酔月亭

ブログを引っ越しました! 今後ともよろしくお願いします。

BONO in ......

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『BONO in conversation』のなんちゃって翻訳。ゆるゆると参りましょう。
あくまでなんちゃってですので、原書を傍らにお読みください。
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きみの友人の何人かは人々との接触を避けているって言いたいのかな?

何もかも友人の多くと同じにする必要はないってことさ。

なぜ彼らは自分が一番じゃないと気が済まないんだろう?

さあね。地位の問題じゃないのかな。すごく階級的なビジネスだからね。
レストランでどの席に着くかってことは、キャリアの成功度合いを表すんだ。
ぼくはしょっちゅう経験するけれど、クラブやレストランに行ったら、予約が正しく把握されてなくて、行列に並ぶか諦めるかしなくちゃいけないことがある。
がっかりした様子で連れの手を取って退却していくのをパパラッチに見られたら、彼らは写真を撮るだろうね。セキュリティや先発隊が前もって行っていれば避けられる事態だけど、ぼくのスタイルじゃない。
取り巻きを連れ歩くことの口実は時々あるよ。でもぼくは通りから離れたところで脇道にそれたくはないんだ。
ペントハウスの生活が苦手だなんて言うつもりはないけど――同じように地下室だって得意なんだ。どっちも得意だというのがぼくのプライドの原点だな。上流の生活も、下流の生活もいける。程々の生活ってのは苦手だけど。

それで、きみは自分自身をセレブリティだとはみなさないんだね。

ああ、ぼくは違うよ。

じゃあ、きみは一体何者なんだ?

ぼくはへたくそな文章家、喫煙者、ワイン愛飲家、聖書を読むバンドマン。聞こえがよく言えば(笑)……見えない絵を愛する者。夫で父で、貧者の友人、時には富める者の友人でもある。アイデアの行商をするアクティビスト。チェス・プレイヤーで、時々ロック・スター、オペラ歌手、世界で一番うるさいフォーク・バンドのメンバー。
こんなところでどうだろうね?

うーん……今回は許してあげよう。
きみと道で行き合った人たちのうち何人かは、きみを偽物だと思うっていうのは本当のことなのかな?

ぼくが気づいてるよりも多くね。でも今は面白い闘いの話をさせてくれ。
名前は教えられないんだけど、違うジャンルの有名なシンガーとレコーディングをしたときのことだ。わかるかな?
彼らはダブリンにやってきたんだけど、大きなスタジオには入れなかった。辿り着いたのは市の中心部にある妖精がいそうなささやかなスタジオ。今では彼らはアイルランドは第3世界だと考えてる。少しおかしな気分にさせられてそこにいる。
確かなことといえば、ビッグ・スターが来るってことだけだ。
ぼくは車でスタジオに行った。決してすごく素敵だとは言えないヤツでね。で、外の駐車場に停めようとした――駐車はあんまり得意じゃないんだ。
スタジオの外側にはスターのセキュリティが立っていて、ビッグ・スターのスペースに車を停めようとするばかげた挑戦を見張っていた。
「申し訳ないが、この場所は私たちが押さえているんです」
ぼくは「いいんだ、大丈夫だよ、ぼくのことだから」と言ったよ(笑)。
「いや、ほんとに、ここに停めてもらうわけにはいかないんですよ」と、セキュリティが答える。
まるで巨人の国のできごとみたいだろ! 「違う違う、ぼくがアイルランド人のシンガーなんだよ」と言うんだけどね。
なぜなら、彼らの頭の中じゃあ、ぼくがたくさんのセキュリティを連れていないなんてあり得なかった。やがて、トランシーバーを持った男がやってきた。
たいていこういうことになるんだよ。
ビバリー・ヒルズで開かれる大きなパーティーに、取り巻きと一緒に車に乗っていくのじゃなしに、歩いていったとしよう。みんなすごく混乱するだろうね。
ぼくがすごく誇りに思うのは、決して失うことなくそういう人生を送っているってことだよ。
実際、セレブリティ・レーダーの監視下にあるんだけど。

