酔月亭

ブログを引っ越しました! 今後ともよろしくお願いします。

U2とアフリカ

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2008年5月、ボノが日本へやってきました。
TICAD(アフリカ開発会議)に出席するために。
なぜボノがアフリカのために?
わかっているようでわかっていないような認識を改めるため、
ちょっくらお勉強しています。
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ここからはU2の曲、ボノが書いた詩について、お話ししたいと思います。
まずはU2ファンにとって最大のアンセムともいえる曲、"Where The Streets Have No Name"についてです。

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LIVE AID終了後、ワールド・ヴィジョンという団体から、「エチオピアの現状を見に行かないか」と誘われたボノは、アリとともに「人生を変える冒険」に旅立ちました。
1985年9月、ふたりはエチオピアを訪れ、難民キャンプのボランティアとして6週間滞在しました。
その間に想を得て、「エア・インディアのエチケット袋」に書かれたのが"Where The Streets Have No Name"です。

ボノが生まれ育ったアイルランドや、ツアーで訪れた欧米諸国では、車が入ることが出来ないような路地に至るまですべての通りに名前が付けられています。
通りの名がそのまま場所を指し示す住所であり、ときに建物の名になります。
U2のレコーディング・スタジオも、かつてのウィンドミル・レーンは風車通り、ハノーヴァー・キーはハノーヴァー通りと、スタジオがあった通りの名がつけられています。

"Where The Streets Have No Name"。「通りに名前のない場所」。
それはどこにあるのでしょう。

『U2全曲解説』の中で、ビル・グラハムは「歌の生まれた場所」であるエチオピアのことだと言明しています。
これはアフリカを歌った歌だ。
そう思いながら"Where The Streets Have No Name"を聴く。
ワタシたちにもたらされるのはどんな感情でしょう。
高揚感と解放感。これにつきます。

イメージ 2

Band AidとLive Aidを通して、飢餓に困窮するエチオピアへの支援を訴えたU2。
その直後に赴いた現地で、ボノが過酷な現実を目の当たりにしなかったわけはありません。
しかしこの曲を聴く限りではそこにエチオピアの飢餓という暗い影を見ることは出来ないのです。

アルバム『The Joshua Tree』発表から20年を経て、私たちにはもう1曲、エチオピアの歌が届けられました。
"Waves Of Sorrow"。20周年記念の『The Joshua Tree』リマスター盤、限定版のボーナス・ディスクに収録されています。
ほんの少し、さわりだけを聴いてみましょう。

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"Where The Streets Have No Name"にはエチオピアどころかアフリカのアの字も出てきませんでした。
"Waves Of Sorrow"の歌詞には、はっきりとエチオピアを指し示す、二つの人名が出てきます。
一つ目の「皇帝メネリク」はエチオピアの歴史上ふたりいます。
メネリク一世は紀元前2世紀頃の、エチオピア初代の王。
メネリク二世は19世紀末、エチオピアを欧州支配から守り、アフリカ諸国で唯一植民地化を免れた国にした英雄です。
もう一つの「シバの女王」は旧約聖書に莫大な宝物とともにソロモン王を訪れた女王として登場します。
いずれもかつてのエチオピアの栄華を象徴する名前であり、"Waves Of Sorrow"では「失われたもの」として歌われています。

イメージ 4

また"Waves Of Sorrow"には、エチオピア滞在中にボノが経験した具体的な出来事が描かれています。
ある日、通訳と話しているボノの前に、息子を連れた一人の男がやってきて、ボノにこの子を引き取ってほしいと言った。
「私と共にいればこの子は死んでしまう。あなたがアイルランドに連れて帰ってくれればこの子は生きのび、教育を受けることさえ出来るだろう」。彼はそう言いました。

2004年に発売された『How To Dismantle An Atomic Bomb』に収録された"Crumbs From Your Table"に、次のような一節があります。
「Where you live should not decide Whether you live or whether you die」
「生きる場所によって人の生死が決定される。そんなことがあってはならないんだ」
ワタシはこれを、アメリカでは容易に入手できる安価な薬がアフリカでは十分に行き渡っていないと言う、エイズ対策の現状を歌っているのだと思っていました。
それが間違っているわけではないにしても、この歌詞が生まれた根底には、あの時にボノが出会った少年がいる、
父親とともにアフリカにいれば死んでしまうけれども、ボノとともにアイルランドに渡れば生きることができると言われた、あの少年の姿があるのだと、今は思います。

