おるたな美術館

旅先で出会った東洋美術、西洋美術

カンボジア編

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チャウ・サイ・テボーダには、アンコール・ワット壁面に夥しい数見ることの出来るニューモードのデヴァター(女神)と、それ以前の寺院に見られるトラッドなデヴァターの両者が併存する。

画像はそのチャウ・サイ・テボーダのデヴァターたちで、両端が新型で中央のが旧型。一目で新型はゴージャス+セクシー系にヴァージョンアップしているのがわかる。特に上半身の豪華な装飾性が目につくが、上半身は基本的に旧型と同じで,旧型のコスチュームにデコレーションをゴチャゴチャくっ付けたに過ぎない。

むしろ、本質的な違いはデヴァターのプロポーションと、下半身のコスチュームにある。

左と中央の画像は、顔つきや特徴的な肩の表現から見て、よく似た作風であることがわかる。だから、それだけにバストサイズの違い(2サイズくらい?)と、旧型=約6.5頭身、新型=約7.7頭身という1頭身以上のプロポーション差が目立つ。

これは日本でいうと、高度成長期に育ったお母さんと、豊かな時代に育ったその娘ぐらいの体格差だろう。いや、実際にカンボジアは11〜12世紀にかけて、それだけ急速に豊かになったということなのかもしれない。

だからこれって、母娘二世代のデヴァターを表しているのかも。

下半身のコスチュームにしてもそうだ。今時中央画像のような、プリーツの細かく入った厚手の生地のスカートなど制服以外では見かけない(基本的には前時代のバプーオン様式に近いが、このプリーツの厳格な直線性にはもっと古い印象を受ける)。かたや左画像は、フリルのついた足が透けそうな花柄入りの薄手の生地(実際アンコール・ワットのそれは足のラインがはっきり見える)。やたらとフェミニンで現代でも通用しそうだ。体格だけでなくモードまで戦後ニッポンの変遷と似てないだろうか。

そして、造形上決定的なものは、そのニューモードのスカートから左右に垂れる、それぞれ形状の異なる帯である。左側の折り畳んで垂らした,膝までの長さのものと、右側の、腕に掛けないと地面につく程細長いもの(左画像では欠損)。この両社の形状の違いは、それまでのデヴァターの左右対称な直立スタイルに、非対称な要素を持ち込むことになった。

つまり、旧型の直立で厳格な守門神的ポーズに、柔らかでフェミニンな表情が加味されたのだ。右画像の新型は、そうした方向をより発展させたものだ。保存状態が良くないにもかかわらず、左画像のそれより洗練されて見えるのは、非対称なスタイルにふさわしく、身体をわづかにS字にくねらせた柔らかいポーズをとっているからだ。これは左手に帯を掛けているため、自然に左肩が下がり,腰の左側が上がるからで、コスチュームとポーズの関係の密接さを示してもいる。

直線的でスクゥエアな造形から曲線的で優美な造形への移行。彫りも、左の2点に比べて右画像は若干浅くなり(その分、顔の彫りも浅く、乳首の先が立体的に表されていない)、彫像的なモニュメンタリティーから絵画的な動勢と軽やかさへと移行しており、ここにあのフェミニンでゴージャスなアンコール・ワット型デヴァターの基本型が完成されたといえそう。

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“東洋のモナリザ”のしんがりは北堂西壁面の様式性と写実性が比較的破綻無くまとまった2体。その分地味ではあるものの、南堂の同じ西壁面の2体と比べると、そのレベルの差に唖然としてしまう。

“東洋の…”の名の下に1つにひっくるめてしまって良いものやら。バンテアイスレイのデヴァターの現実の女性を模したような写実性と主観性は、様式的な客観性に不安定さを孕み、小さな寺院の限られた数の彫刻であるにも拘らず、造像技術の差をも含めた表現の多様性を生み出している。


北堂西壁面の2体の上半身は、同じ彫工がそれぞれ個性を描き分けたと思え、むっちりとした肌の温もりまで感じるほど生々しい様相を見せる。頭部と上半身の繋がりが良いのも、写真を見れば実感出来ると思う。

それに対し下半身は古風で平面的。右の像は(写真では見ることができないが)もっと古風で、サンポット(腰布)のプリーツの線も固く、それぞれ別の彫工によるものだろう。右の像(これまた写真では見ることができないが)は足首もかなり太く、その古風さを示している。

足首が太いのは、足首が折れて像が倒れてしまうのを避ける為の、丸彫の造像方の名残だろう。像の重さを支えなければならないという宿命から解放された、浮彫りならではのしなやかな身体表現という、バンテアイスレイの革新とは逆の古い表現といえる。その点では右の像は左に比べ、バランスを欠いているといえる。


ところで、バンテアイスレイやバプーオン、アンコールワットあたりのデヴァターは、石材の持つ重量感や硬さ、又は恒久性という特質とは対極の、軽やかでソフト、儚い美しさを持っている。

従って、石材の素材感を露にする経年変化が、必ずしもその表現にプラスに働くとは限らない。そこらへんが、バイヨン期のクメールの石造美術と異なるところだろう。

バイヨンのデヴァターなんかは摩滅していたり、変色していたり、苔むしたりしているものの方が味があったりするし。

そんなわけで、このバランスのとれた左側の像に欠点があるとしたら、作風と現状イメージの不一致といったところかも。

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一番紹介される頻度の高い、バンテアイスレイのスターともいうべき北堂南壁面の2体。さすが他の壁面とは一線を画す華やいだオーラを感じる。

