おるたな美術館

旅先で出会った東洋美術、西洋美術

インド編

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ブッダガヤその1

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ビハール州はコルカタからバラナシへの旅の中継地ぐらいの認識で、ここで特に仏教遺跡を見るという目的があったわけではなかった。にも拘らず、パトナー → ナーランダー → ラージギル → ブッダガヤという、ビハールの仏跡巡りの旅は、結果として私に強烈な印象を与えることになった。


ナーランダーからブッダガヤまではバスで行くつもりが、ストライキで足止め。午前中で、インド国内旅行者のマイカーが埋め尽くしていた駐車場が空っぽになって、1人ホテルのフロントに取り残され、午後1時半になってやっと車をチャーター。

ところがこのブッダガヤまでの道路というのが最悪! 舗装されている道路表面が陥没しているのだ。陥没した穴は直径1メートルくらいで、深さは10センチくらい。それが何キロにもわたっている。でっかいモグラたたきゲームの穴が無数に続いている感じ。何時間もガタゴト縦揺れのノロノロ運転である。

ホテルの宿泊客のマイカーが、全て4WDだった理由がようやくわかった。見栄ではなく実用だったのだ。しかし、ストじゃなくてもバスはこの道通れたのか?

大地はまるで生き物の皮膚のようで、アスファルトで固定しようとしても動いてしまうのだ。廻りは見渡す限りの田畑。そうでない道端も季節は雨期、青々とした雑草が燃え上がるように繁茂して、大地の強烈なエネルギーを感じる。この自然に対し、人間の些細な働きかけは苦もなく跳ね返されてしまう。都市化や交通網の発達など想像もつかない光景。

凸凹道がやっと無くなり、スムーズに走れるようになったかと思うと、今度は、私達の通る道以外は、見渡す限り水に覆われてしまうという、これまた信じられない光景に遭遇。それが延々と続く。細い道路が泥水の大海原に一本だけ通っているといった感じだ。

ここは農地なのか?と運転手に尋ねると、雨が降るとしょっちゅうこうなるのだそう。農作物は大丈夫なのか?との質問には、2、3日で水がひけば大丈夫。もっと続くとヤバいという話。

日本ならば大災害を引き起こすような洪水が、ここでは珍しくない。乾期には逆に日照りが続くわけだから、自然の心持ち次第で、簡単に人の運命が左右されてしまう。そんな危機感を人々は常に感じつつ生活しているのだろう。

自然現象でも、暴風雨や日照りなど、気象は天の現象なので、主に男神に属し、人間との関わりは間接的なものに過ぎない。洪水を起こしたり、農作物を育てたり、疫病を流行らせたりと、実体を持って人間にかかわる(慈しみ、かつ祟る)のは大地=女神である。

ブッダガヤは釈迦が悟りを開いた土地として、世界中の仏教徒が団体でやってくる。しかしこの地の仏教寺院は元々遺跡で、他は外国の仏教寺院が建ち並んでいるのだ。現地の住民の間では、仏教でなく女神信仰が盛ん。ガイドをしてくれた人も、ドゥルガーを信仰しているといっていた。


写真はあぜ道の三叉路。地元の人に聞くと、カールワールとかいう土地の女神らしい。左端のコンクリート製の小さな祠の中には、馬の埴輪のようなものがあり、ここを通る住人は、必ず供養や礼拝をしていた。

右に並ぶ7つの半球状のものは、民間信仰の七母神。それぞれ神妃としてヒンドゥー教に取り入れられた。その右隣の板状のものも供養されているので、合計して八母神かな。

右下はこの地の仏教施設のように立派でなく、ただの廃墟のように見えるが、女神を祀った小さな祠が並んでいて参拝者がひっきりなしに続く。写真を撮ってると怒られてしまった。ここは廃墟でも空き地でもなく、聖地なのだ。


ビハール州は仏教ゆかりの地でありながら、仏教が滅んでしまったことに最早私は疑問を感じなかった。ヒンドゥー教徒でなくても、この大地のエネルギー感と、それに対する畏怖感は強烈である。この土地で生きる限り、女神の存在にリアリティーを感じないわけにはいかない。それを無視して生きることなど不可能だろう。

常に女神に養われ、かつ、合い口を突きつけられているように実感する日々を送る人々にとって、神を信じるか信じないかなど愚問に過ぎない。

仏教って、本来、近代合理主義とは別の方法で、こうした神と人間との関係を乗り越えようとした思想だったのかも。そういう意味ではアンチ宗教といえる。 だが、この土地でそれを乗り越えるには、女神の勢力はあまりに強大すぎた。

要はその風土で、何にリアリティーをより強く感じるかなのだろう。

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アディナータ寺院のシカラ(尖塔)北側。“その1”でもわかるとおり、この寺院のミトゥナは最上層の飛天のみで、他は単独像ばかりである。

注目すべきは、マカラ(海獣)のガーゴイルらしきものがここだけ残っていること。恐らく壁面最下部なので破損が激しく、現在は、ガーゴイルを復元せずに修復した寺院がほとんどなのだろう。まあガーゴイルといっても、西洋のそれは、かなり高い位置にあるものだか…。

いずれにしても、このように、シカラを世界の中心軸たるメール山の象徴とし、中腹に飛天や神々やナーイカーを刻んだ壁面を挟んで、その下部に海を象徴するマカラが口から雨水を流していたのだとすれば、須弥山思想を実感させる構造だな。

