酔月亭

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Review:U2 Tunes

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U2 Tunes 私感
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Window In The Skies

// U218 Singles
// Release Date: November 2006

どうしても今、この曲に触れておきたい。
なぜなら私にはまさしくリアルタイムのメッセージに聞こえるから。
私だけではなく、きっとU2の来日公演でこの曲を聴いた人の多くがそう思っているだろうから、記しておきたいと思う。

今年9月にレコーディングされたこの曲は、最初のヴァースで夢を語る。
戒めはほどかれ、銃から弾丸が抜かれ、Debt(負債、または罪)は取り除かれると。短文をつなげてすべての望みを一気に語っている。
セカンド・ヴァースでは、ボノが紡ぐ「Love」のイメージが歌われる。
魂まで裸にして愛し合えば、ぼくらは頭上の星に手が届く。ベッドにいながらにして。「エレベイション」のイメージが、主語を「We」に替えて優しく歌われる。
頭でっかちなぼくの理性を取っ払って、きみは心の奥までぼくを迎え入れてくれる。

ここまででも、軽快で穏やかなメロディと共に充分美しいイメージが展開しているのだが、私の感情を揺さぶるのは「ミドル・エイト」から先。

「Please don't ever let me out of you」を、ボノははっきり「out of here」と歌っている。
ステージの上で、テレビの中で。私たちの目前で。
たぶん、この前提条件がファースト、セカンド・ヴァースにあるのだと思う。
戒めがほどかれたら、銃から弾が抜かれたら、負債が取り除かれたら、ぼくはきみと一緒に星空の下で愛をかわす。
そうしたら「もう二度と、ぼくをここから連れ出さないで」。
もう二度と、銃に弾丸をこめないで。
もう二度と、ばかげた貧困を生みださないで……。
愛しくて悲しくて切ない、一行の歌詞。
これは夢の歌なんだ。最初から最後まで。ボノが走り続けている、いつ果てるともしれない旅路の果てにある夢の。
ほんとうはこれは、ボノが「いつか歌いたい歌」なんだと思う。
ただU2のボノとして在ればいい、それでいいとボノが思えるようになった未来の歌。
その時にはもう自分の不在によって誰かが寂しい思いをすることも、ボノに対するさまざまなバッシングで誰かが傷つくこともないだろうという歌。
愛が空に窓を開けたら、そのすべての空に向かって、ぼくは愛を歌うという誓いの歌。

同時に、8年に加えて8ヵ月待った私たちには、ステージの上(またはTVの画面、PCのモニター=Window)で熱唱するボノを見つめる私たちには、この先の歌詞がまったく違うものに――私たちに向けられた、今のボノの言葉に聞こえる。

  傷つけたし、泣かせてしまったね。
  ぼくら自身を殺す以外のことはすべてやったと言えるくらいに。
  でも、愛が空に窓を開けてくれたから、ぼくは愛に向かって熱く語るよ。
  きみたちの傷ついたハートに。
  ぼくが泣かせたきみたちのハートに。
  
  愛が何をしでかしたか、きみには分かるかい?
  一体ぼくにどんなことをしたのか、分かる?

まるでドキュメンタリー。
ボノはあの会場で自分の身に起きたことを歌っているみたいだった。
私たちの溜まりに溜まった愛が爆発するのを目の前にして、ボノが、U2が一体どうなってしまったのか。そうしてU2と私たちがどんな空間を作りだしたのか。

この曲が生まれた9月、そこまで見越していたわけはないと思う。真実「未来の歌」として書かれたんだと思う。
11月29日、さいたまで、この曲には新たな意味が加わったんだ。
5th Legの他の国ではなく、この国で初めてのパフォーマンスをしたというとてつもない幸運に深く感謝する。

