酔月亭

ブログを引っ越しました! 今後ともよろしくお願いします。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

ボノがjubilee 2000に関わり始めて、11年がたとうとしています。
その間に一つとして、解決された問題はないようにも見えます。
相変わらずエイズやマラリアといった感染症は蔓延しているし、識字率・就学率は低いし、井戸(清潔な水)のない村や紛争をやっている地域も存在する。
しかしその一つ一つの問題に目を凝らしてみると、前進がないわけではありません。
グローバルファンドの取り組みによってエイズ発症を免れるHIVキャリアが増えています。一日に死ぬエイズ患者の人数は、6000人から4000人に減りました。
アフリカ各地で一つ一つ井戸が増え、衛生状態が改善された村が増えています。
子どもの就学数も確実な伸びを見せています。ボノは2005年の数字として2000万人、2007年の数字としては2900万人と言っています。
一方で、これらの努力をひっくり返してしまう紛争はこの数年間で激減し、ほんの5年前には外国人が立ち入ることさえできなかった国でもボランティア活動が展開されつつあります。
まだまだ足りない、けれども確実に前進しているからこそ、ボノは力を注ぎ続けます。

しかし、今また新たな危機がアフリカを襲っています。世界的な食糧危機問題です。
日本においては40パーセントという低い自給率に絡めて、「金があっても買えないという危機的状況」が恐れられていますが、日本が危機を迎えるよりも早く、アフリカ諸国を初めとした貧困国は破滅的な状況に陥るでしょう。
そうなってしまえば、上に連ねたような「前進」はすべて水泡に帰すに違いありません。
5月のTICAD IVに際した来日期間中、ボノは各所でこのことを訴えています。
朝日新聞主筆との対談の中でも、「最も緊急性が高く、重要な課題をひとつ挙げるとすると」という問いに、「おそらく、農業危機に対応する国際的なメカニズムだろう」と答えています。
ルワンダやタンザニアでは、食糧よりも肥料の方が援助として有効であり、求められる肥料の量はヘクタールあたりにして欧米の数十分の一だそうです。肥料さえあれば食糧問題を国内で対処できると、ルワンダの農業大臣は言っています。
もちろんそれは、水資源に恵まれた国だからこそで、砂漠化の進んでいる地域では通用しないのかもしれませんが。
いずれにしても、各国の状況の違いを無視して食糧不足には食糧を供給するというのでは適切ではないということです。

洞爺湖サミットで「開発・アフリカ」は「環境・気候変動」に続く2番目の主要テーマに上げられていますが、海外メディアの伝えるところによると、福田首相は二つのテーマを同等に重く見ているそうです。
アフリカに関わるテーマの中身は「2015年までのミレニアム開発目標(MDGs)達成に向けたメッセージを出す」と「第4回アフリカ開発会議の成果をサミットにつなぐ」というものです。
しかし、前述のように新たな問題が起きつつある現状で、それに対応することなくMDGsを達成することなどできるはずもありません。
またTICAD IVの成果をつなげると言っても、その成果自体が市民社会からは疑問視されています。
日本政府は自らに課された数字を達成することにこだわり、今のところそれはうまくいっているようにも見えますが、アフリカ問題全体を見れば、充分な取り組みがなされているとは言えません。
刻々と変化しつつある現状を無視して達成した数字(ボノは「手品」と評して懸念を示していますが)に意味を見いだすのは、とても危険なことです。
「やったけれど無駄だった」とでも言うのでしょうか。

G8によるサミットは、経済発展が進んで成熟したとされるわずか8カ国の首脳が集まり、世界全体について考える場です。そのこと自体を疑問視し、反対する声も内外に少なくありません。
「サミット開催国」になれるのも8カ国のみ。
2000年の沖縄サミットの時には感じなかった戸惑いや恐れを、今の私は感じています。それはボノのまなざしを追ったからに違いありません。
ボノのまなざしは今、私たちの頭上に注がれている。
政府のすることはいざ知らず、せめて私自身のことだけでも恥じる部分の少ないように、できるだけのことをやりたいと、切実に感じています。

