暇人の戯言<Ocurrencias de un ocioso>

徒然なるままに、日ぐらし硯に向かいて、よしなし事を、そこはかとなく書いております

メタルマクベス

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メタルマクベス

「お父さん、マクベス見に行く?」と、娘から電話があった。「マクベス?シェークスピアか」と聞くと、「そう、ヘビメタのミュージカルだけど、日曜日空けといて。ママにも伝えてね」と言って、慌ただしく電話が切れた。
 「おい、ヘビメタって何だ」とかみさんに聞くと、「ヘビーメタルのことよ。ロック・ミュージックのこと」と言う。「お前、そんなこと知ってるのか。メタルマクベスとかいうのを見に行こうと言ってるよ」と伝える。
 ヘビーメタルは「ヘビメタ」とも言うそうだが、1960年代終わりから70年代初頭にかけて、イギリスなどで発展したロックのスタイルだという。
 京葉線新木場駅で有楽町線に乗り換え、豊洲駅で降りる。娘が迎えに来ていた。豊洲の変わりようにびっくり。数十年前は下町風の街だったが、高層マンションが建ち並び、様変わりである。
 子供連れのニューファミリーが遊ぶ豊洲公園を横切り、豊洲ふ頭沿いの遊歩道を歩く。WILD MAGICでバーベキューを楽しむ若者たち。有明通りを潜ると、かまぼこ型の新豊洲Brillaランニングスタジアムが見える。中を覗くと、元川崎ベルディの武田選手に挨拶された。中々感じのいい青年だ。
 公演会場であるIHI STAGE AROUND TOKYO前を通り、開業したばかりの豊洲市場へ向かう。しかし、人通りが少ない。警備員に日曜祭日は休みと知らされる。やむなく、屋上緑化広場に上る。お台場、レインボーブリッジなど、進化を続ける東京港ウォーターフロントが見渡せる。高層ビルの間からわずかに東京タワーが顔を出していた。
 IHI STAGE AROUND TOKYOは、観客で一杯だった。係員に誘導され席に着く。座席数1,314席の円形劇場だ。オランダ・アムステルダムのTheater Hangaarに次ぐ世界で2番目の360度回転する劇場で、2020年10月まで営業するとのこと。
 大音響の中、照明と映像を織り交ぜて始まる。時は2206年、繰り返す戦争によって荒野と化した未来。レスポール王(ラサール石井)率いるESP王国が誇る無敵の将軍・ランダムスター(浦井健治)は、親友エクスプローラー(橋本じゅん)と共に城へと帰る途中、3人の魔女に「万歳!マクベス!いずれは王になるお方」と告げられる。
 「マクベス?残念ながら人違いだ」と訝る2人に手渡されたのは、1980年代に活躍したヘビーメタルバンド「メタルマクベス」のCDだった。バンドメンバーの顔は、ランダムスター、エクスプローラー、そして忠臣・グレコ(柳下大)にそっくりだった。
 居城で待つランダムスター夫人(長澤まさみ)は、夫がやがて王となるという予言を知り、それを確実に実現させるため、王を殺すことをけしかける。
 ためらうランダムスター、短剣を差し出すランダムスター夫人。「やるなら今しかないのよ、ランディ」の言葉に、ランダムスターは意を決し、しっかりと剣を握りしめ王の寝室へと向かった。
 翌朝、身重の妻(峯村リエ)と共に城を訪れたグレコは王の死を知る。首謀者は王の息子レスポールJr.(高杉真宙)だと言い張るランダムスター。だがJr.の教育係でもあるグレコは、ひそかにJr.をフェルナンデス国・パール王(粟根まこと)の元に逃がす。
 魔女達の予言通り王位についたランダムスター。しかし罪の意識に苛まれ夜も眠れず、1人地下室に籠りメタルマクベスのCDを聞き続ける。
 予言に振り回され、暴君と化し、破滅への道を進んでいくランダムスターに、とうとう反乱の火の手があがり、貴族や王子らの復讐に倒れる。
 客席が回転するたびに、舞台が回転しているような錯覚に捕われ、劇場にいるという感覚を忘れるほどの臨場感であった。戦争により荒野と化した2206年ではあるが、衣装や剣を持ち戦うさまは600年前の「マクベス」の時代である。
 劇団☆新感線を主宰するいのうえひでのりは、「メタルマクベスは約10年暖めてきたタイトル」だと言う。新感線初のシェークスピアであり、へビーメタルサウンドに乗せた全く新しい「マクベス」だ。
 脚色にはクドカンこと宮藤官九郎。「シェークスピアはほとんど読んだことがない」と言いつつ、現代感覚溢れる感性で、膨大なセリフの原作を歌に乗せて進行する物語として書き上げた。
 そんなメタルマクベスの世界に、ランダムスターやランダムスター夫人など最高のキャストが集結した。へビーメタルサウンドを支えるMMG(METAL MACBETH GROUP)と名付けたバンドには、岡崎司らが参加した。
 実在のスコットランド王マクベスも、ヘビメタのロックに乗せて演じると、シャークスピアとは様変わりなものになる。
 様変わりした豊洲の摩天楼の夜景を見ながら、「メタルマクベス」のヘビメタロックに浮かされて、雑踏の中を豊洲駅へと戻った。

