おるたな美術館

旅先で出会った東洋美術、西洋美術

中国編

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故宮博物院その3

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ラマ教で最もポピュラーな尊各の一つ、白ターラーは、故宮博物院では“白多羅”ではなく“白度母”と表記されていた。この18世紀清朝の作品は、けっこう大振りの堂々とした金銅仏で印象に残った。

特徴的な顔の造作は、眼、鼻、眉が眉間に集中するように造られていて、それとはベクトルの違う水平線を持つ口は、眉間から小鼻へと伸びる二等辺三角形の二辺の延長線上に収まるように小さくしている。さらに、唇の形を眼の形と相似形にすることにより、通常の人体に無い “第三の眼”が違和感無く額に配置されることを可能にしている。

また、白蓮華や天冠帯、天衣、垂髪が光背のように楕円を形成し、美しい装飾効果を上げていたり、貴石や金の象眼など、装飾過剰であるのにうるさくならず、バランスよく統制されているなど、高度な造形的配慮が窺える。

顔と掌と足の裏に、計7つの眼を持つ異形も、こうした抽象的な造形操作が、像をグロテスクに陥らせることなく、洗練された神秘性へと高めている。

これも例によって、レンズをガラスケースに押し付けて撮っているので、絞りを絞ってもブレにくい利点がある反面、ガラスから作品までの距離=撮影距離という制約がある。この作品はやや大きかったので広角レンズでないと像全体が入らず、その結果、手前に差し出された与願印の右手が若干大きく写ってしまった。

故宮博物院その2

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故宮を訪れたときに、珍宝館に展示されていたのはラマ教の金銅物とタンカ(仏画)。故宮博物院の文物としてはあまり認識していなかったので、意表を突かれた。まあ、考えてみれば、歴代王朝はチベット密教と関係が深かったようだから、こういった所蔵品は膨大のはず。本展でも元、明、清時代を通しての仏教美術がずらりと並んでいた。

展示品の、故宮文物として、または、チベット仏教美術としての位置づけや、中国、チベット間の様式の影響関係というのは全く無知なのでわからないなあ。カタログも無かったような気がするし…。でも質の高い作品が多く、見応えはあった。

ところでこの展覧会、中国の美術館にしては珍しく撮影OK。こんな場合の常套手段は、レンズを展示ケースのガラスに押し付けて固定し、撮影する方法。レンズとガラスとの間に空間が無いので、ガラスへの映り込みは無くなる。さらに、レンズにラバーフードが付いていれば滑り止めになり、絞りを8以上まで絞ってもブレることがない。

ところが、まさか撮影OKだとは思ってなかったのでラバーフードを持参しておらず、けっこうブレた写真の量産になってしまった。

まあこんなときでも怪我の功名みたいなのは1枚くらいはある。この「秘密集会(ひみつしゅえ)」(18世紀 清 中国製のせいか,チベットの物より明るい色調で、神秘性には欠ける気がする)の父母仏、レンズを軸に時計回りにブレたおかげで、中央の、ヴァジュラ(金剛杵)を手にする阿しゅく金剛の2本の手だけを残して、残る神妃の6本を含めて計十臂が漫画的な動感表現となり、激しく交わり合うダイナミックなイメージになった…!?

故宮博物院その1

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遺跡に魅力があるのはそれが死んだものだからではなく、新たな生を生きているからだといえなくもない。前回の雲岡はもとより、ピラミッド、アンコールワット、パルテノン神殿、マチュピチュ等、それらは少なくとも一度は放棄されて荒廃し、原形をとどめていないものだ。

近代建築の廃墟というやつもそうだ。あれがきれいなまま原形をとどめていたなら、誰も面白がってスケッチにいったり写真を撮りにいったりしないだろう。

時代や地域あるいは宗教が違う(他者である)文明の産物 → しかも壊れて用途や意味がわからない → 自分たちのいる世界を相対化する異界の存在 → 好奇心をそそる……となる。

ゴシックホラーの謂れは、放棄され朽ち果てた英国のゴシック教会の廃墟から来ているらしいが、やはり人智の及ばない異界の存在をそこに見るからだろう。

グロテスク(怪奇幻想趣味)の語源はグロッタ(洞窟)。ルネサンス時代に発掘された洞窟内の壁画から来ているが、元々は洞窟ではなくローマ皇帝の邸宅が地中に埋もれたもの。建築家は古代に学んだ古典様式の建築の傍ら、人口洞窟のある庭園づくりにもいそしんだという。