そういうのは少し厚かましくないかい。それが真実だとは思えないな。

たいていの場合、ぼくらの人生は放映されるに足るほどビビッドなわけじゃない。
思うに、パパラッチでさえぼくらのプライバシーを尊重することを学んでいる。なぜかと言えば、もちろんパパラッチを最もやる気にさせるのは、彼らから隠れたり、彼らをやっつけようとすることなんだ。
彼らに向かってはこう言えばいい。「見てくれ、ぼくはここにいるよ。写真を撮りたいかい? 撮りなよ」ってね。
奇妙に思うだろうけど、ぼくは彼らと飲みに行くこともある。みんなにおごるんだよ。彼らは生活のために働いているんだ。ぼくは彼らから多くのことを教わったよ。
で、ぼくはたいていの人はぼくのプライバシーをすごく尊重してくれてるって感じるんだ。

でも彼らに脅かされている仲間もいるって言ってなかったっけ?

うん、友人のマイケル・ハッチェンスはこう言ってた。
「これはスター・ファッカーの商売だ。スターは最悪のスター・ファッカーだ」。
たぶん「ぼくの写真を撮りたがらない人間がいる。ぼくのサインを欲しがらない人間がいたらぼくはやってられない。この前のアルバムは失敗だったに違いない」って感じの症候群があるんだろうね。
無意識のレベルでは、ぼくたちは注目を求めているんだ。ぼくもそのひとりに違いないと思うよ。
でも、それは仕事上のことだけで充分で、プライベートな生活の中にまで求めはしないな。
でも、違うかな……だってぼくは、偶然にも、本のためだから言うけど、世界のメディアの前で大統領と握手している自分を見つけちまったんだ。
つまり、きみのポケットに入ってる心理学の本ではなんて定義されてるんだろうね。「充分に注目を得ていない」?
もししょっちゅうこんなシチュエイションに身をおいたら、そこにいたくなるに違いないよ。
たぶんぼくはどちらをも望んでいるんだろうけど、重要なのはいつだってプライバシーについてだ。
ぼくはただアイルランドに、ダブリンに引っ込んでいるのが好きなんだ。外出してスターらしく振る舞っても、ステージを離れて特別な外見も振る舞いもないと思うときでさえ、ふたつの世界のどちらについても、最高のものを与えてくれるからね。
でも、ぼくがもう一つの人生に戻りたいと望んだときには、ダブリンやニースやニューヨークで手に入れられる。
ぼくは長い時間をニューヨークで過ごした。人々はぼくに気づいても、冷静なんだ。警官もね。ニューヨークの警官にはアイルランド人が多いんだ。
それに、9.11が起こって、U2がNYをサポートしてからは、すごく愛情を感じるようになった。まさに世話になってるよ。
時々、ぼくがタクシーを呼び止めようとしてると、パトカーが近づいてきて「ヘイ、ボノ。どこでも行きたいところに連れてってやるよ」って言うんだ。最高だね。
君が80年代初期のことをよく考えたっていうなら、それは本当のことなんだろう。でも君たちが今の15歳とか20歳のファンにどう理解されているかってことについてはそう思うわけじゃない。彼らにとってU2は、100万枚以上のレコードを売り上げる、巨大なショウをする巨大なバンドだ。

ああ。でも、彼らが夜、ライトを消してヘッドホンでぼくらの音楽を聴いたら、どでかい思想のように聞こえるとは思えないな。親しみを感じるように聞こえると思うよ。

君たちの音楽を聴くことについてはよくわからないけど、同じレベルにいるんだと感じられるのかもしれないね。

もちろんまったくの真実だというわけじゃない。
ぼくらはロック・スターとしてうまいことやれるようになってきた。でもそれはぼくらが誇らしいと思うことじゃないんだ。
ぼくらは不誠実であることも得意になったけど、自分たちを守るためにだけ、ぼくらの仕事の上では誠実であり続けることができるんだ。
いいかい、今がMTVの撮影だとしようか。ああ、神よ、あちこちからカメラが君の顔に向けられてる! こういうことはうまいことできるようになったんだ。でもまったくのロック・スターかっていうと、そうじゃない。