平成30年12月2日

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俳句ー69


もみじ酒 ほろり酔いける 休閑日

短日や だいこんこんにゃく ん五つ

日短か 冬至冬なか 冬はじめ

ぬるま湯の 風に吹かれて 師走かな

俳句の日 煮物ふるまう 宇田ばあちゃん

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ガンダーラ・仏教文化の歩み

 ガンダーラは、現在のアフガニスタン東部からパキスタン北西部にかけて存在した古代王国である。カーブル川北岸に位置し、その東端はインダス川を越えてカシミール渓谷の境界部まで達していた。
 ガンダーラ王国は紀元前6世紀から11世紀まで存続し、1世紀から5世紀には仏教を信奉したクシャーナ朝のもとで最盛期を迎えた。しかし、5世紀には中央アジアに存在した遊牧国家エフタルの侵入を受け、その繁栄は終わりを告げた。
 1021年にイスラムのガズナ朝のスタン・マフムードにより征服された後、ガンダーラの地名は失われた。現在のアフガニスタンのガンダハールという地名は、ガンダーラに由来するとも言われる。
 ガンダーラ美術はギリシャ、シリア、ペルシャ、インドの様々な美術様式を取り入れた仏教美術として有名だ。インドで生まれた仏教は当初、偶像崇拝を否定していたが、ガンダーラでギリシャ文明と出会い、仏像を初めて生み出した。それはやがて、インドから中国や日本へと伝わった。
 特別展「ガンダーラ―仏教文化の姿と形―」が、松戸市立博物館で開催された。ガンダーラの仏教美術品やシルクロードの交易品、日本各地の出土品などから、ガンダーラで生まれ日本で花開いた仏教文化の世界に触れている。同館所蔵の仏教美術品37点をはじめ、各地の博物館や美術館の所蔵する約200点が展示された。
 日本の仏教美術の源となった「ガンダーラ」の仏教彫刻「菩薩半跏像」や仏頭、把手付水瓶、カニシュカ1世金貨、浮彫「四天王奉鉢」などが並ぶ。インド風の渦巻状の髪(ラボツ)とは違う高い鼻とウェーブのかかった髪の仏頭に、ギリシャ文化の影響が窺える。 
 西はローマから東は洛陽に及ぶ長大なシルクロードは、ガンダーラで花開いた仏教文化を日本に伝える上で、大きな役割を果たした。6世紀中頃に仏教が日本列島に伝来し、日本初の本格的寺院・飛鳥寺の建立など、7世紀に仏教文化が花開いた。型で大量生産されたタイル状の塼仏(せんぶつ)、古墳から出土した吉祥天立像なども紹介されていた。
 博物館のある21世紀の森広場では、松戸市国際文化祭が行われ大変な賑わいだった。モンゴルのゲルが2棟立ち、民族衣装の試着や馬頭琴の試し弾きも行っていた。馬頭琴は簡単に音は出るが、雑音でしかなかった。
 松戸モリヒロフェスタ〜おいしい・たのしい・おしゃんてぃ〜も開催していた。ラーメンサミット、キッチンカーによる飲食物販売、農産物販売など、想像以上の賑わいだった。以前は屋台だったが、今はキッチンカーだ。昔懐かしい発動機の運転が目を引いた。発動機オタクらしく、趣味でやっているとのこと。色々な人がいる。
 仏教の開祖・釈迦は、紀元前5世紀前後に北インドのルンビニで生まれた。生まれてすぐに7歩歩いて、右手で天を左手で地を指し、「天上天下唯我独尊」と唱えたという。
 インド東部ビハール州ネーランジャヤー川のほとりにあるブッダガヤは、釈迦が悟りを開いた聖地である。ブッダの菩提樹や沐浴の蓮池がある。大菩提寺・マハーボーディ寺のまわりには、中国寺、日本寺、ネパール寺など、各国宗派の寺院もあるという。
 繁栄を続けたガンダーラ王国は、遊牧国家エフタルの侵入を受け、その繁栄に終わりを告げる。イスラムのガズナ朝のスタン・マフムードにより征服された後、遂にガンダーラの地名さえ失われた。そのため、貴重なガンダーラ仏教遺産に、悲しいほどの傷がついていた。
 「そこに行けばどんな夢もかなうというよ 誰もみな行きたがる遥かな世界 その国の名はガンダーラ」と歌う「ゴダイゴ」のメロディーが、遥かインダスから聞こえてくるようだった。

