親獅バンド

私達は地元高円寺・中野のイベントを中心に活動する中年ロックバンドです。

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頭脳警察3

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頭脳警察3

中野区立中央図書館で見つけて予約を入れようやく今日聴いている。

頭脳警察は日本のロックバンド

ホームページ ↓
http://www.fly-p.com/

1970年代に活躍した元祖日本のパンク。

パンクというよりプロテストソングというか革命ソング。


実は自分にとっては幻のロックバンドだった。

当時、購入していたガッツとか新譜ジャーナルといった雑誌に頭脳警察の歌詞が紹介されたり、

一度、聴いてみたいと思っていたのに・・・


ファーストアルバムは政治的にあまりに過激な歌詞から発売禁止。

セカンドアルバムも放送禁止。

という訳でリアルタイムに経験出来なかった。


30年以上たって中野区立中央図書館からの借り物だけど自分の手元にあるなんて・・・

すごく、幸せな気持ちで満たされた。


頭脳警察のPANTAさんは今もライブハウス中心に活動しているというから、すごい。

僕らより上の世代だけど、この頃の人たちって結構元気。


あまり、期待し過ぎてしまって、このサードアルバム本当の良さってまだ伝わってこない。


タイトルだけ紹介するとサードアルバムは・・・

  1.ふざけるんじゃねえよ
  2.嵐が待っている
  3.時々吠えることがある
  4.滅び得た者の伝説
  5.少年は南へ
  6.前衛劇団“モーター・プール”
  7.歴史から飛びだせ
  8.無知な奴らが舞い踊る
  9.桃源郷
 10.指名手配された犯人は
      殺人許可証を持っていた
 11.パラシュート革命
 12.光輝く少女よ

てな感じ。

聴きたかったのは、

ファーストアルバムの「世界革命戦争宣言」とセカンドアルバムの「さようなら世界夫人よ」

なんだけど・・・


今は再発売されてどちらも、入手可能なようだ。


発売禁止や放送禁止になったのは、1970年代という時代状況だったんだろうね。

今、30年以上の時を経てパンドラの箱をそっとあけてみても、

時代状況なのかダイレクトに音楽のもつメッセージや毒がストレートに伝わってこない。


もっと、旬に時に聴くんだったと若干寂しい。

フォークロック??

フォークロック??

しばらく、前のこと・・・

ライブハウスkaztouの若いミュージシャンと話題になった。

「若い頃どんな音楽を聞いたか?」と聞かれ、

「日本のフォークロック」と答える。

ところが、「フォークロック」という音楽ジャンルが会話として通じない。

今の若い人たちに・・・

「フォークとロック」でもなく、「フォーク&ロック」でもなく、

「フォークロック」なのだ!!


そうしたら、「あなたの言う、フォークロックとはニューミュージックのことか??」

と言われた。




日本では赤い鳥とかチューリップとかがフォークロックにあたる。

忌野清志郎もフォークロックに含めていいような気がする。


「ニューミュージック」は音楽のジャンルというよりは、

マーケティングの用語なのだ。


「フォークロック」知らないと若い人に言われてちょっと不安になってきた。

フォークロック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

フォークロックは、1960年代半ば、米国に現れたロックのスタイル。

フォークミュージックにロックのバンドスタイルを加味したもの。

フォークミュージックは社会性の強い歌詞に特徴があったが、表現の幅をひろげ、

聴衆への伝達力を増すためロックの手法を大幅に導入した。

当初、聴衆の側から“音楽的堕落”、“世俗への迎合”

といった反発があったことから当時のフォークミュージックの位置づけがうかがえる。

結果として、深い人間洞察や社会の有り様を詩的に活写した優れた作品を生み出した。

社会的な視点からの制作姿勢、深みのある歌詞などは

他のロックミュージシャンに多くの影響を与えた。

とある。


具体的にはサイモン&ガーファンクルやボブティランなどがフォークロックに該当する。

だが、「フォークミュージックにロックのバンドスタイルを加味したもの。」

というフォークとロックの単なる融合・・・という単純な世界でもない。


上記には、「当初、聴衆の側から“音楽的堕落”、“世俗への迎合”

といった反発があったことから当時のフォークミュージックの位置づけがうかがえる。」

とあるように、当時はフォークとロックはスタイルの上で水と油であった。


この点をボブディランで考察してみる。

ボブディランは1965年頃から、後にフォークロックと呼ばれるスタイルに移行し、

エレクトリック楽器を取り入れた演奏をするようになった。

多くのフォーク・ソングの愛好者は、この行為を「フォークに対する裏切り」と見なした。

同年のニューポート・フォーク・フェスティバルでディランは

バック・バンドを従えてステージに上がったが、

従来のスタイルを希望するファンからブーイングを受けて、

数曲演奏したのみでステージを降り、

その後一人でアコースティック・ギターを持ってステージに戻った

というエピソードが残されている。

...これはあくまでサイ&バーバラ・リバコブの伝記に記述された

ややドラマティックな脚色がもたらした風説であり、 実際には歓声もあり、

時間が余りバンドで用意した曲では足りなくなったのでアコギで再度ステージに戻り、

数曲を披露したに過ぎないという証言もある。

ボブ・ディラン  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



当時、フォークソングとロックはスタイルの点で著しい違いがあったと記憶する。

フォークが長髪とジーンズならロックはリーゼントに皮ジャン。


上手く表現出来ないが、文化的に大きな隔たりがあったと思う。

ボブディランがアコースティックギターをエレキギターに持ち替えることは、

こちらの世界(フォーク)からあちらの世界(ロック)に逝ってしまう位、

抵抗が逢ったのかも知れない。

「フォークに対する裏切り」

というのも、すごい・・・


ところが、少なくとも、今の40歳台以下の世代は、フォークとロック アコギとエレキ

といった区別をしたり、そんなに大きな隔たりもなく、どちらも好きだったりする。


今や、スタイルや文化、思想の次元ではなく、単なる音楽の好みの世界の話になったと思う。


そりゃ、僕ら親獅バンドだって、曲ごとにアコギとエレキギターを持ち替えることも・・

フォークとロックとの間をこうもりみたいに行ったりきたりしている。

フォーク調の曲からロック調の曲に移っても、お客さんからブーイングは出ない。

お客さんの半数は関係者のママさんと子ども達だもの・・・


フォークとロックの間にフォークロックというボーダーなジャンルが存在したのも、

ポピュラー音楽史のひとコマだったかも知れない。


でも、フォークロックというジャンルがサウンドとしてキチット定義できるならやってみたいな。

楽器編成としては、生ピアノ、アコギといったフォーク系の音と、

エレキギターによるロック系の音と

ベース、ドラムのリズム隊とを上手に組み合わせて、それっぽいこと出来ないかな。

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