァ(1025年、上)が最も大きな寺院であることから、つまり、より大きいから“山”を感じさせるというだけではないようだ。

三つの画像を見て、下の2つはあまり“山”という感じがしない。バーダ(基壇)、開口部のバルコニーを含むガンディ(側壁)、シカラを含むマスタカ(屋根)の三層の構造が明快で、家(建築物)的イメージが比較的強いのだ。しかもガンディとマスタカの間のバルコニーが大きく、寺院中央部のアクセントとなり、屋根と側壁の区別をはっきりさせている。

それに比べてマハーデーヴァは各部のつながりがなだらかだ。アクセントとなるバルコニーが小さく、また小さいシカラがより多く集積するようにして大きなシカラを構成し、その結果、寺院全体として一塊の山並みに見え、上昇性の強い外観になっているのだ。

これが人に、“天高くそびえる山”という実感と感動を与えるのだろう。

また、カンダリヤ・マハーデーヴァは、屋根が高くなったからといって内部の天井が高くなるわけではなく、シカラをもつ本殿は高い吹き抜けなど無くて狭い。寺院入口から奥行き深く続く堂内は、石を積み上げた建築というより、岩山を穿った洞窟の感覚に近い。

中世ヒンドゥー教寺院は、完成の域に達したこの寺院において、古代の石窟寺院に先祖帰りしたかのように思える。その石窟の在処は現実の岩山ではなく、また山を象徴した建築物でもなく、山という実感を伴う巨大なオブジェの内部なのである。


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