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U2のアルバムのラスト・トラックにあまり明るい歌はないような気がしていた。ここ4枚について並べてみる。
Grace/ATYCLB
Wake Up Deadman/POP
The Wanderer/Zooropa
Love Is Blindness/Achtung Baby
この中で "Grace" は穏やかな光を感じるような曲だけれど、実は日本版で聞いてるワタシにとってのラスト・トラックは "Ground Beneath Her Feet"だ。
それをいうならPOPのラストは "Holy Joe" だけれど、こちらはもっとボーナス色が濃いからなのか、 "Wake Up..." で終わり、という感じがする。
何を言いたいのかというと、初めて "Yahweh" を聴いたとき、U2にはめずらしい華やかなフィナーレだなあと思ったんだ。客電をみんなつけて、2万人で大合唱して終わる、エレベ・ツアーのフィナーレのよう。そしてゴスペルではなく聖歌としての壮大な祈りの歌。
ところが歌詞を読んでみると、決して明るくも華やかでもない。なにしろ靴やシャツから始まって、最後は「それがあなたの望みなら」「この心も奪え、そして壊せ」という言葉で終わるんだから。
この点には前作の "Peace On Earth" でも歌っていた神へのいらだちが感じられる。
と同時に、自分はいつでも献身の用意があるという神に対するメッセージは、これまでにも度々歌われている。"Vertigo" の 「All of this can be yours」 や、MDの「ロマンティックな愛を諦めてもいい」というのも同類項に含まれるかもしれない。
Yahwehという、口にすることがタブーとされているような神の名を連呼する点は、非常に挑戦的だと受けとることもできる。このことについてはボノが「敬虔なユダヤ教徒が怒らないといいんだけど」と言っているし、エッジもそんな懸念を口にしている。
だけど本来のYahwehというのはユダヤ教だけではなく、キリスト教やイスラムにも共通の唯一神の名だ。
ボノはYahwehの名を呼ぶことで、宗教間の壁を取り除き、お互いに歩み寄ろう、理解し合おうという祈りを捧げているのではないかと思う。
かつて「Midnight is where the day begin 真夜中は一日の始まり」と歌ったときには、闇に対してさえ希望を持っていいのだという思いが感じられた。
(ワタシはこの歌詞がとても好きで、にわかにどの曲か思い出せないくせにこのフレーズだけを口ずさんだりする。ワタシが絶望を信じなくなったのは、たぶんこの言葉のおかげもあるだろう。)
けれどそれから長い時間待っても、まだ夜明けは訪れない。夜明けがくることを信じて待ち続けはするけれど、一体本当にこの闇は必要なんだろうか、神は闇を望んでいるのかという疑念が生まれる。
子どもが生まれる前に痛みが必要なように、この闇は何かを生み出すために存在しているのだろうか。
曲の終わり近く、ボノは神に問いかける。「なぜ夜明けの前には暗闇があるのでしょうか。教えてください」。
神が答えることはない。けれどそれはすなわち神の不在ではないと信じるから、ボノはまた待ち続ける。
ただし、指をくわえてじっとしているわけではない。待っている間にボノが何をやっているかはワタシたちはよく知っているし、神の視線が地上に向けられるなら、神もまたそれを見るだろう。
そのことを思えば、夜明けは必ず来るのだと信じることができる。
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