過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

イメージ 1

カテゴリ SF/ファンタジー  
製作年 2009年  
製作国 日本  
時間 1時間56分 
公式サイト www.kuuki-ningyo.c... 
公開日 2009-09-26〜 公開中  
監督 是枝裕和 
R-15  
出演 ペ・ドゥナ ARATA 板尾創路 高橋昌也 余貴美子 岩松了 

古びたアパートで持ち主の秀雄と暮らす空気人形は、ある朝、本来は持ってはいけない「心」を持ってしまう。彼女は秀雄が仕事に出かけるといそいそと身支度を整え、一人で街へと歩き出す。メイド服を着て、おぼつかない足取りで街に出た彼女は、いろいろな人に出会っていく。ある日、レンタルビデオ店で働く純一と知り合い、そこでアルバイトをすることになる。ひそかに純一に思いを寄せる彼女だったが……。

09年のカンヌ国際映画祭「ある視点」部門でワールドプレミアを果たした本作は、心を持ってしまった空気人形と人間の交流を温かく見守るファンタジー。『ワンダフルライフ』や『歩いても 歩いても』などで“生きるということ”を見つめてきた是枝監督が、業田良家の短編コミック「ゴーダ哲学堂 空気人形」を映画化した切ないラブストーリー。『リンダリンダリンダ』で日本映画にも出演経験のあるペ・ドゥナが空気人形を熱演。共演者には、是枝作品は3度目の出演となるARATAや板尾創路、オダギリジョーなど個性派が顔を揃えている。また、アジアを股にかけて活躍する撮影監督リー・ピンビンのカメラによる東京の情緒豊かな風景が見応え充分だ。

人はどうして、心に空虚を感じるのだろう。自分の求めているものが、手に入らない為の空間か、もともとそこにあったのものが失われた為に、生じてしまった空間か。おそらく後者だろう。失われてしまったものの代用品として、何かを求める。何かをあてがう。

そうだ代用品。映画の中で、空気人形(ペ・ドゥナ)は何度も自分のことを代用品だと言っている。人は何かを失うと、その心の隙間を埋めるため、代用品を求めるのだ。しかし、それは所詮代用品。もともとそこにあったものではない。だから、人は代用品を使っても、心から虚しさを消しきれない。

都会に住む人たちも、みんな心が空ろだ。
空気人形の持ち主の秀雄はファミレスの店員。人形には、自分が店長のように振舞っているが、実際はただの店員で、自分が店長から言われたことを、そのまま繰り返して言っているのに過ぎない。「お前の代わりなど、いくらでもいる」。秀雄は自分自身の代用品が用意されることに恐れを抱いている。

元高校の教員であった老人は、自分の心も空っぽだと言う。そもそも代用教員なのだ。老人の語るかげろうの話が、とても切ない。産まれても、短い時間ですぐ死んでしまうかげろう。身体の作りもいたってシンプルだ。そんな短い生命でも、生きる意味はあるのだろうか。

未亡人(富司純子)は、ニュースで事件を見つけては、何故か自分が犯人だと派出所に自首しに行く。夫を失い、一人暮らしのようだ。家でも町でも、誰も相手をしてくれない。そんな喪失感を満たすためには、犯人にだってなれるのだろう。

未亡人の相手をしている派出所の警官(寺島進)は、レンタルビデオ店に来ては、汚職警官の映画を探している。やはりどこか、屈折しているように感じられる。

同じ受付をしている若い女性ばかりに注目がいくことに不満の受付嬢(余貴美子)。拒食症のOL(星野真理)。浪人生。みんな心の虚ろを埋めるために、躍起になっている。

小学生の女の子は、母親を失ったようだ。レンタルビデオ店長(岩松了)は家ではいつも一人。家族は出て行ってしまったのだろうか。

ビデオ店員の純一(ARATA)も、どうも彼女の別れたばかりのようだ。だから純一も心が虚ろ。空気人形に自分も同じようなものだと言ってしまったことから、悲劇が起こる。空気人形の勘違いが悲しい。人間は形容するので、言葉通りのことを言っているのではないのだが、心を持ったばかりの空気人形には、その真意が伝わらない。言葉通りに受け取ってしまうのだ。

老人も、空気人形に、仲間が大勢いるというふうに、勘違いさせてしまった。受付嬢のストッキングのラインが、空気人形の継ぎ目のラインと同じように思ってしまうところなど、可笑しいんだけど、どこか悲哀を感じてしまう。

空気人形が、いつのまにか押入れの中に入れられていると思ったら、もう外には空気人形の代用品がいた。代用品とは、すぐに捨てられてしまう宿命なのだ。代用品だから。

空気人形が生みの親の人形師(オダギリ・ジョー)に合うシーン。捨てられてしまった人形たちの残骸が、残酷に見える。人形師が言う、「ひとつひとつ顔が違うだろう」というセリフが印象的だ。出荷された時には、みんな同じ顔をしていたはずなのに、過ごした時間が違うと、顔も違ってくる。人形が大切に扱われたかどうか、顔に出るというのだ。大事にされた人形は、きっと幸せな表情になるのだろう。そういった意味では、本当に人形には心が宿るのかも知れない。

空気人形が、純一の息によって膨らんでいくシーンは、官能的だった。好きな人の息で身体が満たされていく。空気人形の幸せとは、こういうことなのだろうか。大切な人の何かが、自分の心の虚ろを埋めてくれる。人間の幸せもまた、同じことなのではなかろうか。

しかし、そんな純一が、空気人形にせがんだのは、空気を抜いたり入れたりすること。これって一体…?

空気人形が、自分で自分に空気を入れるシーンは、とても微笑ましかった。だからこそ、そんな生命のエネルギーを注ぎ込む空気入れを捨てたのは、ショックだった。彼女は人間と同じように、自然に死んでいく道を選んだのだ。

ラストはかなり辛い。そして、空気人形が見る夢。誕生日を登場人物全員で祝ってくれるシーンには涙が溢れる。空気人形も、人間も結局は同じだ。自分の心の虚ろを埋めてくれる、そんな人間同士の繋がりを、心の底では求めている。しかし、大切な人は一人しかいない。父も、母も、夫も、妻も、子供たちも、それぞれ一人ずつしかいない。失われれば、二度と再び目の前に現れることはない。だから、代用品など、そもそも存在出来ないのだ。

そして、誰もが代用品などではない。たった一人のその人そのものなのだ。

     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

空気人形を演じた、ペ・ドゥナが良い。
「リンダ・リンダ・リンダ」の頃から、面白い顔をしているな、くらいにしか思っていなかったが、今回彼女の裸の演技には注目せざるを得ない。生身で演じる、空気が抜けたり入ったりしていく微妙な感じが、観客に切なく伝わってくる。

彼女の片言の日本語が、初めて心を持った人形という設定にもマッチしていた。メイド服を着たとぼけた姿や、ちょこちょこ歩く姿が可愛らしい。天井までフワフワ舞い上がる姿が、本当に軽く感じられる。自分で自分に空気を入れるシーンも良い。

そして、事の終わった後、自分で自分を洗うシーンは、とても淋しい。

舞台がレンタルビデオ屋なので、映画に関する会話は、映画ファンとして嬉しい。
ペ・ドゥナが、「仁義なき戦い」のテーマ曲を口ずさんで歩いてくるところも可愛かった。

開く コメント(18)

全1ページ

[1]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事