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京都年末年始の旅 初日
平成24年12月31日 大晦日
午後4時40分頃からぶらり1時間あまり
錦市場から。通る人が割りと少ない
スタンドはやはり混んでました
どうにか席に坐りましてポテサラとシュウマイにビール大瓶で腹ごしらえ
そして錦天満宮にお参り
緑地に新京極の白い抜き文字
蛸薬師で歳末恒例の大根炊きやってました
三嶋亭
牛肉を買い求める人の行列が出来てません?
矢田地蔵尊
除夜の鐘が始まるのを街は静かに待ってる感じです
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冬京都、静寂の世界
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京都年末年始の旅 初日 平成24年12月31日 大晦日
知恩院三門の前 午後10時09分 大勢の行列が並び
お月さんは顔を覗かせていました
大行列の真後に並び指示に従いゆっくりと歩いて進みますが
午後10時40分に始まった除夜の鐘の音が聴こえてきません
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列に並んでから1時間20分余り経過
大鐘楼に到着したのは 午後11時33分
17名の僧侶たちによる豪快な鐘突きが行われていました
午後11時35分
午後11時37分
午後11時39分
午後11時41分
大鐘楼を半周廻って除夜の鐘詣でした時間はおよそ10分間でした
除夜の鐘は17名の僧侶たちの 「え〜いひとつ」 「そ〜れ」 の掛け声で
一打一打、打ち鳴らされます
その掛け声が 「へ〜い、僧都」 「そ〜れ」 と言ってるように聴こえます
今年もそう聴こえました |
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京都年末年始の旅 四日目
平成25年1月3日 午前11時 金戒光明寺
三重塔に向かって石段を上がり左に折れ
案内の表示板にしたがって
しばらく登っていくと右側の奥に
会津藩殉難者墓地
刻まれた墓碑銘は判読不明が多くあり 時の流れを感じました
会津墓地の由来を記した漆黒の石碑が建っています
幕末、文久2年(1862)閏8月1日、京都守護職に任命された会津藩主松平容保は
入洛しここ金戒光明寺黒谷に会津の本陣を置いた、時に容保28歳
容保は新撰組を掌握し、禁門の変(元治元年・1864年7月19日)で活躍、
佐幕を奮然として差配した。以降、慶応3年(1867)までの幕末の動乱、
鳥羽伏見の戦いで命を落とした会津藩士352名が、ここに眠っている
会津藩墓地をお参りし急な石段を降りると京都の街が眼の前に拡がっていました
盆地の向こうに見える峰々に 故郷会津で見た風景を憶い
忠義に殉じて異郷の地で逝った会津の侍たち
嗚呼・・・352名
こぼれ出る涙をハンカチで拭いながら金戒光明寺を後にしました
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京都年末年始の旅 初日
平成24年12月31日大晦日 午後6時24分〜6時54分
新年を迎える三条通を約30分ぶらり
寺町通筋に近づくにつれて街歩きを楽しむ人が増えていく
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平成25年1月2日 京都年末年始の旅
三日目午前中、銀閣寺へ
平成25年1月2日午前11時05分
銀閣の屋根に止まった青銅の鳳凰
飛び立つ気配はまるでありません
このまま何十年、何百年と留まるつもりなのです・・・
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