都内でも立川まで来ると、富士山がずいぶん近づいたように見える。

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大規模開発が続く駅北側と違って、南側は駅前を離れれば静かなもの。風が強いのを除けばポカポカ陽気、こんな日に外出とはしめたもの。

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商店の見当たらない「諏訪通り商店街」を抜けて、立川諏訪神社までは徒歩10分ほど。西暦811年に創建された古刹で、鳥居をくぐった境内はなかなか雰囲気がある。

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とは言え、建築物がどれも新しいのがここの特徴。江戸期の」野火による焼失などもあって、現有の本殿や拝殿は2002年に整備されたもの。

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そんな全てを輝かせる、青空の存在が何よりも尊くて。

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境内の一角にある相撲場は、江戸期に編まれた「新編武蔵風土記稿」にも「草相撲と云を修行せり」と記された伝統あるもの。今でも例大祭では奉納相撲が営まれる。

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お昼の時間をずらしたところで、駅前に戻って「ラーメンスクエア立川」へ。ここのところ自分的に柚子ブームではあるんだけど、どう見てもおいしそうではないんだよなぁ…(笑 果たして。

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さて、新宿に戻るかな。

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元日の清瀬。少し風はあるけれど、日射しの温かい小春日和。駅前の宇都宮病院も、辛うじて最後の正月を迎えることができた。

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とはいえ、その命は永くはなさそうで…。

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駅前の移ろいを横目に、相変わらずの佇まいを見せる駅近農地。通りに植えられたけやきの並木が、ぽつんぽつんと田園風景を横切っていく。これが清瀬の、空気感。

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酉年、なんだかあっという間だった。なーんて毎年書いてるけどさ。

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交通規制が功を奏して渋滞のなくなった志木街道、だけど参拝者の列はどこまで続いているのやら…。地域一帯の氏神様として、清瀬をはじめ近隣各市からも多くの人が訪れる。

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武蔵野の雑木林に抱かれたこぢんまりとした佇まいは、東京の片田舎、清瀬にふさわしい。

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並ぶのも大変なので、まずは物販から。←順番がおかしいし、「物販」て何だ。卓上破魔矢(1,000円)、土鈴(500円)、おみくじは「吉」、それから甘酒(200円)を。今年の甘酒はなんか、クセがなくて飲みやすい。

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隣り合った水天宮の参道で、これも例年の大阪焼(2個500円)を購入。ちゃんとしたお参りはこの後、1月3日の夜まで持ち越したらしい…。

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土鈴はなかなか捨てられないので、買おうかどうかけっこう迷った。12支が揃うところまで行ったら、カレンダーの表紙に使ってみようかな、なんて。

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今日のような、小春日和のような、穏やかな日が続きますように。
 
 

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明治維新以降、生糸の輸出を国策に掲げる政府にとって、その大量生産と品質確保は喫緊の課題だった。そこで西洋の技術を取り入れるべく招聘した「お雇い外国人」が、ポール・ブリュナというフランス人技師だった。

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そんな彼が家族やメイドと暮らした「首長館」(ブリュナ館)は、高床の回廊にレンガの赤が鮮やかな軽快な印象。しかしこれはほんの「氷山の一角」であって、裏に回るとその規模と雰囲気の違いにあっと驚かされる。

確かにこれ、外国人の待遇が良すぎて経営を圧迫していたというのもわかる気がする。

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一方で、日本各地から集められた女工たちは、それでも当時としては上々の待遇だったらしい。開業当時の寄宿舎は敷地の北端あたりにあって、6畳一間の116室が用意された。

「六畳敷に六尺の押入れ二ヵ所…三人四人と部屋が決まりました」(「富岡日記」和田英)

1875年末にブリュナとの契約が切れ、さらに製糸場自体が三井財閥に払い下げられた1893年になると、寄宿舎は敷地の南端に移り、主を失っていた首長館は女工たちの夜学校に転用されたという。

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現在は「鏑寮」「榛名寮」の2棟のうち後者だけが残されており、首長館と並べるとその格差がよくわかる。間取りは20畳以上の大部屋4部屋で、開業当時とは大きくコンセプトが変わったものだ。

製糸場はその後、原合名会社、現在の片倉工業と引継がれ、1940年にはさらに奥に「浅間寮」「妙義寮」の2棟が増築された。その後は通いの労働力の増加もあって、新たな寄宿舎は建てられていない。

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場内にはこのほか、食堂、診療所などの福利厚生施設から、幹部用の一戸建てに至るまで様々な施設が詰め込まれていた。長崎の「軍艦島」ほどではないけれど、この「オールインワン感」ないし「ごった煮感」が、工場らしさを醸していて素晴らしい。