【追記】
最終日の"Sunday Bloody Sunday"に感じたのも、こういう事なんだと思った。
「How long must we sing this song」いつまでこの歌を歌い続けなければならないんだ?
歌はボノの(U2のボノの)表現方法だから、伝えたいことがあれば歌で表現する。だから「もう聴きたくない」と言われてもBulletを歌う。
でも歌うことの喜びや幸せを心底知っているボノは、いつまでも悲しい怒りの歌を歌っていたいわけじゃない。
私たちがさいたまで聴いた楽しい・美しい・無邪気な歌を歌いたいに決まっている。
だけど、そうはいかない。SBSやBulletを歌って、重力の足かせをつけて、現実を歩いていかなくちゃいけない。
Windowは、ボノの魂の叫びなんだと思う。
私はボノを、ゲルニカばっかり描かなきゃいけないピカソにはしたくない。

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U2 NIGHT INTRO

題目となる曲はここに

ほんのついこないだまで、ワタシはRemixというものにあまり興味がなかった。
それが変わりはじめたのは2004年、VertigoのRemixがきっかけだったような気がする。
オリジナルバージョンが大好きなのに、Jacknife LeeのRemixもまた気持ちよくて、Vertigoばっかり並べて聴いていたような気がする。
そうすると、BDのSonanceとかも、やけに格好良くきこえてくる。

自分の中で言語化したのは、今年の春だ。
それまであまり考えたことがなかった「U2でDJ」を考えるようになったときのことだった。
とはいえそのときはRemixのことを考えていたわけでもなかったけれど。
ワタシにとってDJというのは想像の埒外というか、DJをやっている友人はいて、プレイを楽しむことはあっても、そもそも音楽自体が守備範囲の外ということもあってその意味を考えることはなかった。
ただ気持ちいいなあとか、好きな曲がかかると嬉しいなあとか、その程度。
U2 NIGHTをやることになって、DJ jiroとの対話が始まって、初めてその行為に思いを馳せたしだい。

そもそも表現者という存在に対する尊敬の念は強く、文章であれ絵画であれ、自分自身から生まれる何ものかを表現している作品に出会うと、抗いようもなく引きつけられてしまう。
ワタシが素養も慣習もまったく持たない音楽というジャンルに近づけてくれたのは、ボノだと思う。過分に文学的なミュージシャンであるボノが、たとえばエッジに対しての尊敬を言葉によって明らかにしてくれるから、そして言葉と音楽を強固に結びつけてくれるから、まず体感に始まって、ワタシは少しだけ音楽に近づいていける。

一方で、近年の美術におけるモンタージュという手法の隆盛がある。
イメージそのもののオリジナリティは薄く、誰もがどこかで見たことのあるような画像を切り張りしてイマジネイションやメッセージを表す。
具象性と抽象性が渾然となって、解釈を与えやすい。それが作家の意図したものかどうかはさておき、観覧者が言語化する余地の大きい手法。
ワタシのように言語に対する依存度の高い人間にとっては楽しむ余地の大きい形式でもある。

U2 NIGHTの話を始めて、DJとはどんな存在なのだろうと考えたときに浮かんだのが、このモンタージュという言葉だった。
ワタシ(たち)がよく知っている曲を自在に組み合わせて時間を構成する、それがDJなんじゃないかと、勝手に解釈したんだった。
これは、ワタシにとっては白眉だった。
それまであまり興味もなく惰性で落としたFan mixを聴いたり、オフィシャルのRemixを聴くのが俄然面白くなる。
作者の意図や感性を勝手に感じ、勝手に言語化してもいいんだと思えると、その行為は音楽的な解釈思考のないワタシにとってさえ充分に興味深く、楽しいことだった。
アルバムとツアーのギャップもそこにあるのだと思った。HTDAABをいったん解体してツアーのセットリストに組み直すとき、何が入って何が落ちるのか、その間隙を埋めるのはどの曲なのかということを、構成者の意図を組みながら味わうことができる。
マクギネスの「Best Hit Showではない」という言葉の意味するところが明確になる。
なぜZoo Stationなのか。なぜRunning To Stand Stillなのか。そういう、いわば「行間」を感じ、考えるようになる。