年表作成から始まったボノのアフリカへのまなざしを追う試みは、5月31日のスライド・トークで一応の区切りを見ました。正確に言うと、5月29日夜、すべての原稿が出来上がったところでワタシの作業は終わっていたのですが。
TICADに関してはほぼ後追いになりました。
外務省の本会議も、OurPlanetTVの市民社会セッションも中継は見られず、29日の山下公園も、31日のMTVも、あとでニュースを読んだり動画を見たり。
ボノが日本にいるというのにネットで追っかけかよと、少し面白かった。
でも、事が終わってから検索をかけたおかげで、ボノの行動・発言とともに周囲の反応を見ることもできたのは、もしかしたらよかったのかもしれません。

31日の原稿を作る際に、『ボノ・インタビューズ』と『U2 BY U2』を駆け足で読み直しました。ということはまあ、2冊の本を読めば少なくとも2005年までのボノのことは誰でも終えるということなんですが、それはさておき。
気になった記述(発言)が『ボノ・インタビューズ』の中にありました。
や、気になってたことの裏付けか。見逃してた、気に留めてなかっただけで、ずっとそこにあったんだし。
第15章(p375)の冒頭、インタビューに入る前のミーシュカの記述から、それは始まっています。
何かというとアフリカに関する「ボノの不在」について。

アフリカに注がれるボノのまなざし #1の最後に書いたように、ボノとアフリカの間には数年間の空白があります。
訪問としてなら1985年から1998年(Popmart Tourのヨハネスブルク公演)、実に13年間ですが、関わりとしても1988年の『A String Of Pearls』(エチオピアの写真)出版・展覧会、またはエイズ救済のチャリティアルバム『Red Hot and Blue』へのU2としての参加("Night And Day"カバー)を最後に、再びアフリカに関わるのに1997年のJubilee 2000からのオファーを待たなければなりませんでした。
年譜を辿りはじめてすぐ、この空白に当たりました。
『Red Hot and Blue』リリースから数えても、7年間。その間、ボノとアフリカの関係はどうなっていたんだろう。
その答えが、『ボノ・インタビューズ』の第15章にあったというわけです。

ミーシュカはボノに問います。アムネスティやグリーンピースと仕事はしていたけれど、アフリカは君の議題ではなかった。実際は心のどこかにあったのか。
「悲しいことに答えはノーだよ。少しなら考えたけど、たっぷりじゃない」(p393)。
それはなぜなのか。
その数ページ前、ミーシュカの章を始める文の中に、ボノの答えがありました。
「ああした問題の幾つかを解決する名案や革新的なアイディアが見いだせなかった」。
ボノのいう「ああした問題」は、援助する側される側双方の政府の腐敗、今でも苦手な分野だという紛争(それも現在とは比べ物にならないほど多くの)、つまり、どれだけ援助の手を差し伸べても必要な場所には届かないし、どれだけお金を集めても借金の利子さえ返せずに終わってしまう、あまつさえ借金は増え続けるという、当時のアフリカの現状でしょう。
ボノはボランティア団体に招かれてエチオピアに行き、その活動に身を投じたわけですが、同時にそれが焼け石に水を振りかけるようなもので、アフリカを救うことには繋がらないということを思い知るわけです。
「戦略もなしに、大げさに同情をひけらかすだけで延々とやりたくはなかった」から、アフリカ問題を身辺から遠ざけたのでしょう。ある種の絶望を、ボノは感じたのだと思います。

時をへて、Jubilee 2000がボノの前に現れ、変化の兆しが現れつつあることを告げたとき、ボノがまずやったことは、アフリカと経済の勉強でした。
あの時には全く見当たらなかった「戦略」が、ジェフリー・サックス教授を初めとする教師の手によって、ボノの前に提示されます。さらにアフリカのために身を粉にして立ち働く無名の人々を見たとき、ボノの絶望は追いやられ、再びアフリカに向き合うことができたのでしょう。
つまりボノの中ではもはや、「アフリカに対して力を注ぐことは無駄」との言質は乗り越えられているのです。

全1ページ

[1]


.

ブログバナー

鈴木満月
鈴木満月
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30
検索 検索

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事