いずれも当時の人類の叡智を結集して造った巨大建造物が、放棄され風雨にさらされ、地中に埋もれて崩壊し、人智の及ばない造形をかたちづくったもの。人々はそこに、日常の社会的規範や合理性の檻から解放されるようなワクワクする快感を覚え、イマジネーションを逞しくしていく。

これは、既存のものを新たな文脈の中に読み取って(誤解して)、自己意識を拡大しようとする芸術表現の手法でもある。ようするに、人間の脳の働きがそうさせるのだ。


で、やっと故宮の話である。その点故宮は、文字通り死んだ宮殿。崩壊もせず、あらたな生(意味付け?)を受けることも無いまま世界遺産になってしまった。

この住人を失ったヒューマンスケールを超える巨大な空間では、人は巨人の国に迷い込んだかのように、焦点も定まらないまま彷徨い歩くしかない。

そして、それは巨大で原形をとどめたままであるが故に空虚だ。

そんな中、ほっとさせられたのが、お土産物屋の奏楽人形。自分が小人に思えるこの空間では、自分よりさらに小さい可憐な存在に、いとおしさを感じてしまうようだ。……と、これは単に都市文明の中で働く大の男が美少女フィギュアに萌える精神性に過ぎないか…?

雲岡その7

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第3窟は、北魏時代に開窟途中で放棄され、唐時代に仏三尊像を補刻するも、これまた未完に終わるという、中途半端な存在のわりに画像がよく紹介されているのは、石窟開口部からの入射光がドラマチックに窟内を演出しているからだろう。

未完成に終わった分(着色も施されてなかったようだ)、風化も早く、壁面が崩れ落ち、三尊像の下半身も岩肌をさらし、もはや“石窟寺院”というよりは“洞窟”に近いのが、この窟の最大の魅力といえるかもしれない。

もとは南側を正面に、東西に並ぶ双窟として設計されたらしい。右の画像は窟を穿っただけで何も無く、ただの洞窟としか思えない東側主室から西側主室の三尊像を窺ったところ。天井部から多量の岩石が、ごっそりと崩落したのがわかる。やはり、雲岡の岩盤はそうとうに脆いようだ。

第18窟ほどの荒々しさと壮大さは無いが、明窓からの光が浮かび上がらせる、自然と人工が渾然一体となったその造形には、仏教の図像的約束事やその時代の表現様式を凌駕する迫力がある。

雲岡その6

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第7窟拱門は保存状態が良くなく、上の画像の拱門頂部(“その5”右の画像上部の続き)もかなりの部分が剥落している。例えば、第10窟例明窓頂部(下の画像)のような、同じ図様の保存状態の良いのに比べると、中央の大きな蓮華が全く欠損してしまっていることが解る。

これは、第7窟拱門頂部が、近代絵画的価値観から見ると、“装飾”から“絵画”に移行し、絵画的魅力が増したととらえることも可能だ。

剥落して図様の残っていない面積が広いので、空間の広がりを感じさせ、完成当初の、空間を埋め尽くす息苦しさから解放された心地よさを感じるのは確かだし、円形を等間隔で取り巻く群像という単調なレイアウトが崩れ、変化のある構図にもなっている。

そして、何よりも漆喰や塗料がはげ落ちて、飛天のモデリングそのものの美しさが露となり、地面からの反射光という柔らかなライティングにより、その繊細な彫りもはっきりと見ることが出来るようになったのが大きい。

下の画像も、同じく塗料と漆喰の下に美しい彫技が隠れていることを考えると、ちょっと複雑な気分だ。

この寺院装飾に携わった多くの人々の行いよりも、風化に美を感じるのは、“する”(作為)より“なる”(スポンティニアス)ことに重きを置く日本的な美意識といえるかな。

いや、ひょっとすると下の画像に見られるような寺院内部の肉色と、ちょっと見ただけでは仏像や天のような人の形と判別できない襞状の形態に覆われた、体内構造的生々しさが充満する中、飛天の表情を読み取りやすい第7窟拱門の簡素な浮彫りに、当時のこの地の仏教思想や美意識を解さない人間が、親しみやすさと清涼剤の爽やかさを感じているだけなのかも。

退いてみれば、20世紀に“東洋美術”なるものを成り立たせていた美意識とは、こういうものだったのかもしれない。

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