で、これだ。
「ウチのDJ」の仕事。
この場合の仕事というのはworksであって、それはそのまま「作品」の意味を持つ。
DJ jiroのイマジネイションの発露。U2のworksに対峙して生まれるイマジネイション。
彼の解釈。
これはそのまま、やっぱりモンタージュなんだと思う。曲を解体し、イメージを抽出し、再構成する。
聴き慣れたフレーズでありながら、感じ得なかった新鮮な音がある。
エレベからspinning headに移行する、あの混沌。出会うことのなかった音をつないで聴かせる、あのグルーヴ。
それはDJによって新たに与えられた音の楽しみ方だと思う。

それと、言葉の力。
ボノの呼び掛けとオーディエンスのレスポンスが繰り返し表出する部分では、コンサート会場にいる自分自身を容易に投影できて、来日公演を目前に控えたこの時期にあっては余計にテンションが盛り上がる。
エレベInfluxの、「Soul……!」。Vertigoツアーでも求められているものが輪郭をいっそう際だたせて迫る。
「ぼくらが今必要としているものは、Soulだ、Loveだ!」というボノの言葉に直結する。
ほんとうはわざわざ改めて言語化されなくても充分に伝わることなのだけれど、ボノの言葉になるといっそうドラマティックで、心底まで突き刺さる。

ボノがカウントアップする。
ワタシのテンションは最高潮まで持っていかれて、落ちることをしらない。上昇し続ける。
そんなイメージを繰り返し与えられて、ワタシが平静でいられるわけがない。
これがそのまま、U2 NIGHTなんだよね。
Welcome to the U2 Show Tonightさ。



加えるに、元のU2 Tuneに対するDJ jiroが抱く尊敬の念が、ときにRemixを単調に響かせるんだと思う。
もっと弾けちゃっていい、自由にやっちゃっていいという気持ちもよく分かるな。
でも同時にそこがU2ファンであるという顕れでもあって、ワタシをにやりとさせてしまうんだけど。
DJ本人が言ってしまっているけど、この仕事はU2 Tuneの可能性を広げるものでもあると思う。ダンサブルなU2の解釈も大ありだって、DJ jiroが言いたいことが明確に現れていて、それはワタシたちを貪欲にさせる。
もっともっと! あなたが自由に振る舞うことは、ワタシたちを自由にすることでもあるんだって、この曲はそう言ってるんだと思うよ。
ワタシのiTunesの中のアルバム『U2 NIGHT』がどんどんふくらんでいくのがとても楽しみ。完成までの道のりを同時進行で味わわせてくれることにも、感謝しています。

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Are You Gonna Wait Forever?

// Vertigo
// Release Date: November 2004

タイトルを聞くだけで、今この曲に触れるのはかなり自虐的なんじゃないかと思いながらも久しぶりに聴いたら、ああ、やっぱり佳曲だ。
すぐにHTDAABがリリースされたということもあって、あまり何度も聴かなかったんだけど、Vertigoに打ちのめされていた当時よりも、今はずっとよく聞こえる。
ここに来てくれる日を待っている身としたら、「永遠に待ってるつもり?」って訊かれたら「うん」と答えるしかないんだけど、その一方で、待ちきれないからこっちから行ってやるとも思う。
そういう歌なのかな、と思ってたんだ。待ってるだけなの?っていう。

さて、ほんとうはどんな歌詞なんだろうと思ってしまったのが運の尽き。
冒頭を読みかじっただけで、見過ごせなくなってしまった。


    ぼくの行く手を遮るものは
    日々姿を消していく
    きみに近づいているよ
    家に近づいている
    夏が来るのもそう遠くない


いや、もう、最初の2行を訳して、笑ってしまった。
たぶん私たちが待っているのは夏ではないんだろうけれど、それでも「近づいてる」って言ってもらえるとは思ってなかったんだもの。


    ずっと待ってるつもりなのかい?

