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7月10日、年下の友人の訃報がもたらされる。昨日だったと。 バイク移動中に留守電に吹き込まれていたお連れ合いの声はしっかりとしていたけれど、その背後にある思いに身を切られるようだった。 年齢に見合わない残酷な病に見舞われた彼は、いつも前向きに、希望を持って戦い続ける勇者だった。 傍らの彼女も、たおやかな外見とは裏腹に、力強く足を踏ん張って彼を支え続けた。 二人の姿にワタシもたくさんの勇気をもらったし、今ももらい続けている。諦めてはいけない。諦める理由は何もない。今を大切に過ごすことが死に対抗する最善の策だと。 知らせを聞いた数分後に行き当たった、池澤夏樹の文章。 「人が人を愛する存在であり、死が別れである以上、すべての死は悲しみを伴う。しかし若い者の死は失われるものが多いという意味で格別に悲しい。周囲以上に本人がもっとも悲しい。」 (池澤夏樹『パレオマニア』新潮文庫刊) どんなに悲しく、悔しかっただろうか。 ワタシは美しい二人が内裏雛のように揃って在る姿に再び会いたいと願っていたが、そのように在りたいと誰よりも本人が願っていただろう。 のんべんだらりと日々を過ごしているワタシよりもずっと、生を尊重し、求めただろう。その思いの大きさに応じて、生は分け与えられるべきではないのか。 最後は穏やかな顔だったという。苦しみから解放されて安らかに眠ったことに一抹の安堵を覚えつつも、失われた可能性の大きさに、今も胸が詰まる。 7月20日、また一つ訃報。18日に、事故だったと。 予想だにしない友人の死に呆然とする。 幼い子を持つ父がこんなに早く逝っていいわけがない。なんということだろう。どうしてこんなことになってしまったんだろう。 あまりにも傷ましい。しかし痛みや喪失感よりも、得体の知れない衝撃にただ呆然とする。 ほんの一月あまり前に会って、一緒に闘病激励のメッセージを撮ったのではなかったか。あの時あなたはそんな気配などみじんも見せなかったではないか。当たり前のことなのだけれど。 そう、ワタシたちが集まる場所に、あなたはいつでもいた。ワタシたちの誰よりも確実にいたかも知れない。いつも穏やかに笑んで、満ち足りた顔をしていた。 それが、なんだ。どうして。 行き場のない、言いようのない思いが徐々に質量を増し、胸を圧し潰す。 あまりにも対極的な、二つの死。 あまりにも酷い、7月。 お二人の死に、心からお悔やみ申し上げます。
文字通り、悔しくてなりません。 今はまだ、「思い出す」という言葉とは無縁なほどに身近すぎる記憶ですが、ワタシが友人たちと会うとき、U2を聴くとき、常にお二人の存在が思い出され、語られることでしょう。 願わくば、ゆっくりとでもいい、悔しさが薄れ、それが穏やかに優しく訪れますように。 「二人の死」ではなく、「二人の生」として、輝かしく思い出される日が訪れますように。 ご冥福をお祈りいたします。 |

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