ボノ自身、このエピソードをしばしば取り上げ、あの時の少年が自分の人生を変えたとまで言っています。
「たまに自分の中に激しい怒りが込み上げることがあるけれど、そんな時にはたいていそのこのことを考えている」。

それぐらいボノにとっては衝撃的な出来事だったのです。
しかし、『ジョシュア・トゥリー』に収録されたのは"Where The Streets Have No Name"のほうで、そこには具体的な経験はいっさい歌われませんでした。
それはなぜなのか。

考えるに、ボノにとっては"Where The Streets Have No Name"に歌ったアフリカの姿の方が、より大きな衝撃だったのではないかと思うのです。

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焼けつくような日射し、頭上を覆い尽くして広がる青空。雲を跡形もなく追いやる強風。
今までの人生で一度たりとも経験したことのなかったような、剥き出しの自然。
そこに立つ、ひとりのただの人間としての自分。

当時U2の人気はうなぎ上りだったのに加え、Live Aidのパフォーマンスとそれがテレビ放映されたことで、誰もがボノの存在を知るようになっていました。
そのことで窮屈な思いをするようなこともあったでしょう。
そんな状態のヨーロッパを離れてエチオピアを訪れると、通りに名前がないばかりか、自分にも「名前がない」。

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「U2のボノ」というロックスターではなくて、どこかヨーロッパあたりから来た、髭を生やした歌のお兄さん。女の子みたいに髪を伸ばした、へんてこな。
「髭を生やした女の子」。それがボノに付けられたあだ名だったそうです。

前述の、ボノに子どもを託そうとした男性も、おそらく彼がどんな人間であるかは知らず、ただ、自分たちを助けてくれる白人で、きっと豊かな暮らしを送っている人だから、この子を生かすことができる。
そう思ったのではないでしょうか。

ボノが"Where The Streets Have No Name"に歌った解放感や高揚感は、ここから生まれたのではないかと思うのです。
冒頭の歌詞、「I want to run, I want to hide/逃げ出したい、隠れたい」自分を取り囲む壁をうち破りたい。
そうして辿り着いた「通りに名前のない場所」。
そこでは、ボノにも「名前」は必要なかった。名前に伴う名声もプレッシャーもなく、壁はうち払われ、生身の人間としての日々を過ごすことができた。

だからボノは、エチオピアでの記憶を留める曲として、"Waves Of Sorrow"ではなく"Where The Streets Have No Name"を選んだのではないでしょうか。

そしてこの曲は20年間歌われ続け、愛され続ける名曲になりました。
そのことが、ボノがエチオピアで受け取った物の大きさを表しているのだと、ワタシは思います。

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まずはボノの足跡追っかけ編を上げました。皆さんに協力してもらった年譜をもとに、あちこちから記録を引っ張って書いたものです。
リリックも上げた後、参考文献・サイトをまとめようと思ってます。
実際に喋ったのはこの半分くらいです。
できるだけ話があちこちしないように、要素を搾って、DATAの活動(+そこに至る経緯)中心に喋りました。
そっちを上げた方がいいのかなと思わないでもないんだけど、「完全版上げます」って当日言っちゃったし、文字になってる分には多少あちこちしても大丈夫かなと。
当日端折った分をリリック・トークに入れた部分もあるので、重複しますが、まあいいかと。

少しでもスライドのイメージが出るように写真もつけましたが、音はつけられないんですよね。
BGM無しで、ひたすら喋りまくったんですが、唯一、ONEスピーチでは、ボノのスピーチ(さいたま2日目)を流して、同時通訳っぽくKyokoさんの訳を読みました。

この原稿のために、『U2 BY U2』と『ボノ・インタビューズ』を、飛ばし読みながらも再読しました。
そうすると、あの時に気づかなかったことが見えてきたりします。
ワタシにとってとても大切な発見もありました。
それはイベント報告ではなく、今回のボノの来日を振り返る中で、改めて書こうと思います。

今日、民主党の予備選で勝利宣言したバラク・オバマ氏が、「この勝利で一つの旅が終わり、新しい旅が始まる」って言ってたけど、ワタシの旅もそう。
ボノの来日で認識を改めて、新しい旅に出る。そんな気分です。