    ベッドの下からはい出て
    ぼくは今、言うべき言葉を口にする
    近づいているんだ、真実に
    きみの中にいるぼくを見つけよう

    きみはずっと待っているの?
    永遠に?

    彼らの瞳の向こうには誰もいない
    ビジネスの中にあるのは、美しい嘘
    ぼくらは約束を守るだろう
    だって、破り方を知らないんだから
    日延べすることだってできるよ
    夢をケチな小銭に替えちゃいけない
    心の炎を燃やし続けて
    もっといいのは裸にしてしまうことだ

    ずっと待っているのかい?
    永遠に?
    どうやって?
    ずっと……
    どれぐらいの間?
    それとも、それは今なのかな
    今?
    今なんだろうか


HTDAABが出てからというもの、それまで以上にU2を好きになって、ボノという人物について考えて、この人はワタシにとっては預言者なんじゃないだろうかと思うに至ったのだけれど、まさか予言までしてくれてるとは思いもよらなかった。
彼らはここに近づいている、近づこうとしている。
それを疑ったことは真実ないのだけれど、いや、だからこそかな、詩が胸にしみる。
永遠に待つこともできるけれど、でも、今かもしれないんだね。
待っていていいんだ。そういう歌だったんだ。

North And South Of The River

// Staring At The Sun
// Release Date: April 1997

// Best of 1990 - 2000 B Sides
// Release Date: November 2002


ワタシがU2の曲を聴くときの傾向は何種類かに分かれるのだが、その中に「落ちこんでいるときは暗い曲を好む」というのがある。陰鬱とした気分は明るい/勢いのある曲で振り払うという人も多いだろうが、その対極だ。
なぜそんな傾向があるのかと考えて「とことん底まで落ちこんでしまったら、あとは上昇するしかないから」だと思っていたのだが、今日、他にも理由があることに気づいた。と言うよりは、むしろこっちが正当なのかもしれない。
U2の曲は、暗い中にも光を見出すすべがある。それが落ちこんでいるときのワタシには必要なのかもしれない。傷口を癒し、光に向かわせる力を持っているのだ、きっと。

例えば、"Hallelujah"という曲がある。レオナルド・コーエンの曲をボノがカヴァーして、コーエン・トリビュートのアルバムに収録されているのだが、いくらワタシでもこの歌詞の中に光を見出すのは難しい。
それでも、この曲のボノの囁くような声は、まるで体温を感じる距離に寄り添ってくれているような錯覚を呼び、ワタシを慰める。
ここしばらくの間聴いているのは、あちらこちらで拾ってきた曲の中から気に入ったものを寄せ集めたプレイリストで、その中に"Hallelujah"も含まれている。ひどいときにはこの曲ばっかり13回繰り返すリストを聴くこともあるのだが、幸い今はそれほどではないようで、"Pride"やUTEOTWも取り混ざったリストの中で、何十分に一回の割合でかかる"Hallelujah"に慰められていた。

前置きが長くなったが、本題は"North And South Of The River"だ。タイトルから連想される通り、アイルランドの南北問題がテーマとなっている。
Christy MooreとBono & The Edgeの合作で、1995年にChristy Mooreのシングル(Mooreのみで収録、アルバムバージョンではBono & The Edgeがバック・ボーカルで参加)として発表された曲。
U2バージョンは1997年、"Staring At The Sun"のB-Sideとして登場し、『Best of 1990 - 2000 & B Sides』にも収録されている。シングルを購入しなかったワタシがこの曲を初めて聴いたのはBest発表時ということになる。
その時にはとくに思い入れを持たなかったのだが、ここへ来てはまってしまった。

