おるたな美術館

旅先で出会った東洋美術、西洋美術

カンボジア編

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“その1” <http://blogs.yahoo.co.jp/sugafuto/29069658.html>右画像のデヴァターの右奥に見えるのが、この右画像の2体。左画像は、その両壁面の間の側面に位置する、風雨のかかりやすい壁面で、かなり風化し、苔むしている。

右画像の円形のものは、内戦時代の弾痕を修復したもの。7発くらい機銃掃射を受けている。修復されていない壁面の弾痕に指を入れると根元まで入ってしまう程深く、これで誰か死んだんじゃないかと思うと、いたたまれなくなったのを思い出す。

ここ西塔門西側の廊下は、平和と繁栄を象徴するような浮彫りの夢幻と、残酷な現実の間を行き来するような場所でもある。


左画像のデヴァターが風化してお地蔵さん状態になってはいるものの、左右画像とも少し面長で、柔らかな仕上げのため上半身が裸身に見えず、肌に密着した薄いタイツを纏っているような作風が共通する。

この全身タイツのような作風のおかげで、前近代的でエスニックなイメージが影を潜め、むしろモダンでSF的な印象を受ける。特に右画像右側のデヴァターは8.5頭身(足が欠けているのでわかりにくいが、隣のデヴァターのうっすらと残る足から類推すると、画像下端近くまで足があったようだ)もあり、人間離れしたイメージが強い。私など、リュック・ベッソンのSF映画「フィフス・エレメント」に出て来る、超絶ヴォイスの宇宙人の歌姫を連想してしまった(そういえば彼女も劇中で銃撃され死んでしまう)。

こうしたやや写実性を離れた作風はまた、右画像のような風化による独特の叙情性をも醸し出している。歴史の傷跡を癒すような眼を伏せたメランコリックな表情で、点在する薄緑の苔など、水泡か銀河のように見えてファンタジックだ。でも、こういうのってクレンジングされたりするから、今はもうイメージが変わってるかも知れないな。

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西塔門西側のテラス状の狭い廊下の空間は、壁に背を向ければ列柱越しに環濠とその向こうの光景が開け、壁に向かえば狭い空間で、至近距離から浮彫りを眺めることになる。さらに、通路の進行方向に向かえば奥行きがあり、この視点からは遠近効果を利用した空間演出を楽しめる。

“その2”の場所から廊下沿いに北へ向かうと、右画像のように正面奥にデヴァターが見え(左画像はそのアップ)、その右手前には突出した壁面の狭い側面にデヴァターが彫られ、階段状のパースペクティヴを成している。居並ぶセクシーな女神に、ついつい奥の方へと誘われてしまうような演出。デヴァターはさらに洗練されてモダンになり、 “その2” で7頭身あまりだったのが、このエリアでは8頭身まであと一歩というプロポーション。滋味深い古風な味わいも、ここでは影を潜めている。

手前の狭い側面の2体のデヴァターのような場所では、トラッドなサンポットに戻っている。狭い空間では幅のあるニューモードの装身具が入りきらないのだ。ただ、トラッドといっても、トマノンのそれらよりさらにデコラティヴにアップデートされ、サンポット上部を折り返したような飾りを腰に巻いているものが二重になっている。さらに、例のバプーオン様式に端を発する “魚の尾びれ” が、ここでは独立した飾りとして3本も腰からぶら下がっている。

また、この狭い空間は彫りが浅くて像が目立たないので、奥のデヴァターに焦点がゆくようになっている。奥のデヴァターだけは少し彫りが深く、離れた距離からもその姿がはっきり見えるように計算されているのだ。そのフォーカスされたデヴァターは左の拡大画像を見てもわかる通り、自然光を利用した陰影効果がお見事。

これは、背景がフラットではなく、周辺が浅くて、顔と胸の辺りが最も彫りが深くなるという曲面になっていることによる。結果、顔と胸の陰影のコントラストが強調されることによって、そこに視線が集中し、単なる装飾ではないリアルな存在感をかもし出すことに成功している。

まちがいなく、左からの間接光による効果を意識しているのがわかる。アンコール・ワットのデヴァターはこうした表現効果の確立により、厳格な形式主義の当時の丸彫り神像とは別の表現領域を開拓している。

ここには最早インドの樹木神ヤクシーのような、生命力や豊穣多産の職能を表す扇情的肉感性は見られない。スリムな肢体は現代のファッションモデルと同じく、その職能が “飾る美” にあることを示している。

こうした女神の職能の変化は、即ち都市化の反映なのだろう。食料供給が安定し、物質的に豊かな文明社会では、“子孫を増やす”、“食べる” という原初的な願望を女性イメージに託したりはしない。

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西塔門中央入口の両翼の西向き壁面はテラス状の細長い廊下になっており、手に触れることの出来る距離から壁面に描かれたデヴァターをゆっくり鑑賞することが出来る。

だから、ここのデヴァターたちは、近くから眺めることを前提としているのだろう。彫りがとても浅く,非常に繊細な表現が特徴だ。

それは西塔門の反対側(東側)の壁面、つまり境内の広い敷地から数メートルの距離を置いてながめる位置にある壁面のデヴァターたちが、彫りも深く、単純化された明快な造形になっていることからもわかる。離れた距離からも浮彫りの形がわかるようにするには、それなりに深く彫らなければならず、逆に繊細な表現をしたとしても全然見えないので無駄に終わる。アンコール・ワットの彫工達は、そういう視覚的効果を十分に心得ていたようだ。