きみがロック・スターであることに苦労しているように見えたのは、奇妙だよね。幾人かはプリンスみたいにグラマラスになり始めたものだけど。君はそうじゃなかったし、そうなりたいとも思ってなかった。むしろ逆だったね。2、3年後に、変化がやってきたけど。

10年後だったね……

ある時点で、熱狂的な「システムに対抗するぼくたち」という態度は薄れたね。

アナクロなやつだね。

そしてきみは学校に戻ったように見えた。『Rattle and Hum』でやったように音楽の深いルーツを見つけるためにではなく、ロック・スターになるやり方を学ぶために、学校に戻った。

そりゃいいね。
まったくZoo TVはそうだった。ぼくがぼく自身にまとわせたロックスターは、モンタージュ写真だった。エルビス・プレスリーの革ジャケット、ジム・モリスンの革パンツ、ルー・リードのフライ・シェイド、ジェリー・リー・ルイスのブーツ、ジーン・ヴィンセントの動作。ロックンロール・アイテムが欲しいかい? ぼくがあげられると思うよ。

フリー・マーケット(蚤の市)みたいだ。

(笑)フライ・マーケット(蠅の市)だよ!
きみに言ったとおり、ぼくらは本当にはロック・スターだとは信じられてないって思ってるわけさ。それが得意にはなったとしてもね。どうしてそれがわかったかを教えよう。つまり、今でもぼくは世界中をセキュリティなしで旅して歩いているからさ。ぼくは自分の面倒は自分で見られるんだ。
でもそれだけじゃない。ぼくは人々と触れ合うのが好きだし、彼らはぼくに近づきやすいと思うだろう。
みんなぼくに話しかけるし、ぼくに向かって歩いてくる――彼らはぼくの現在だとか影響力だとかを気にかけているようにはぼくを扱わないね。
ぼくの顔は10年前ほどにはオープンじゃないにしても、レコードでぼくのことを知っているから、こっちに向かってまっすぐに歩いてくる。で、話しかけることができる。
ニューヨークでさえ、ぼくはストリートを歩くし、みんな「調子はどうだい?」って言うよ。ぼくを恐れずにクラクションを鳴らしたり、近づいてきたりする。たぶんぼくはロック・スターとして失敗したんだろうね(笑)。
一方でぼくを自分同様に扱うセレブリティの奇人もいる。ぼくは通り過ぎるだけだ。
ぼくらの音楽を知っている人たちは、ぼくらのことも知っているんだ。彼らは暗い部屋の中にいて、親友よりもぼくらのことを知っている。なぜならぼくは親友に対するようには歌わないし、彼らの耳の中で歌うわけでもないからね。
きみはきみ自身をゴスペルの伝統に近づけていった。説教師をのりうつらせるように。つまり、最初に現れたロックは、おかしな説教師から進化したんじゃないかな。

ああ、そうだね。

きみは全くのコメディアンにはなれなくて、おかしな説教師になったんだって言いたいのかな?

ある意味、U2が多くのロックン・ロール・ピープルと同じ場所にいる、エルビスに戻っていくっていうのは面白くないかい?
ゴスペルやブルースの要素はそれだ。つまり一方にはポジティブな、もう一方にはマイナスの終着点がある。そしてエルビスのダンスはまったく電気椅子だね。

80年代初期に戻ろう。きみ自身、成功しないかもしれない、バンドは失敗して、何か適当な職を探して、生活のために稼ぐまじめな人間にならなくちゃいけないかもしれないと思ったときはあったかい?