では、リリック行きます。
2007年は年頭から、ボノの視界にはドイツ・サミットが入っていました。
2005年のイギリスでのサミットでの約束が果たされるのか否か。
1月に行われた世界経済フォーラムの年次総会、ダボス会議の中身は、昨年に比べてアフリカへの力点がはっきりと薄れ、中心的な話題は環境問題にシフトしつつあることがはっきりしていました。
そのダボス会議の席で、ボノは「アフリカとの約束を果たそう」と言うセッションにおいて、以下のような発言をしています。

「負債のキャンセルによって生まれた財源によって、昨年は2000万人の子どもたちが学校へ行くことができた。
不正行為はHIV、マラリア、結核を上回るアフリカの最も大きな問題だ。アフリカの友人に聞いてみれば分かる。
しかし、北半球にも不正行為はある。
アフリカ人が我々にオレンジの代わりにオレンジジュースを売れば関税を課す。カカオの代わりにチョコレートを売れば関税を課す。これは不正行為だ。
ドイツで行われる次のG8サミットで、我々は自身がどれだけ前進したか知ることになる。もし失敗していれば、それが最悪の不正行為だろう」

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6月のドイツサミットに合わせ、ドイツのロストックでLIVE 8を彷彿とさせる大規模なコンサートが行われました。
ボノはそのステージに盟友ボブ・ゲルドフ、ユッスー・ンドゥールと、ドイツのアーティストとともに上がり、G8首脳らの名前を一人一人呼びながら、アフリカ支援の公約徹底と前進を迫りました。
結局このサミットにおいては、アフリカについて「エイズ、マラリア、結核対策費として新たに600億ドル(7兆2000億円)以上を拠出することで一致し」、G8が採択した宣言文書「アフリカでの成長と責任」では2010年までにアフリカのすべての人々がエイズ予防を受けられる態勢の構築が謳われています。
ただし2005年サミットでの数値目標が達成されていないことに関する言及はなく、ボノはこの宣言に対して「行く先のない言葉の迷宮だ」と批判的でした。

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7月、裕福な女性たちが主な読者であるアメリカのVanity Fair誌のゲスト編集長を務めます。
ボノ編集のVanity Fairは、20人の著名人がリレー形式に登場する、20種類の表紙で華々しく売り出されました。
雑誌のタイトルである「Vanity Fair=虚栄の市」を、「Fair Vanity」、つまり公正な虚栄に替えたいと本来の編集長に持ちかけたところ、「バンド名を2Uに替えてくれたらいいよ」と返されたそうです。

9月には珍しく日本の雑誌にも登場しました。
Big Issue Japanです。
本家イギリスのBig Issueでは90年代にU2特集が組まれていますが、日本版で大きく、それもアクティビストとしてのボノが取り上げられたのは初めてのことでした。
今もバックナンバーの在庫があるようでしたら、興味のある方はぜひ取り寄せてみてください。78号です。

音楽活動としても、2007年はアフリカと縁がある年でした。
5月、今年の秋にも発表されると言われているニュー・アルバムのために、U2とブライアン・イーノ、ダニエル・ラノワは、北アフリカ・モロッコのフェズという街でレコーディングのためのセッションを行いました。
この時のエピソードについて、少しだけですが前述のビッグ・イシューでも触れています。

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6月中旬には、アムネスティ・インターナショナルによるスーダン・ダルフール危機のキャンペーンの一環としてビートルズ・カヴァーのコンピレーション・アルバム『Make Some Noise Save Darfur』が発売、U2はVertigo Tour中に収録された"Instant Karma"のカヴァーで参加しています。

11月には映画『Darfur Now!』のMyspaceにて、スティービー・ワンダーとのデュエットLove Is In Need Of Love Todayを発表しています。

その11月、NHKでボノがアフリカ開発会議に出席するというニュースが報じられました。
2008年1月のダボス会議では福田首相と会って改めて会議への出席を名言。読売新聞のインタビューでその理由を「アフリカの貧困問題の現状と、日本がどれだけ貢献できるかについて、もっと多くの日本人にわかってもらいたいから」と言っています。
今年は日本でサミットが行われる年です。
ボノは沖縄サミットでグローバル・ファンドが生まれたことをよく覚えています。
同じ年に5年に1度のアフリカ開発会議が行われるのはまさに、ボノにとってはサミット以前に日本政府に対して公式に働きかけられる絶好のタイミングだといえるでしょう。