上記の通りに聴いているプレイリストの中で、"Hallelujah"に続いているのが"North And South Of The River"なのだが、どうもこのコンビネーションが今のワタシには大打撃を与えるらしい。
出所のわからないライブ・ヴァージョン(おそらくは1998年)のこの曲は、穏やかなボノの声とピアノの歌が絡み合う優しい出来で、初めて聴いたときからスタジオ・バージョンよりもずっと気に入っていた。どこか切ない旋律を含めて、癒しや慰めにはもってこいの曲だ。
今の感情だったらレビューを書けるかもしれないと思って、歌詞を読みながら改めて聴いてみた。


    入り江の向こうに腕を伸ばして
    水面を超えてきみの手を感じたい
    未だ開かれぬ道をきみとともに歩きたい
    振り返らずに

    きみに会いたい
    きみの声を聴きたいよ
    きみの恐れを理解するために
    でもぼくらは
    川の北と南に分かれている

    ぼくの人生はすべて間違っていた
    この聖なる町が、それをひっくり返した
    理解できないものから逃げようとしてたから
    入り江から吹く風は
    どんどん冷たさを増すばかりだったんだ    

    確かに悪が横行していたよ
    でも、愛が失われてたわけじゃなかった
    愛も生きつづけていたんだ
    この川の北でも、南でも
 
    ぼくらはこの古くさい因縁から逃れられるかな
    ダーリン、ぼくはまだ答えを得られない
    きみがいる場所で、きみに会いたいよ
    屈して欲しくない

    だって、自分自身を傷つけることは
    何より孤独を感じることだから
    川の北だろうが、南だろうが
 
    すべての高みに価値があるわけじゃないし
    すべての関係が価値を生むわけじゃない
    この古い教会の鐘は、もう鳴りはしないよ
    すべての古い歌が価値をもたらすわけじゃないんだ
    ぼくらを隔てるこの川の
    北でも、南でも


「川の北と南」というのは、もちろんアイルランドの北と南を意味する。
曲の冒頭でまず、問題のゴールとして何を求めるのかという希望が提示される。
川を超えて手を取り合い、ともに歩んでいきたい。
ただ、それがどんな道なのかということは、今はまだわからない。

「ぼく」は川の反対側にいる「きみ」を理解したいと言う。
注目すべきなのは、「ぼく」と「きみ」のどちらが北にいて、どちらが南にいるかという限定がないという点だ。どちらの側からの呼び掛けとしても受け取れるということは、すなわち、どちらの側にも相手を理解する主体であってほしいということでもある。
また、理解の対象としているのは「恐れ」だ。怒りでも、悲しみでもない。
南北の現状を生みだしているのが恐れであり、その正体を知ることが問題解決への道を歩み始めるために必要だということだろう。
この点は現在のアメリカにおける対イラク戦争とも重なるが、相手に対して過剰な恐れを抱くあまり、その恐れが現実化する前に手を打とうという防衛本能が攻撃という形を取る。
何をそんなに恐れるのか、その恐れを払拭することができるなら、争いも生まれないのではないか。

たしかに間違っていることはたくさんあるし、悪意もそこかしこにある。
しかし同時にそこには、まだ愛が生きる余地だってある。この絶望的な、出口のないように見える混沌から脱するためには、その愛を確認し、よりどころにしなければならない。
そのためにぼくは、きみに手を差し出し、きみを理解したい。

曲の最後で、ボノは宗教対立の愚かさを歌う。
宗教(=高み)のすべてを否定するわけではもちろんないが、同時にそれが生みだすものをすべて肯定することもない。
この争いを生んだのが宗教だというなら、そこに価値を見出す必要はない。
何代も遡るような古い因縁に囚われつづける必要もない。
どんなに美しい聖歌であっても、歌われる場所、歌われる目的が間違っていれば、声を揃えて歌う必要はない。
それは南北を問わない。
この争いを生んだ原因は、南北のどちらか一方にあるわけではない。
そして解決のための愛も、南北のどちらかに求められるものではない。