しかも、ご覧の通り造形的に見てもかっこいいし、もし他の寺院にもあったのだとすれば、再現してほしかったな。

北側のナーイカーは神像みたいにおとなしいポーズなので、再び南側のを…(写真右)。ダンサーなのだろうか?やはりこの躍動感がアディナータ寺院壁面彫刻の醍醐味。

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同じカジュラーホのジャイナ教寺院でも、玄関ポーチから主祠堂の間に集会堂を設ける、カジュラーホ寺院の基本形式を完備したパールシュヴァナータと違い、アディナータ(ジャイナ教第1代祖師)寺院は、後補で壁面彫刻の無い玄関ポーチと、主祠堂のみという小さな寺。従って彫刻は、主祠堂のシカラ(尖塔)の外壁にしか残っていない。

にもかかわらず、この寺の彫刻はカジュラーホの他の寺院では見ることの出来ない、魅力的なナーイカー(世俗的女性像)に出会うことが出来る。

世俗的主題であるが故に宗教図像の制約から自由であるナーイカーは、どんな女性のポーズがよりセクシーなのか(いかにシャクティを表現出来るか)を写実的に探求している。おそらくデーヴァダーシー(寺院付の踊り子)や宮廷女性、はたまた遊女をモデルにポーズをとらせてもいたのだろう。そういう点では、古代ギリシャ、ヘレニスム期の女神像も同じかもしれないが、大きな違いは、アディナータの女性像の、おそらくはダンスやヨーガで鍛え抜かれた贅肉のない肢体と、胴や手足を大きく捻った、柔軟かつ緊張感あふれるポーズである。ヘレニスム彫刻のスポーティーとはいいがたい、ふくよかでリラックスした静的な女性表現とは対象的だ。

インド中世=密教という神秘的イメージとは程遠いが、考えてみれば、世界広しといえども、近代以前の美術でこれほどスポーティーな女性の写実的肉体表現というのは無いのではないか。11世紀の建立といわれるから、日本では源氏物語の時代。平安女性がこれらのポーズをとったら、肉離れ必至である(今でもそうか?)。

他のカジュラーホの寺院はもっと形式化、抽象化していたりデフォルメしたりしているので、あまり生身のモデルを写生したという印象は受けない。その点、アディナータの彫刻には、芸術家とモデルの共同作業による美の探求という、絵画、彫刻、写真を含めた近代芸術の課題を見てとることも出来るのでは。

裸体表現を伝統に持つ西洋も、女性の裸体と世俗性が結びつくのは19世紀後半のマネあたりから。風俗や思想的背景が違うとはいえ、ある意味アディナータ寺院壁面彫刻の先進性には驚かされる。

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パールシュヴァナータは、カジュラーホの寺院の中では比較的保存状態が良く、東側正面の玄関を入ったポーチの天井にある飛天の彫刻も、他ではもう見ることが出来ないもの。天井中央から下がる支柱の先端である花模様の中心から像がずれているのをみると、もともとは飛天がもう一体傍らにいたようだ。

手足も既に欠けているとはいえ、精緻な技とセンスの高さが伺える。当時は床に差し込む陽の反射光で砂岩が黄金色に輝き、一対の飛天が神々しく浮かび上がったのだろう。天井にある花模様の同心円の重なりも、優雅な上昇感を演出している。

右はそのポーチのある東面外壁の単独像。“その2”で紹介した有名どころとは違い、地味なポーズなので、ほとんど注目されていない。均整がとれていて造形的な野心もないが、素っ気ない印象が少しもしないのは、彫工の個人的な思い入れや趣味性が感じられるからだろう。左手の指先や足のつま先などにも、細やかな神経が行き届いていて美しい。

実は私もこの像がお気に入り。夥しい数の神々によるスペクタクルでも、人目を惹くいわくありげなポーズでもなく、ひっそり佇む姿には癒される。時代がかった感じの無い、シンプルでモダンな造形感覚も魅力だ。

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パールシュヴァナータの南壁面の三層構造の彫像群。彫像がなくなってしまった三層目中央の龕右側には“その1”で紹介したヴィシュヌとラクシュミーがある。上から一層目は飛天のカップルで、その間の凹面にはミトゥナ。二層目は主にヒンドゥー神のカップルで、凹面はやはりミトゥナ。三層目も主にヒンドゥー神のカップルで、凹面はシャルドゥーラと呼ばれるライオンのような聖獣。これら洗練された作風に紛れて異彩を放つのが、ナーイカーと呼ばれる単独像。特に下の四作品は、カジュラーホのユニークな女性像として紹介されることが多い。

左は、現在のインドにもある風習のように、足の裏を赤く染めているのか、吉祥文を描いているのか、いずれにしても大胆なデフォルメで、20世紀彫刻のようなモダンな造形感覚。

左から2番目はアイラインを引いているところ。3番目は左手に赤子、右手に果物の房を持っている。この2体は写真でもわかるとおり、南壁面の上から三層目にある。全体的にすらりとした体型の彫刻が多い中、頭部が大きくボリューム感たっぷりの体型で存在感がある。

それに比べるとパールシュヴァナータ北壁面にある右端写真の像は、手足が長くて頭が小さく、かなり大柄に見える。インド舞踊で踊り手が鳴らし、重要な音響効果にもなる鈴の付いたアンクレットを着けているところ。

決まり事の多い宗教的図像の定型からはずれ、均整を欠いたプロポーションと、女性の日常のさりげない仕草に色香を求める歌麿のような世俗的主題は、単調になりがちな宗教的図像に魅力的なアクセントを作っている。


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