そして、いまボノは日本に、この横浜に来ています。

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27日には慶応大学より法学の名誉博士号が授与されました。
授与式のあとの講演は、別の校舎のライブ中継を含め、約1600人が聴講したそうです。
「アフリカでは、わずかな薬で救えるはずのエイズ患者が、毎日4000人以上死んでいます」「先進国が責任を果たさずにグローバル化の利益だけを得ていてよいのでしょうか」。
ボノはそう問いかけ、世界に対する好奇心を持つことの大切さを説き、日本政府に対して市民社会をを担う一員として政策を後押しすることを力強く求めたそうです。
残念ながら現時点で、この講演の詳細を得ることはできませんが、6月1日にはNHK BS1の番組に出演し、緒方貞子さんや日本の若者たちと、これからのアフリカ支援のあり方について議論する予定です。


拙いながらもあらためてボノのこれまでの足跡を振り返ることで、見えてくることもありました。
このような機会を与えてくれたボノに、感謝しています。
7月、延期されていた残りの公演がいよいよ発表され、ワタシたちは静かな、でも熱い騒然とした夏を送りました。
それから5ヶ月の後、ワタシたちは直接、ボノの呼びかけを受け取ることになるのです。

Vertigo in Japanは、会場がさいたまアリーナだったということも手伝って、非常に親密な雰囲気さえ感じるような、そんなコンサートでした。
そしてU2はもちろん、ワタシたちに対しても、アフリカのために力を貸して欲しいというメッセージを投げかけました。

Prideのラスト、「Love!」の大合唱コールのなか、ボノがハートを投げる。
「ドクター・キングのために歌おう! 彼の夢は、アメリカだけの夢じゃない。アイルランドの、アジアの、そしてアフリカの夢なんだ。アフリカのために、歌おう」

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聞き慣れた"Where The Streets Have No Name"のイントロで、ボノは日本からアフリカへの旅の道筋を辿ります。
「富士山からキリマンジャロへ。日本海から喜望峰(Cape of Good Hope)へ。Drop The DebtからHottokenaiへ。平等の旅は続く! 続く!!」
広がるジャングル、不意に開けた草原を動物たちが駆け抜ける。そして雪を残す高山、溢れんばかりの豊かな大河!
この自由な魂に満ちた大地の美しいイメージも、確かにアフリカのものです。だからこそ、ボノが語るもう一つのアフリカの姿に胸の痛みを覚えます。

続く、One。静かに、そしてゆっくりと、ボノはワタシたちに語りかけました。
ここでは友人のKyokoさんが訳してくれたさいたま公演2日目、11月30日のスピーチを紹介したいと思います。

イメージ 2

 昨夜、俺たちこのスタジアムをクリスマスツリーにしたよな
 今夜は、ここを天の川にしよう
 お願いがある 携帯を出してくれ
 天の川…俺たちの銀河…近くて遠い…ワォ…
 明日は何の日だ? 明日は世界エイズ・デーだ
 日本にお礼を言いたい 21世紀最高のアイデアに産声を与えてくれた
 その名はグローバル・ファンド エイズと闘うための砦だ
 世界一貧しい国々で75万人ものエイズ患者が生きていられるのは
 グローバル・ファンドのおかげだ
 だから、ありがとう日本! 俺たちはエイズに勝つ 
 エイズの温床になる極度の貧困に俺たちは勝つ
 一緒に闘いたいと思ったら、「ほっとけないキャンペーン」にメールしてくれ
 君の名前を生かすのは今だ 電話を待ってる 待ってるよ
 もっとすごい力が出せるんだ 君が傍にいてくれれば
 話を聴いてもらえて嬉しかった ドウモアリガトウ!

さいたまでの3日間だけではなく、News23とMusic Station、二本のテレビ番組出演を通して、日本中の人々に向けても、ボノはメッセージを発しました。
今になって思うのですが、元の日程だったマーティン・ルーサー・キング牧師の命日にあたる4月4日にしても、現実化した世界エイズデーを含む一週間にしても、どちらもVertigo Tourのテーマに関わりの深い日をここ日本で過ごす結果になったのですね。
偶然なのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。いずれにしてもボノのメッセージのインパクトが増す日程でした。