今のワタシはむしろスタジオ・バージョンのほうが心を揺さぶられると気づいた。
ライブでは当然ながらオーディエンスに向かって歌っているから、この歌は癒しや慰めの歌となる。
レコーディングで歌うときには、ボノは自身の内面に向かっているのではないだろうか。そこには癒しや慰めのような優しい感情よりは、「目をそらすな」という戒めのようなものの方がより強く顕れる。
これはそのまま、ボノが、U2がライブを愛する理由でもあるだろう。同じ曲ならば誰かのために歌う方が、自らの力にもなる。目の前に聴き手がいる以上、孤独が生まれる余地などない。

付け加えれば、これがPop期の曲であるということが、なおさらワタシの感情に突き刺さるのだと思う。ワタシにとってこの時期のU2は、何より痛みを感じさせる存在だからだ。

Levitate

// The Complete U2 (Unrelease and Rare)
// Release Date: November 2004
// Version: From All That You Can't Leave Behind Sessions
// Lylic: U2 Wanderer

「Levitate」という単語の意味も知らないうちに耳に飛び込んできたのは
「When freedom comes, freedom has a scent / It's like the top of a newborn baby's head」
という一節。"Miracle Drug"だ。
おおう。この頃から大事にしていた詩だったのね。
HTDAABに関して、この部分がアルバムの中で最も美しい詩だ、とボノが発言していたのを思い出した。

じゃあ、ここからMDが生まれたのかというと、それは違うように思う。むしろ、ここから発生したのはATYCLBのスマッシュ・ヒット、"Elevation"だろう。
なぜそうなるのかと言えば、まずはタイトルの"Levitate"。これは日本語にすると「浮揚する」。
elevationに比べてもっと非科学的というか、超科学的というか、そういう空中浮揚。
歌詞の中で言えば「Oh, lift me up」の部分のイメージが、強く"Elevation"を思わせる。
ただし、この曲の中では多く「us」が使われているし、「ぼくを空に引き上げてくれる誰か」は存在が薄い。
ぼくたちはこの地を離れ、空中に上っていく。

    もう誰もぼくたちを止められない、あまりにも遅すぎる。
    もう誰もこの速度を弱められない、ぼくらにはためらいもない。
    ぼくが欲しいのは、憎しみくらいハードな愛だ。

う〜ん、何か世界を見捨てるというか、心中しちゃいそうだ。歌詞をずっと読んでいくと、見捨てる感はさらに強まっていく。
ここで歌われているのは世界に対する絶望であるように思える。
もう充分に待ったけれど、世界は一向に変わる様子を見せない。だったらぼくたちはここを立ち去ろう。「ミツバチと花になって」。「この甘さが酸っぱいものに変わる前に」。
立ち去って「ぼくら」が向かう先には何があるかというと、「自由」である。ここで冒頭に示した
「自由には香りがある」という言葉が出てくる。
「ベイビー、ぼくたちはそれを味わうことができる。きみとぼくにはできる」。

もう一つ、重要な言葉は「Spirit」。蒸留酒でないことは当たり前だが、ここではトリニティのひとつ「精霊(聖霊)」を意味する。「父と子と精霊の御名において」という、あれだ。
「精霊が地に降りても、ぼくは降りていかない」と、ボノは歌う。ここには教会への批判もこめられているかもしれない。
何しろこの曲は『Pop』のアウトテイクともいわれている(前出のU2wanderer)。

そう、曲調は明るくて疾走感さえある、ATYCLBの流れにふさわしい曲なのだが、ここで歌われているのは紛れもなく『Pop』の世界だ。
それが時間を経て"Elevation"に昇華したのだとしたら、それはまったく『Pop』からATYCLBへの変化を象徴している。
もはや絶望感はない。重力は肩にのしかかるけれど、きみが空を飛べるように感じさせてくれるから。

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