おるたな美術館

旅先で出会った東洋美術、西洋美術

インド編

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ウダヤギリ、ラトナギリ、ラリタギリは、オリッサで仏教が栄えたバウマカラ朝時代(8〜10世紀)の遺跡。所謂ポストグプタ時代で、おおざっぱに言うと、仏教がインドで最後の光芒を放ったグプタ朝美術とチベット仏教に代表されるような後期密教美術との中間期に当る。

まだ発掘中なので観光地にはなっておらず、旅行ガイドブックにも載ってなかった。そのせいか、どの遺跡も研究員が案内してくれた。

左は、研究員に案内されて入った、堂内正面の金剛手菩薩(9世紀)。未完成なのか、台座から下はかなりいい加減な彫りなのだが、石積みの薄暗いお堂に佇む精悍な姿は、なかなかかっこ良かった。

執金剛といえば、金剛力士像のように、仏教では天部(神、阿修羅、飛天など)で門衛神に過ぎなかった。それが密教の時代になると、この金剛手菩薩のように菩薩に格上げとなる、持物の金剛も、こん棒のように大きかったのが、コンパクトな金剛杵で、手のひらサイズになった。

髪髻冠を頂く貴族コスチュームの菩薩には、筋肉隆々でこん棒を振り回すのは似合わない。金剛杵のようなコンパクトで高性能な武器の方が、クールかつパワフルなイメージにぴったり。

写実的な肉身部の膨らみがある右の像は、様式的により古い(8世紀)ものらしい。収蔵庫にも収められずに、野ざらしで緑の大地と一体になった状態が、かえって逞しい生命感を醸し出していい感じ。

高く結い上げた髪、額の第三の眼、4本の腕(左腕は1本破損)、そして見るからに“絶倫”といったイメージは、一見するとシヴァ神かと思わせるが、蓮華や水瓶、数珠といった持物と頭頂の化仏(わかりにくいけど、高く結い上げた髪の正面に、座禅した阿弥陀仏が彫られている)で観音だとわかる。

こうしたヒンドゥー神イメージの影響を受けた、腕や頭の数の多い仏像は密教の時代に多く造られる。日本でも変化観音にシヴァやシヴァの畏怖相ヴァイラヴァ、ヴィシュヌ等の特徴を見て取ることが出来る。

四臂というヒンドゥー神のスタンダードスタイルのこの観音像は、日本で馴染みの不空羂策観音や千手観音、如意輪観音、馬頭観音のような、より多い腕を持つ変化観音が成立する前の過渡的な姿としてみると、ミッシングリンク発見!といった感じで興味深い。

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ラージャラーニの基壇あたりの小品。この寺院の、オリッサ8月の気候のごとく、こってりした濃厚系彫刻のメインディッシュを見て来た中では、これら小品は後味の良いデザートといったところ。

この寺院の女人像の多くが、スラスンダリー(天女)やナーイカーと呼ばれる、シャクティの形象化としての、世俗的女性描写であるのに対し、左の写真は、四臂で、武器のような持物を手にしている。持物が欠損していて女神名はわからないが、女神であることには違いない。しかし小品なので、ややラフな造りで、背景のSF的な構造物も影響してか、ロボットアニメのヒーローみたいだ。

右上は、ナーイカーに良くある化粧のポーズ。鏡を持って、既婚者のしるしであるシンドゥーラ(赤い粉)を、額から生え際にかけてつけているところ。同じテーマのもっと大きな像では、ねっとりエロティックに表されるところだが、鏡を持つ手が破損しているせいか、そよ風を全身で受けているようなポーズに見え、実にさわやかな印象。

右下は西洋建築でおなじみのマスカロン(人面装飾)。オリッサの寺院建築でも、なぜかよく見かける。これはかなり小さいもので、くどくなく、不思議にチャーミングなアクセントになっている。

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ラージャラーニ寺院のシカラ(尖塔)壁面の陽の当る突出面には堂々とした方位神や、豊満な女神、穏やかな表情のミトゥナ(男女交歓像)が軒を連ねる中、入り組んだ壁面凹部の奥まった場所には、性器も露なミトゥナ、ナーイカー(情念を抱く女)が淫靡なエネルギーを発散している。

シカラは、インド文化圏にとって世界軸となるカイラス山の象徴。となると、シカラの壁面凸部は尾根、凹部は谷に当る。この寺院を訪れたのは雨期だったから、雨が降れば当然、谷には水が流れるわけで、凹部は陽も当たらないため、この場所にある像は常に湿っていて、ぬめるような肌。だから余計にヒワイで、見る者をぎょっとさせる。