来日中、ボノは当時の総理大臣、安倍晋三氏と会見しています。
リアルタイムでみることができたのはボノが安倍氏にプロダクト(RED)のサングラスを渡すシーンぐらいでしたが、外務省のウェブサイトでは会見の中身についてもう少し詳しく報告されていました。
ただし海外向けの英語のプレスリリースでワタシがその存在を知ったのは1年もあとのことでしたが。
このとき既に、安倍氏は今回のアフリカ開発会議、TICAD IVへの参加をボノに要請し、ボノもまた来日できるようにスケジュールを調整すると約束していました。
明けて2006年。
最初にワタシたちにもたらされたニュースは、来日公演の発表でした。

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8年ぶりの来日実現に騒然とする中、2006年1月26日、世界経済フォーラムの年次総会・ダボス会議でProduct(RED)が発表されました。グローバル・ファンド(エイズ、結核、マラリアと闘うためのグローバル・ファンド)のため、パートナー企業が共通のブランドで商品を発表、売り上げが寄付されるという画期的なプロジェクトです。
「REDは慈善ではなく商業的な事業だ。慈善はヒッピー音楽や握手みたいなもの。REDはもっと、パンク・ロックとかヒップホップとかみたいなもので、紛れもなく商業的なんだ。
21世紀のアイデアだよ。
この600年間で最も大きな健康面での危機、エイズとの闘いにこういった会社が想像力と財力を貸してくれるのは、驚くべきことだ。
REDに参加すること、よい行いは、彼らにとってよいビジネスになるだろうと思う」
というのがボノの(RED)に関する最初の発言です。

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アメリカン・エクスプレス、ギャップ、エンポリオ・アルマーニ、コンバースの4企業でスタートし、現在はアップル、モトローラ、ホールマーク、マイクロソフト、デルが加わっています。
ボノによれば、自動車メーカーの中にも参加を検討している企業があると言いますから、その内(RED)のマークの入ったハイブリッド・カーが世界を走ることになるかもしれません。

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2月2日、ボノは「THE NATIONAL PRAYER BREAKFAST」に出席し、約20分間の講演をしました。1994年にはマザー・テレサが講演者を務めたのと同じ席です。
ムスリム、ジューイッシュ、クリスチャンと、ボノが「CoeXisT=共存」を訴える3者それぞれから代表的な立場の人が集うこの「朝食会」には、ブッシュ大統領夫妻やヨルダン王が出席したそうです。
この時の講演は翌年4月、『on the move』として出版されました。

そして3月、既に4th legも始まり、日本公演まで1ヶ月を切った直後、南米以降のコンサートをすべて延期するとの発表があり、日本のU2ファンは恐慌を来したわけですが、今となっては懐かしい日々でしたね。

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さて、本来であればVertigo Tour終了後であったはずの2006年5月16日、ボノはイギリスの新聞Independent紙のゲスト編集長を務めました。
プロダクト(RED)の一環です。
真っ赤な一面にかかれた言葉は「No News Today」。ともかくアフリカのことだけを伝えると言う、新聞としては画期的というか、破天荒というか、ともかく前代未聞の試みでした。
当時まだ(RED)の商品が流通していなかった日本にあっては、これが最初のプロダクト(RED)上陸でした。

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責任編集のIndependent紙が発行されたまさにその日、ボノはアリと共にアフリカへの旅に出かけます。10日間で6カ国、レソト、ルワンダ、タンザニア、ナイジェリア、マリ、ガーナを歴訪しました。
この旅もまた「現状視察」であることに違いはありませんが、ボノが見ようとしていたのはアフリカの「悲惨」ではなく「希望」です。
DATAの頭文字になぞらえて言うなら、Dept=債務が削減されたために教育の機会が増え、学校に通って生き生きとした笑顔を見せる子どもたち。
Aids=知識の広まりで、HIV感染者への差別が緩和され、治療を受けながら働く女性たち。
Trade=正当な貿易の実現によって、搾取されることなく清潔な工場で働いている人たち。

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ボノが訪れることによってワタシたちに伝えられたアフリカの希望は、まだほんの一部でのことに過ぎません。
悲しいことに旧悪の払拭がままならず、DATAの活動を受け入れる体制が整っていない国さえあるのが現状です。
しかしそんな国の人々にとってさえ、もはや目標は遠い別世界の話ではなくなりつつあります。
同じ大陸に暮らす同じ色の肌の人々が送っている、安全で清潔な暮らし。それは夢物語でもなければ、特権階級だけのものでもありません。
誰かから受ける施しの類いでもありません。
アフリカの人々が要求する相手は先進国ではなく、自分たちの政府です。民主主義、説明責任、透明性を手に入れれば、確実に上がることのできるステップなのです。

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