理由はまず、周囲の装飾とともに保存状態が良いこと。そして、なにより建造物の構造上、基壇上部や中央祠堂の壁面からの太陽光の反射を最も多く受ける場所なので、バラ色の砂岩がより輝きを放ち、見るものにブリリアントなイメージを与えることが大きいのだろう。

ちょうどレフ板を用いてモデルを撮影するような効果があるわけだ。立体感が出にくいので,ここでは比較的陰影のある画像を使っているが、日差しがより強くなると、反射光で逆に陰影のコントラストが弱くなり、バラ色の鮮やかさが増してくる。

そうなると、最早これが砂岩であることを忘れてしまうほどの輝きとなる。

だから意地悪な見方をすれば、最も良く紹介されるからといって、これら南壁面の2体が彫刻として飛び抜けて優れているというわけでもないかも。

とりわけ良く知られた右の像は、右腕が肩から手首にかけて太すぎるし、顔は、実在の人物を模したようなこの寺院のデヴァターの中では比較的無個性(他と比べると明らかに面長で、これはこれで個性表現かも)な様式性を示している。

ただ、顔の保存状態がとてもよいので目鼻立ちや表情が明快でわかりやすく、慈しみ深い微笑みに皆魅了されてしまうのだろう。胴体部分の表現様式とのバランスもいい。

左の像も胴体部は全く同じで、肩はそれほどでないにしても、上腕部はやはり太すぎ。首と顔のつながりも悪いが、左の写真のようなアングル(建造物の構造上、通常この角度で見ることが多い)だと廻りの装飾の見事さと相まって、この寺院のデヴァター中最もゴージャスなイメージになる。

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北堂東正面右側の像と北壁面左側の像が破損していたため、ここでは、北堂東正面左側と北壁面右側の像を一緒にした。こうして違う壁面の像を並べると、その作風の違いが際立ってくる。

左写真の東正面のそれは、南堂東正面と共にバンテアイスレイのデヴァター中最も古風な作風を示している。恐らく最初に着手された像の一つなのだろう。高浮彫りではあっても右写真の北面の像のように丸彫りに近い表現ではなく、モチーフ以外の地の部分を深く掘り下げているだけで、像自体は比較的平面的な処理がなされている。

といってもそれまでのデヴァターのような単純な正面観ではない。

この東正面の像から既に新しい試みがはじまっていたのは明白だ。直立の姿勢ではなく背筋はS字を描き、顔には個性表現が見られ、また、サンポットに隠れた膝頭の膨らみも表されている。古風で平面的とはいえ創意工夫がなされ、円柱のような太い足首以外はバランスのとれた優れた作品だ。

また、注目すべきは、透視図法では平面上のバーチャルな奥行きとして表されるべきものを、複数視点の導入によって平面上に展開するという、ちょっとセザンヌ ― キュビスム的な手法がこの北堂の東正面の像の特徴で、とても興味深い。

それは頭部を見ればよくわかる。斜投影法のように正面にあたる顔面は真正面を向きながら、側面にあたる耳や上面にあたる頭頂部が、斜めから見たようなアングルで表され、それを平面上に展開し、斜め向きの頭部を表そうとしている。

この像特有のややぎこちない身体のひねりも同じ意図によるものかもしれない。斜めに身体を傾けた像を立体的に自然に表現出来るまでの過渡的な姿といえるのでは。

これが北壁面になると右写真の像のように丸彫りに近く、斜めから見ると顔の正面を拝むことが出来るという立体的なものになる。

こうしてバンテアイスレイにおいて、正面性の強い厳格な女神像は生硬さがうすれ、現実空間と同じ3次元性を備えるに至り、肉身の温かさまで伝わってくるような親しみやすい女性像へと変身する。

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蛇行する花綱を軸に草花文様が展開されていながら、それは既に具象性を失い、流動するエネルギー体となって画面を覆い尽くす…。バンテアイスレイの装飾文様は、過剰な装飾という臨界点を超え、別次元の様相を見せる。

装飾というのは、通常は眼に見えないはずの、気炎のような流動体を描写するもののようだ。草花などのモチーフは、単にその足がかりに過ぎない。

そしてその足がかりが必要でなくなったとき、この寺院の装飾のような流動体が立ち現れ、高純度の幻覚性(もう一つの現実)を見るものに実感させる。


ところで、このように深く彫り込まれた浮彫りは、建物全体では、実はそれほど過剰な装飾には見えず、以外にもすっきりした外観を保っている。

通常、深く彫り込まれた高浮彫りというのは、この寺院のデヴァターのように丸彫りの彫刻に近くなる。それに対しこれら壁面装飾は、あくまでもとの石材の表面部分を残しながら、モチーフ同士の隙間を深く彫り込んでいるだけ(つまり図そのものは平面的で、地の部分だけを深く彫っている)で、近くで見ると目眩のするような過剰さも、離れて見るとただの石板のようにフラットに見える。

デヴァターやドヴァラパーラの像が丸彫りに近く、斜めからも見ることが出来るのに、他の壁面の装飾文様は彫りの深い部分が見えなくなり、描かれたイメージが見えにくくなる。そこで、あくまでも壁面が平面であることに気付かされる。

壁面一つ一つが過剰な装飾に見えるのが、その総体であるはずの建物の全体像は、ゴテゴテせずすっきりとしたデザインに…。このような高度に洗練された視覚効果は、合理性(建築)と非合理性(装飾)を見事に統合しており、寺院を建てた摂政ヤジュニャヴァラーハの高い美意識と境地を伺わせる.


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