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夕方4時ごろに始まったトークセッションは「いのちにぎわい 森が人を守る、人が森を守る」と題して行われた。 アイヌ風の家のアシリ・レラさんを中心に、中国電力上関原発の建設に反対する山口・祝島、核燃料再処理工場の本格稼動が迫る青森・六ヶ所村、森の保全に取り組む桧原村からパネリストが参加した。 話の中心は森と水の循環。 レラさんは子どもの頃、「川岸を歩くときには柳の枝を挿しなさい」と教わったそうだ。コンクリートの護岸は一見頑丈そうだけれどもいったん崩れるとなるともろい。本当に川を守るのは川岸に生えた木の根っこ。 それにコンクリ護岸でまっすぐな流れに強制された川は、川底を削ってしまうし、激流となって下流での水害をもたらす。 川は蛇行して、あちこちにぶつかることによって勢いをそがれるもの。 そうして森から水や栄養を運んで、大地を潤し、海を育てる。水とともに命を循環させるもの。 祝島には石垣で作られた日本一の棚田がある。それは稲作の歴史とともに積み重ねられた文化。 対岸に上関原発が作られても、祝島の米は安全だといえるのだろうか。 暮らしも文化も失われてしまうのではないか。 六ヶ所村にしても、高尾山にしても、人間の都合で自然が破壊される(または破壊される危機にある)。 森から与えられる喜びや安らぎをもっと人びとに体感してほしい。 そうすれば自然を尊重することもできるだろう。 かなりとりとめないですが、おおよそそのようなことが話されました。 その後、パネリストの一人であるマエキタミヤコさんから、それまでの流れを断ち切るような提言がなされました。 要は、「そういうこと」を官に伝えていかなければいけないということ。かつ、現在の官僚は(文系出身者が大半を占めるので)理科を知らない。基本的な知識である食物連鎖さえ知らない人が「環境」に携わっているんだということ。 うむー、これは結構白眉でした。 15年前の大学生だったら、中学高校で教わっているようなことも、今の20代は知らないのかと。つか、いわゆる一般常識なんじゃないのかとも思うんですが。 でもマエキタさんは言い切るわけですよ。官僚と対峙している人がそういうなら、きっとそうなんだろうな、実感なんだろうなと納得させられます。 それは確かに危機感かも。 だからこそ「説明責任」を果たさなければいけないんだけど、それはかなり困難だとも思う。だって「理科」だぜ。「科学」じゃないんだもん。いったいどこから始めればいいんだよう。 それはもう、感覚的な問題であるような気もする。 マエキタさんが言うところの対官僚、対政府というのは、市井に生きる人からしたら少し遠いところにあるようにも思う。 レラさんが唱える個人の自然についての認識についての話は精神論めいていて、しかも個人が責任を負うようなことではない。 マエキタさんは、市民一人一人に(官僚同様に)知ることを求めているように思う。 この日にもそう思うんだけど、後に確信を強めた。 ボノはやっぱり、ワタシを(ワタシたちを)甘やかしている。最低限のことしか求めていない。 最低限のことしか知らなくても、充分な力になるからだとは思うんだけどね。 でもその一方で、ボノが求めていない基本的な認識を持つことは、ワタシのような人間には重要だとも思う。 でもさー、半ば確信的に認識を避けているわけだったりするんだよ、オレ。 ボノが考えなくていいって言うから、考えなかったりしてきたわけだよ。少なくともこの2年くらい。 でもって、ワタシみたいにキャパシティが小さい人間には、それが有効だったりもする。 考えるべきことを考えていたら、自分で結論を出せなくて、挙句の果てに身動き取れなくなっちゃうんだもん。 ま、考えずに行動した結果、ここに導かれているわけなんですけど。 稿を改めますが、今日はいろいろと考えさせられて、気分が停滞しています。 停滞したので酒を飲んで、真夜中まで元気でもあるんですが。 ワタシの札幌生活もほとんど明日(9日)で終わり。ここにいる間にすこしでも考えをまとめられたらと思いますが、取り止めのないものに終始するんじゃないかという危惧の方が大きいです。 明日は余裕がありそうなので、ファンサイトダイブもしちゃいたいな。
U2ブログのはずがこんな記事ばかりでごめんね。オレ的には整合性があるんだけど、なかなかそうは感じられないすよね。 にもかかわらずたくさんの訪問があって、心苦しいばかりです。 「こんな酔月亭は読みたくねえ」というかたは(それもまた正当だと思うんだよ)、一週間ぐらい待っててください。 さすればサミット熱も抜けているかもしれません。断言はできないけど。 |

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