トトロブログ3

素晴らしいと思いました ブログと記事を紹介します

全体表示

[ リスト ]

太平洋側で高い傾向=今後30年の震度6弱以上確率―関東など上昇・全国予測地図

時事通信 12月19日(金)17時37分配信
 
 政府の地震調査委員会は19日、今後30年間に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率を示した「全国地震動予測地図」の2014年版を公表した。東日本大震災の巨大地震を想定できなかった反省から時間をかけて評価法を改良。活断層が知られていない所で起きる地震の規模(マグニチュード)の最大想定を引き上げるなどの措置を取った。
 千島海溝沿いの北海道東部や、日本海溝沿いの東北地方太平洋側、相模・南海トラフ沿いの関東から東海、近畿南部、四国の確率が高い傾向は、従来法に基づく13年版と変わらなかった。
 地域別では、関東の確率が大幅に上昇した。調査委事務局の文部科学省の試算では、東京都庁付近の確率が26%から46%、さいたま市役所付近が30%から51%、横浜市役所付近が66%から78%に上がった。
 関東の陸側プレートの下に沈み込むフィリピン海プレートの上面の深さが従来の推定より約10キロ浅いと判明し、首都直下地震の揺れの想定が大きくなったことや、今年4月に改訂した相模トラフ沿い地震の長期評価を反映させたことが原因。
 北海道南部と青森県太平洋側も、震源断層を特定しにくい地震の規模想定を引き上げたため小幅上昇。宮城県・牡鹿半島付近は「宮城県沖地震」を単独で考慮することをやめ小幅低下した。 
最終更新:12月19日(金)18時55分
時事通信
 
イメージ
 
【災害大国】あすへの備え

関東大震災 学ぶべき教訓

 日本の地震災害で最多の犠牲者を出した1923年(大正12年)の関東大震災。90年後の今も未曽有の災害から学ぶべきことは多い。10万5千人余の犠牲者の9割近くの原因となった火災は、ちょうど日本海側にいた台風による強風で拡大し、逃げ場を奪った。揺れや大津波、山崩れ、地盤の液状化による被害も大きい、複合災害だった。関東大震災で何が起きたかを知り、現代ならどんな被害が出るかを考え、いずれ見舞われる都市直下の大地震の備えにしたい。

【1】複合被害 各地に爪痕

http://www.asahicom.jp/special/saigaishi/1923shinsai/images/main_info.gif
れんが造りの工場、倒壊相次ぐ
http://www.asahicom.jp/special/saigaishi/1923shinsai/images/1_yure.gif
倒壊した東京・浅草の「十二階」凌雲閣=東京・浅草
 「十二階」とも呼ばれ、当時、東京で最も高かった浅草の凌雲閣(りょううんかく)。50メートル余の高さで、電動エレベーターも備えていたが、揺れで8階より上が崩落した。壁面の一部がぶら下がって残り、危険なため、爆破して解体された。
 地盤の弱い隅田川の東岸などで建物の倒壊率が高かった。中心部の赤坂から日比谷、丸の内、大手町や神保町、水道橋へと続く帯状の地域も震度6強〜7相当と推定される強い揺れに見舞われた。
 丸の内に建設されたばかりのビルも被害を受け、建設中だった内外ビルディングが倒壊して多数の作業員が圧死した。当時の基幹産業だった紡績工場も、れんが造りの建物が倒壊し、神奈川県を中心に工場で約2200人が犠牲になった。富士瓦斯(がす)紡績の保土ケ谷工場では、れんがの壁が倒壊して女子従業員ら450人余が死亡した。
 当時の東京府で約2万4千棟の住宅が揺れで全壊。3500人余が犠牲になった。揺れが強かった神奈川県では6万3千棟余が全壊、約5800人が犠牲になった。

90年経ても通じる教訓

 【編集委員・黒沢大陸】9月1日午前11時58分に発生した関東大震災は、マグニチュード(M)7・9の巨大地震だった。震源域は神奈川県から房総沖に及ぶ、長さ130キロ、幅70キロの範囲におよんだ。
 大きな余震が相次いだ。発生から5分で東京湾北部と山梨県東部でM7級の余震が起きた。東京・上野で地震に遭った物理学者の寺田寅彦は「最初にも増した烈(はげ)しい波が来て、二度目にびっくりさせられた」と書き残している。
 M7級の余震は2日までに計5回。その後も、翌年1月の丹沢地震(M7・3)など、阪神大震災級の余震が6回。気象庁のまとめでは、1年間でM6以上の余震は29回に達した。関東大震災の研究を続けてきた武村雅之・名古屋大学教授は「本震は一級、余震は超一級だった」と表現する。
 東京の中心部でも現在の震度6〜7に相当する地域があった。住宅の倒壊による死者は全体で1万1086人、阪神大震災の犠牲者の2倍だった。
 大震災が起きたとき、台風が新潟県付近にいた。台風に吹き込む形で、関東地方には強い南風が吹いていた。今の大手町では秒速10メートルを超えた。さらに、深夜には20メートル以上の風が観測された。炎が起こす風が加わったとみられる。台風の移動とともに風向は変わり、延焼につながった。全体の犠牲者10万5385人のうち、火災が9万1781人を占めた。
 震源域は陸上にも及ぶ直下型地震だったが、本来は相模トラフ沿いで起きる海溝型地震だった。震源域が海底にあるため津波が発生、伊豆半島東岸や神奈川県の相模湾岸、房総半島を大津波が襲った。山崩れや地盤の液状化も広範囲で起きた。多様な地震被害が同時に起きた複合災害だった。
 学ぶべき教訓も多い。
 都心部で大きく揺れたのは元禄地震(1703年)や安政地震(1855年)と同じ場所。次の地震でも大きく揺れる恐れがある。今は、企業の本社や官庁など災害時に司令塔となる施設が密集している。土地の開発で、揺れやすい場所はさらに増えている。
 当時の東京市での134件の火災のうち、初期に消し止められたのは57件。都心部の大地震では消防力を超える火災が起きる恐れがあり、延焼の危険が大きい木造住宅の密集地域の対策が急がれる。
 避難場所となった軍服工場である被服廠(ひふくしょう)跡地では荷車で持ち込まれた家財道具が火災で燃え、人々は身動きできなかった。東日本大震災では、大津波から逃げようとした自動車による渋滞が発生した。社会の変化と災害の起き方を踏まえ、避難のあり方や避難場所の安全性を改めて確認する必要がある。
 横浜や横須賀であった石油タンクなどの火災は、現代では社会を支える湾岸部のコンビナートのリスクを示している。
 神奈川県の大山では地震から2週間後に降った雨で土石流が発生した。直接被害だけでなく、大地震では土砂崩れや治水施設の損壊が多発する恐れがあり、復旧が進む前の台風や豪雨を想定する必要がある。大きな余震も含め、地震後も相当期間は警戒を怠れない。
 
イメージ
 
 

転載元転載元: トトロ6

閉じる コメント(2)

顔アイコン

★≒グッドイブニング≒✪
わたくしも、先程の「ニュース」で知りましたよ
「四国」「関東」危険ですね
ナイス

2014/12/19(金) 午後 10:36 [ メイ ] 返信する

こんばんは\(^▽^)/メイさん
政府がメデアに情報を流す時はイエローからレットゾーンに
近い時かも(;゚Д゚)!
お互いその時の備えをして起きたいですね(*´∀`*)

メッセージと応援の
ナイスをありがとうございました

2014/12/20(土) 午後 6:51 トトロ3 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事