たぶんポップ・マート(1997-98のツアー)の前に。あの頃だよ。

最近のことだね。

うん、なぜかって言うとね、ぼくらは破産の危機にあったんだ。ほら、Zoo TVのコストがすごかったんだ。1回のステージをやるのに、25万ドルかかったんだよ。そうだな、もし観客が10%少なかったら、ぼくたちは破産してただろうね。それもちょっとやそっとじゃない、大規模な破産だよ。
今ではそんなことは考えられない。1日に25万ドル、すごい金額だよ。
それ以来ぼくたちはリスク対策をしてくれる人間を見つけたけど、いずれにしてもぞっとする話だ。
アリに重大な失敗をした場合のことについて話したのを覚えてる。彼女はまったく怖れなかった。
「最悪の場合、家を売って、必要のない物件を売り払ってもっと小さな家を買って、普通の生活を送っている友人たちと同じように暮らせばいいんでしょう? それに何か問題があって? 友人たちは変わらないわ。すんでいる土地を離れるわけでもないし、そんなに恥じるようなことでもない。彼らはたぶんほっとするでしょうね、『おお、神よ……』って」(笑)
彼女は挫けなかった。ぼくもね。
ローリング・ストーン誌はZoo TVのことをライブ・ショウのサージェント・ペッパーだって書いたよ。草分けだって。
ぼくたちは楽しんだし、最後には多少儲かった。ほんとに少しだけど。でもそれでよかったんだ。ぼくは軽薄にも下品にもなりたくない。
底の方にいるよりは、てっぺんにいる方がましだろ。でもあの時だけは失敗について考えたよ。それからはまったく考えたことがないけどね。

正直になってくれよ。きみはそれ以前にはまったく失敗することを考えなかったって言うのかい?

思い出せないな。
ぼくらがなるべきものになれなかったら、怒って混乱するだろうとは思っていたよ。でもいつだってできるんだと思っていたんだ。けっしてできないとは思っていなかった。そしてそうなってすぐに、はっきりとしたね。(笑)
疑念、自己疑念というのは常に物質的なもの、自分たちの才能についてであって、向かうべき場所について疑いを持ったことはない。もしできなくても、信念は持っていた。なぜならぼくらは部屋の中に入り、一緒に演奏し、みんなの首の毛を逆立たせることができたから。みんなのね。
そこに5人しか観客がいなくても、500人だったとしても問題じゃないんだ。それはでたらめだけど。そんなことは起こらなかった。でももしそうなったとしても、ギグに行って感覚が合わない感じがあるだろ。ジョイ・ディヴィジョンでもさ。
いいかい、羨望と欲望の間には大きな違いがあるんだ。羨望ってのは、自分のものじゃない何かを欲しがること。でも欲望は違う。欲望は、自分自身のもの、でもまだそこにはないものを求めたときに生まれるんだ。これは羨望とは違う。欲望が羨望に変わったら、それはまったく違うものになるってことだ。
それから、ファンからの視点にも違いがある。自分がなれないと思っている存在を見上げることと、なることができる存在を見上げることだ。ぼくもU2も、常にファンにとってはそうなれるものだったんだよ。
もちろん80年代にはエコー・アンド・バニーメンやティアドロップ・エクスプローズみたいなもっとファッショナブルなバンドがいて、英国のプレスはU2よりも彼らの方を称賛していたね。
彼らを追い越したって感じた時があっただろう? アメリカに進出した時かな。