また、このエリアのデヴァターたちは、西塔門入口のような像を囲む龕が取り除かれ、しかも複数が並んでいるので、最早 “デヴァター(女神)” ではなく “アプサラ(天女)” と呼んだ方が適当なのかもしれないが、もっと動きのあるポーズをとったアプサライメージはアンコール・ワット境内で他に多く見られるので、 “デヴァター” でいいだろう。

いずれにしてもその窮屈な龕が無くなったおかげで、デヴァターは丸彫り神像のような厳粛さから解放され、その造形的特質である軽やかで優雅な魅力を発揮出来ることになる。背景も草花のパターン模様になり、意味性重視の宗教的図像表現から、よりヴィジュアル重視の世俗的表現に変わっている。

画像は、中央入口から北に伸びる廊下にさしかかったところにある壁面の2体で、既にニューモードのデヴァターの表現としては古典的完成に達しているといえそう。全体のシルエットとしては迦陵頻伽やタイのキンナラを連想する。このコスチュームのデザインコンセプトは、極楽鳥のようなデコラティヴな鳥類なのだろうか。大地を踏みしめて立つ,地母神的な伝統的デヴァターとは決定的に違う天女のイメージなのだ。アンコール・ワットのこうした女性像をアプサラと呼称する文献が多いのもうなづける。

ところで、作風の繊細さはコスチュームの彫りの細かさだけでなく、顔の表現にも良く表れている。左の像は顔が単調でつまらないが、右の像の顔は微妙な起伏が表現されて滋味深い(左は拡大画像)。右画像を見渡してみても,そこだけ陰影が異様に写実的なのがわかる。

このように、“顔だけ誰かさんの面影を写しました”というのは、アンコール・ワットではよくあって、彫工の個人的な思い入れを感じたりもする。境内の他の壁面で見られるヴァリエーション豊かなファッションにしてもそうだが、宗教建築らしからぬ世俗的要素がふんだんに取り入れられているのが、アンコール・ワットの浮彫りの面白さでもある。

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アンコール・ワットの環濠に掛けられた200m近い陸橋を渡って西塔門にたどり着くと、最初に迎えてくれるのが、中央入口両脇に彫られた2体のデヴァターだ。

アンコール・ワットの2000体に及ぶといわれるデヴァターの内,最も彫りが深く、彫刻的な重量感やモニュメンタリティーがある。

これらの像も、他のアンコール・ワットのデヴァター達と同じく、ニューモードに身を包んでいるが、やはりその彫刻的量感は、他とは決定的に異質なイメージを見る者に与える。

それは、装束のニューモードに像表現が対応しきれていないことから見ても、チャウ・サイ・テボーダ、トマノンのそれらより古風にすら思える。

装飾性、非対称性、柔らかで軽やかな曲線が特色のニューモードのコスチュームに対し、肉身部があまりに肉厚で、姿勢も直立に近い。コスチュームと作風の整合感という点では、チャウ・サイ・テボーダ、トマノンの方がずっと洗練された造形になっている。

こうした不整合な感覚が、異質なイメージをつくり出しているのだろう。何せ聖域の最初の入口であるから、どうしても、守門神的威圧感が必要とされ、こういうイメージになったのかもしれない。また、頭上の植物や、手に植物を持つ等、インドの樹木神で、聖域を守護する役割を果たすヤクシーの図像の名残をとどめていることから、肉身部に豊穣多産と生命力を感じさせる量感と力強さも求められたのかもしれない。

その頭上の植物文と、うずたかい頭飾の関係も何だか窮屈で、イマイチ処理しきれていない。技術的には高く、かつ入念に仕上げられているだけに、ニューモードの装束を造形的に消化しきれていないのが目立つ。

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アンコール/トマノン

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チャウ・サイ・テボーダとは道を挟んで向かいに位置するトマノンは,同じ時期(12世紀初頭)の寺院で、やはり、新旧両タイプのデヴァターが併存する。

こちらは修復がいきとどいており、画像のように壁面を埋め尽くす装飾が豪華で美しく、デヴァターたちも、チャウ・サイ・テボーダのそれらと比較すると随分様子が違う。ここには旧型から新型への移行を感じさせるような変化が見られない。

ここのトラッドなコスチュームのデヴァターは、チャウ・サイ・テボーダのように古めかしい感じがしない。ニューモードのデヴァターにふさわしい作風が出来上がってから、その感覚で旧式のデヴァターも彫刻しているように思える。従ってトマノンの場合、新旧両デヴァターはプロポーションも、雰囲気も変わりがない。

これは彫刻の表現様式だけの問題ではなく、実際の当時の伝統的装束に、ニューモードのアレンジが施されたからかもしれない。左画像右のデヴァターを見ると、アクセサリーが大振りになっているのがわかるし、サンポット(スカート)上部の折り返しがより大きく装飾的になり、プリーツも柔らかく、生地が薄く軽やかになっているように見える。

トマノンでは、チャウ・サイ・テボーダのように新旧両タイプの差異を明確にせず、様式的な統一感がある。

細かいところに目を配ると、例えば、右画像と左画像のそれぞれ右側の旧型デヴァターのサンポットはそれぞれ中央にバプーオン様式(11世紀)の“魚の尾びれ”型の折り返しを持っており、その内、右画像はサンポットの端を折り返しているように見えるが、左画像のそれは別材をくっ付けているように見える。これは彫工による解釈の違いか、それともサンポット自体が違う構造なのか。

いずれにしても、宗教美術らしい厳格な装束の表現から多様化へと向かう萌芽を感じさせもする。

あと、アンコールワットで見られるようになる、それぞれの像に特定のモデルがいたような肖像性も既に感じられるのは、様式的統一感から来るものかもしれない。そうでなければデヴァターの顔つきが違うからって、それがモデルの違いなのか作風の違いなのか区別がつかないからだ。


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