平成30年11月23日

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俳句ー68


歳の暮 達者の知らせ 柿届く

つるし柿 縁側で婆 お茶を飲む

燧岳 続く尾瀬道 草紅葉

パンジー(爺)は 親爺の顔か 鉢に植え  

小春日に 調整池の 浮寝鳥

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真間の手児奈

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真間の手児奈

 一説によると、今から1300年ほど昔、真間の井に水を汲みに行く一人の女性がいた。名前は手児奈という。身なりはそまつだったが、とても美しいと評判だった。多くの男性から結婚を求められたが、「私の心はいくつでも分けることはできます。でも、私の体は一つしかありません。もし、私が誰かのお嫁さんになれば、ほかの人を不幸にしてしまいます」と悩み、日没の海に行く(当時の真間山の下は海だった)。「そうだ、あの太陽のように」と、海に身を投げてしまった。これを憐れんだ人々は、手児奈霊神堂を建てて祀った。
 この伝説を聞いた万葉集の歌人たちが想像力をかきたて、いくつもの和歌を残している。手児奈は、飛鳥時代舒明天皇の頃、勝鹿(葛飾)の真間に住んでいた絶世の美女だった。
 絶世の美女の悲しい運命と出会うため、市川市真間の手児奈霊神堂を訪ねた。総武線市川駅を真直ぐ北に歩く。真間川に架かる手児奈橋の袂に、山部赤人の和歌「葛飾の真間の入江にうちなびく 玉藻刈りけむ手児奈し思ほゆ」の説明版があった。真間川を越えると程なく弘法寺・手児奈霊神堂に到着する。奈良時代に行基が手児奈の故事を聞き、その霊を慰めるために開いた弘法寺に霊神堂はある。
 若い女性が、時折手を合わす。「良縁成就」「孝子受胎」「無事安産」「健児育成」の御利益があり、真間の地を守護する女神として信仰を集めている。市川市に住んでいたさだまさしが、当時奉納した「縁結びの桂の木」がある。桂の木は、縁結びの木と言うそうだ。
 隣の亀井院に、手児奈が水汲みをしたという井戸がある。この「真間の井」は崖下の湧水であった。崖のことを古語・方言で「ママ」という。北原白秋が一時、この庫裏に住んでいた。最も困窮した時代で、「米櫃に米の幽かに音するは 白玉のごと果敢かりけり」と詠んでいる。また、「蕗の葉に亀井の水のあふるれば 蛙啼くなりかつしかの真間」と真間の井も詠んだ。
 階段を見上げ、海抜22mの真間山を登る。山門を潜ると弘法寺だ。山門の右手に小林一茶の句碑「真間寺で 斯う拾ひしよ 散紅葉」がある。左手には水原秋桜子の句碑「梨咲くと 葛飾の野は とのぐもり」もあった。
 弘法寺は奈良時代に行基の開いた求法寺に始まり、平安時代に空海が弘法寺と改称した。その後、天台宗に改宗し、鎌倉時代に日蓮の布教を受けて日蓮宗に改宗した。江戸時代には家康より朱印地30石を与えられた。
 海抜22mの真間山からの眺めは素晴らしい。真下に亀井院の真間の井が見える。万葉集の歌人高橋虫麻呂が詠んだ「勝鹿(葛飾)の真間の井見れば立ち平し 水汲ましけむ手児奈し思ほゆ」の説明板がある。老人が1人、もの思いに耽っていた。
 樹齢400年という立派な枝垂桜「伏姫桜」がある。下に富安風生の「まさをなる 空よりしだれ ざくらかな」の句碑があった。全長43mの前方後円墳もあるが、台地の崩壊で半壊状態だった。
 山門から階段を下る。大門通りが海に向かって真直ぐに伸びている。上総国府から下総国府(国府台)に入るメインストリートだった。途中に「真間の継橋」がある。「足の音せず行かむ駒もが葛飾の 真間の継橋やまず通れむ」(読み人知らず)の説明版。「足音を立てずに行く馬が欲しい。真間の継橋を渡っていつも手児奈のもとへ通いたい」という意味らしい。
 世界の三大美女はクレオパトラと楊貴妃、そして小野小町という。小野小町は平安時代の歌人だが、飛鳥時代に手児奈というこれほど悩ましい女性がいたとは驚きだった。
 閑静な住宅街の小奇麗な店が並ぶ大門通りを抜け、市川駅に戻った。
 万葉の時代から今日まで、多くの作品に取り上げられた市川・真間の地は、文学の古里とも言える。

平成30年11月17日

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