カジュラーホのミトゥナがその大胆な性的ポーズとは裏腹に、寺院壁面の陽の当る目立つところにあって、あっけらかんとしているのとは対照的だ。両者の、こういったセクシャルな表現の扱い方の違いが出ていて面白い。

性的エネルギーは“シャクティ”とよばれ、タントリズムでは重要な概念。宇宙の構造を表している寺院に、こういった像を彫ることは、冷たい石に活力を与える。つまり、石造建造物の固く冷たい材質と、スタティックな構造そのものより、そこにみなぎるダイナミックなエネルギーを重要視している。

ナーイカーの像は、左の写真のように付き人の矮人が、“どこ見とんじゃ!”といいたくなるような視線を送っているのをよく見かける。しかし、この矮人のおかげで、数メートル離れたところから見上げている私達も、感情移入によって至近距離から局部を拝んでいるような気分にさせられ、それが“シャクティ”のフィードバック&パワーアップにつながっているわけだ!?

こういった彫像と建物を別個のものとしてとらえ、建築物としてデザインが優れているとか話しても、そこにみなぎるエネルギーを感じなければ、全く意味がない。そういう意味では、ムクテーシュヴァラやリンガラージャのようなオリッサの傑作建築に比べ、洗練されないラージャラーニのシカラは、むしろ、そのエネルギー感の表象として成功しているのではないか。

人の身体も、顔のように立派に見せようとする部分もあれば、陽にあたることの無い陰部もある。身体と宇宙を同一視する発想は、ラージャラーニのシカラでは、観念的なものというより、もっと生理的なリアリティーとして存在しているようだ。

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カジュラーホの寺院と同じくこの寺院の特徴は、無数の小さいシカラ(尖塔)の集合によって、一塊の大きなシカラが形作られているような構造にあるので、ラージャラーニのシカラの外壁は、複雑な凸凹構造になっている。その、陽の当る突出面にインドラ、ヴァルナ、アグニ等の方位神や、このようなおおらかで健康的な女神像がある。

11世紀のものだが、樹木の下に佇んでいるところや、明るい表情と極端にグラマーな肢体は、千年以上前の仏像が造られる以前から仏教寺院周壁に見られる、樹木の精霊ヤクシー(夜叉女)を彷佛とさせる。

それほどこの女神像には、古代インドのゆったりとした息吹を感じる。中世密教美術は、頭や腕、持物の数が多かったり、同伴者が多かったり、装身具が複雑だったりと、ごちゃごちゃしていて、このような伸びやかな(腕は伸び過ぎてプロポーションがおかしいが)造形は珍しい。

初期仏教美術の伝統がこの中世ヒンドゥー教寺院に受け継がれ、しかも、方位神と同格あつかいで寺院を守っている。被支配階級であるインド先住民による民間信仰の精霊であったヤクシーをルーツに持つ女神が、支配階級であるアーリア民族の主要な神々と肩を並べている。

さらに右の写真左上のように方位神や女神のある壁面の一つ上の層には、これまた歴史の古い民間信仰のミトゥナ(男女交歓像)が見える。

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カジュラーホのヴィシュヌを本尊とする大きな寺、ラクシュマナ寺院の傍らにあるヴァラーハ(野猪、ヴィシュヌの化身)のお堂。

通常、猪の頭をした半獣半人の姿で表されることが多い中、この像は猪そのもので、カジュラーホの寺院建築と同じく、表面におびただしい人の形をした彫刻(名物のエロティックなものは無いけど)がびっしり彫り込まれ、猪自体が宇宙の総体を示しているようだ。

神話によると、魔神によって世界の大地が海中に沈められたため、神々がヴィシュヌに助けを求め、それに応じてヴィシュヌが化身した巨大な猪の身体に、神々と聖者が避難しているところらしい。

ヴァラーハが牙で沈んだ大地を持ち上げるという状態を、彫刻では大地の女神を牙でぶら下げているように表すことが多い。この彫刻の現状では左の牙が欠損し、台座には蛇(ウンコではない)とともに、女神のものらしき足の甲が残っているので、元々はこの辺りに大地の女神像が立っていたと考えられる(足の甲は別の神像のものかもしれないが)。

そういえば、仏陀もまたヴィシュヌの化身とされている。ということは、ヒンドゥー教では仏陀とヴァラーハは同格なのだろう。古今東西捜してみても、こんなに立派で偉い猪というのはヴァラーハ以外に無いんじゃないかな。


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