ただもう一つでも、立ち入れる施設があればなぁとは思う。

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工事中の西繭置所は、ヘルメット代(200円)の追加で工事を間近に見られる見学施設が整備されているほか、特別公開なんかもあるよう。まぁ今回は、いいかなと。

現在は一周90分ほどの建物群と、小さな売店がある程度だけれど、西繭置所の整備完了の暁には、観光客が滞留できるような場所も用意されるらしい。

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こひつじ写真は、首長館のバルコニー右手から潜入させ正面からパチリで、今回はこれが限界(笑

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帰るころになって、今さら雨が上がってきた。

鉄道利用は僅かだったものの、ツアーバスで訪れる団体客が多く、場内は思いのほか賑わっていた。正門前の商店街はシャッター通りながら、最近開店したスイーツなカフェ(笑)だけは満席だったりと、世界遺産4年生、受け入れる側はまだまだ脱皮中だ。

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上州富岡駅に戻ったのは15時過ぎ。記念になるものは…と思い窓口を覗いたところ、「富岡しるく記念きっぷ」(1,000円)なるものがあったのでとりあえず購入。係員に「しるくですか?」と聞き返され、一瞬戸惑った(笑

この高崎と下仁田を結ぶ上信電鉄もまた、製糸場や三井財閥との関わりが少なからずあるのだけれど、その話はまた別の機会があれば…。

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40分ほど電車に揺られ、高崎到着は16時12分。「たかべん」で駅弁を選んでから、何の気の迷いか(高くて、遅い)特急「草津4号」のグリーン車に乗り込む。温泉帰りの家族連れを起こさないよう、「上州牛肉弁当」(1,200円)の開封はひっそりと…。

上州牛のやわらかステーキ、上州牛のしぐれ煮、錦糸玉子、花人参、舞茸の佃煮、野沢菜のわさび漬け、がり生姜、赤パプリカ、キヌサヤ

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厚みのあるステーキは柔らかくジューシーで、肉を食べたい気持ちにしっかりと応えてくれる。駅弁も追加料金で、「肉ダブル」とかできればいいのに(笑 「たかべん」のメニューには「上州牛ステーキ膳」(2,700円)なるものもあるけれど、さすがに駅売りはしてないみたい。

そしてお土産?は、こんな程度。「見学乗車券」は券売機で買ったから味気ないけど、窓口ではしっかりしたものが買えるよう。なお製糸場の売店は、あんまりピンと来なかった。

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列車は18時9分、終点上野駅の地下ホームに到着。こんな季節だし、雨中のお出かけはしっぽり疲れる。
 
 
富岡製糸場(2017/10/13) その2(終)

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夏休消化最終日は、あいにくの雨模様。

9時32分上野発の高崎行きは、小田原始発の上野東京ライン。北関東への旅立ちということで上野を選んだけれど、すっかり中間駅に成り果ててしまった。それでもまだ充実した売店で、「上野弁当」(1,050円)を購入。このたび一新が図られたというが、果たして…。

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上野らしい掛け紙をめくると、従前の鮭弁当のイメージは維持しつつも、水戸の業者らしく「駅弁史上最大」と思われる肉厚の梅干しがどーんと(笑 素朴さ重視でインパクトに欠けたこれまでと違い、常陸路の名産が詰め込まれた華やかな内容に変わっていた。

茨城県産コシヒカリ、老舗上野の海苔、大洗吉田屋の梅、鮭、蕪の漬物、煮物(里芋、こんにゃく、花人参、スナップエンドウ)、レンコンのたまり漬け、つくば鶏幽庵焼き、納豆の春巻き、椎茸の肉詰め揚げ、玉子焼き、花子丸、常陸牛しぐれ煮、ごぼう将軍

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「常陸弁当」の方がしっくりくるかもね。お品書きを眺め、一品ずつ味わう時間は至福。

高崎到着は11時33分。乗り換え先の上信電鉄は出たばかりだったけれど、旅先での50分待ちは長くない。食券風の券売機で「富岡製糸場見学割引乗車券」(2,140円)を見つけて購入、改札をくぐると地方私鉄御用達の「鉄道むすめ」が出迎えてくれた…(笑

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しばらくすると2両編成の電車が到着、折り返し下仁田行きとなって12時13分に高崎を後にする。車内は意外にも立ち客が出る混雑だったが、それも4つ先の高碕経済大学前まで。以降は田舎電車らしいムードで、田園地帯を快調に駆けていく。

