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きみはきみ自身をゴスペルの伝統に近づけていった。説教師をのりうつらせるように。つまり、最初に現れたロックは、おかしな説教師から進化したんじゃないかな。
ああ、そうだね。
きみは全くのコメディアンにはなれなくて、おかしな説教師になったんだって言いたいのかな?
ある意味、U2が多くのロックン・ロール・ピープルと同じ場所にいる、エルビスに戻っていくっていうのは面白くないかい?
ゴスペルやブルースの要素はそれだ。つまり一方にはポジティブな、もう一方にはマイナスの終着点がある。そしてエルビスのダンスはまったく電気椅子だね。
80年代初期に戻ろう。きみ自身、成功しないかもしれない、バンドは失敗して、何か適当な職を探して、生活のために稼ぐまじめな人間にならなくちゃいけないかもしれないと思ったときはあったかい?
たぶんポップ・マート(1997-98のツアー)の前に。あの頃だよ。
最近のことだね。
うん、なぜかって言うとね、ぼくらは破産の危機にあったんだ。ほら、Zoo TVのコストがすごかったんだ。1回のステージをやるのに、25万ドルかかったんだよ。そうだな、もし観客が10%少なかったら、ぼくたちは破産してただろうね。それもちょっとやそっとじゃない、大規模な破産だよ。
今ではそんなことは考えられない。1日に25万ドル、すごい金額だよ。
それ以来ぼくたちはリスク対策をしてくれる人間を見つけたけど、いずれにしてもぞっとする話だ。
アリに重大な失敗をした場合のことについて話したのを覚えてる。彼女はまったく怖れなかった。
「最悪の場合、家を売って、必要のない物件を売り払ってもっと小さな家を買って、普通の生活を送っている友人たちと同じように暮らせばいいんでしょう? それに何か問題があって? 友人たちは変わらないわ。すんでいる土地を離れるわけでもないし、そんなに恥じるようなことでもない。彼らはたぶんほっとするでしょうね、『おお、神よ……』って」(笑)
彼女は挫けなかった。ぼくもね。
ローリング・ストーン誌はZoo TVのことをライブ・ショウのサージェント・ペッパーだって書いたよ。草分けだって。
ぼくたちは楽しんだし、最後には多少儲かった。ほんとに少しだけど。でもそれでよかったんだ。ぼくは軽薄にも下品にもなりたくない。
底の方にいるよりは、てっぺんにいる方がましだろ。でもあの時だけは失敗について考えたよ。それからはまったく考えたことがないけどね。
正直になってくれよ。きみはそれ以前にはまったく失敗することを考えなかったって言うのかい?
思い出せないな。
ぼくらがなるべきものになれなかったら、怒って混乱するだろうとは思っていたよ。でもいつだってできるんだと思っていたんだ。けっしてできないとは思っていなかった。そしてそうなってすぐに、はっきりとしたね。(笑)
疑念、自己疑念というのは常に物質的なもの、自分たちの才能についてであって、向かうべき場所について疑いを持ったことはない。もしできなくても、信念は持っていた。なぜならぼくらは部屋の中に入り、一緒に演奏し、みんなの首の毛を逆立たせることができたから。みんなのね。
そこに5人しか観客がいなくても、500人だったとしても問題じゃないんだ。それはでたらめだけど。そんなことは起こらなかった。でももしそうなったとしても、ギグに行って感覚が合わない感じがあるだろ。ジョイ・ディヴィジョンでもさ。
いいかい、羨望と欲望の間には大きな違いがあるんだ。羨望ってのは、自分のものじゃない何かを欲しがること。でも欲望は違う。欲望は、自分自身のもの、でもまだそこにはないものを求めたときに生まれるんだ。これは羨望とは違う。欲望が羨望に変わったら、それはまったく違うものになるってことだ。
それから、ファンからの視点にも違いがある。自分がなれないと思っている存在を見上げることと、なることができる存在を見上げることだ。ぼくもU2も、常にファンにとってはそうなれるものだったんだよ。
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