きみが話してるのはどっちも素晴らしいバンドだったけど、自分の国での競争に勝たなければならなかった。ぼくらはイギリスのバンドじゃなかった。
U.K.はぼくらを受け入れた――決して完全にではなかったけど。なぜなら、アイルランド人はイギリス人と違っていたからね。
ぼくはイギリス人の慎み深さや厳しさが好きだけど、ぼくらは彼らにとって手に負えないひどいものだったと思うよ。感情的すぎるし、まともに当たりすぎる。彼らはクールで、ぼくらはホットだった。
ぼくらにはバンドを表現する時の決まり文句があった――バニーメンやティアドロップ・エクスプローズのことじゃないよ――ロンドンのキングス・ロードを歩いてる時に見つけたあんまり言うようなことがないようバンドにさ、「すべてがある。それ以外は」って言うんだ。ぼくらはその逆で、「なんにもないけど、それだけはある」バンドだった。それが違いだった。
いくつかのバンドはほんとに競争力があったけれど、時代やメディアのムードは、ビートルズやストーンズや、あるいはセックス・ピストルズもそうかな、そういう世界征服をするようなバンドを望まなかった。彼らは野心を明らかにしなかった。文化大革命みたいなものだよ。毛沢東のね。音楽雑誌はバンドを欄干の上に上げるようなまねはしないんだ。
きみはカスタード・パイを持ってたんだよ。ぼくは「ちくしょう、オレは諦めない。王様になってパイを投げるんだ」って思っていた。
だってぼくの芸術の定義は、「皮膚の下に手を差し込んで、胸の骨を壊して、肋骨を開け」ってところから始まってるからね。本当に何かを書きたいと望むなら、そうすべきなんだ。
きみにはその準備ができてる? あるいは、きみにとってロックンロールは一足の靴か散髪か、不快な実存主義か甘美な腐敗なのかな。
ぼくの友人のひとりの芸術についての定義はそれだよ。血だ。アイルランドの文学から、オスカー・ワイルドの『獄中記』から、ブレンダン・ベーハンがオーディエンスの前で演じながらステージの上を歩き、人々に「ファック・オフ」って言うところから来ているんだ。

それはアイルランド人だけじゃないだろう。『Journey to the End of the Night 夜の果てへの旅』を書いたルイ−フェルディナン・セリーヌからの有名な引用がある。「文章を書くには、自分の皮膚をテーブルの上に差し出さなければならない」。

ロックンロールはしばしばその反対だね。テーブルの上に皮膚を差し出すというよりは、別の皮膚を、マスクを見つけることだ。

それはぼくみたいな外側の人間にとっては大きい矛盾のひとつだな。きみは自分のまじめさとショウビジネスに求められる表面性とをどうやって折り合っているんだい?

決してパフォーマーを信じるな、パフォーマーは最も優れた嘘つきだ。やつらは生きるために嘘をつく。
きみはある意味、アクターだ。でも作家は嘘つきではない。
聖書にこういう一節がある。「真実を知りなさい。そうすればあなたは自由になれるでしょう」。
まだ子どもだったころ、ぼくは教室に座り、教師が偉大なアイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イエイツについて話すのを聞いていた。彼は作家としての壁にぶち当たっていた――書けない時代があったんだよ。
ぼくは手を挙げて言った。「どうして彼はそのことについて書かなかったんですか?」ってね。
「ばかなことを言うんじゃない。生意気な真似はやめて手を下ろしなさい」。
でもぼくは小賢しい冗談を言ったつもりはない。ぼくはそういう考えで生きてきたんだ。「真実を知りなさい。そうすればあなたは自由になれるでしょう」。
もしぼくが何も言うべきことを持たなかったら、それが歌の1行目になる。実際、セカンド・アルバムの『October』で、ぼくは言うべきことを持たない歌を歌っている。
「この歌を歌ってみよう……立ち上がろうとするけど、足が見つからない/正直に話そうと思うけど、あなたといる時だけぼくは完璧でいられる*」
    *"Gloria"
ぼくにとってはいつだってこれがコツなんだ。そして多分、単にコツであるに過ぎない。でもそれで、ぼく自身をだますことができるんだ。
ぼくはいつだって書くことができる。作家としては、ぼくはいつも真実に目をつぶることはできないんだ。
パフォーマーとしてはそうだとは限らない。
きみは、一体何がぼくをパフォーマーとして誠実でいさせているか、わかるかい? ぼくが歌わなくちゃならないクソ高い音程だよ。まったくあのキャラクターになりきらなければ、歌うことはできないんだ――ぼくの音域じゃないよ。それがステージの上のぼくを誠実でいさせているんだ。
もし一歩でも引いてパフォーマンスができるって言うんなら、ぼくはそうしてるだろう。
ところで、ツアーを続けて毎晩歌の中に踏み込んでいかなければならないってのは、かなり高くつくことなんだよ。
ぼくはノン・メソッドの俳優を目指すべきだったね。

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