所要40分弱で、12時50分上州富岡駅に到着。ここを訪れるのは10年ぶりになるけれど、世界遺産、富岡製糸場の玄関口として、駅もレンガ風の瀟洒なものに建て替えられていた。

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改札で切符を見せると、「どうぞ」と製糸場までの案内図が渡される。これがまた、帰りの電車の時間もコンパクトに収められた優れもの。まぁ製糸場までは10分程度で、一度来ていれば迷うこともないかな。道中、雨は相変わらず降り続いたままで…。

そんな道のりの向こうから、いよいよ赤レンガの建物が近づいてきた。

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正門脇、1873年築の「検査人館」でスタンプを押してもらい入場。

富岡製糸場は、1872年に国営模範工場として開業した日本初の本格的な器械製糸工場。後に民間に払い下げられ、いくつかの経営者の手を渡りながらも、1987年に廃業するまで一貫して製糸工場として運営されてきた。その後も放棄されず維持されたことが、2014年の世界遺産登録につながっている。

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入場して最初に出迎えてくれるのが、木骨レンガ造の特殊な構造にアーチ状のエントランスを有した1872年築の「東置繭所」。この1階が展示コーナーになっていて、パネルや模型、映像で養蚕や製糸場の歴史を一通り勉強できるようになっている。

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この際、開業当時を再現した模型を使って、場内をざっと説明してしまおうか(笑

向かって右手が正門で、縦方向に走る細長い建物が「東置繭所」、その対面が「西置繭所」、相互を結ぶよう横方向にあるのが「繰糸所」となっている。その「Uの字」形を中心として、手前の「首長館」など関連施設が時代時代で周囲に配されてきた。

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そして肝心の繭は、外階段から上がる2階…何とも神秘的だけど…に保管されてきた。

開業当初は初夏に出荷される春蚕(はるご)を使っていたため、1年間稼働するのに巨大な保管庫が必要だった。夏蚕、秋蚕と出回るにつれ、次第に雑多な倉庫に転用されていくものの、それでも繭の乾燥が重要な製糸工程にこの空間は欠かせないものだった。

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2階の中庭側にはバルコニーが配され、赤レンガと白く塗装された木材との調和が味わい深い。一方で建物の老朽化も顕著に見られ、「西置繭所」が保存修理工事中なこともあって、製糸場全体で立ち入ることができるのは「東置繭所」と「繰糸所」の2棟に限られる。

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そんな「繰糸所」も木骨レンガ造ながら、フランス製の大きなガラス窓が並ぶ明るい室内に柱のない木造トラス構造は、置繭所とは全く違った表情を見せる。通路を中心にずらっと並ぶ繰糸機は、社会科の教科書でいつか見た風景そのまんまだわ(笑

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現在並んでいる機械は1987年の廃業時に使われていたもので、当初のものは長野県内の博物館に現存するというから、そちらもいつか訪ねてみたい。

年期を帯びた機械の、油の滲みた感じがいいね…。煮られた繭から糸口を探し出し、機械で巻き上げる作業は、蚕の生命が絹糸に昇華される過程とも言える。仕上げの工程を経た絹糸は、最後に検査人たちの目を通ったのち世界へ向け出荷されていった。

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ここまでこひつじが登場しないのは、天気が悪いのと世界遺産らしい?ガードの堅さのせい(笑 そぼ降る雨は未だ止まずだけど、少し外を歩いてみようか。

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10年前、2008年2月17日の上州富岡駅。富岡製糸場の一般公開は2005年から始まっていたけれど、このころはどこにでもある、「普通」を絵に描いたような駅舎だった。

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富岡製糸場(2017/10/13) その1
○世界遺産関連の過去記事

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「病院の町」、清瀬駅前に5階建てのビルを構えていた「宇都宮病院」。秋も深まったこの日、建物の周りには解体用の足場が巡らされていた。

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宇都宮病院は1953年に開設された、北口エリア老舗の病院。8月末をもって診療を終了、規模縮小のうえ2分割され、近隣のビルにテナントとして収まった。23年間の歴史を刻んだ建物は駅前という立地を生かし、高層マンションに生まれ変わるそう。

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仮囲いの設置が進む敷地まわり。毎年春の訪れを告げていた桜の木は、枝がばっさり落とされていたけれど移植の準備だと思いたい。

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「清瀬」と言うと、大抵は「病院」か「グラウンド」程度のリアクションしかない、そんな武蔵野の小さな町。歴史ある病院が消え、マンションに変わっていく光景はアイデンティティが失われるようでちょっと寂しい。

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ここもあっという間に、変わっちゃうんだろうな。


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