もう一カ所、寄ってみたい集落があった。龍郷町秋名という、奄美随一の水田を要する集落である。
奄美の主要農産物はサトウキビ、果実類で、稲作を行っている農家は非常に少ない。江戸中期から幕末期にかけての薩摩藩政で、すべての田をサトウキビに換作させられたためである。
『村 奄美・ネリヤカナヤの人々』という写真集(リンク先ページの中程)で、秋名は今も稲作を行い、また稲作にまつわる祭りが残っている集落として紹介されていた。
いくら亜熱帯の島とはいえ2月ではまだ田植えも遠いだろうが、祭りにゆかりのある場所を見られるかもしれない。
(振り返りながら書いてみて思うのだが、あの時になぜ秋名へ行きたいと強く思ったのか、理由が今ひとつ定かではない。ただ広々とした水田地帯を見たかっただけなのだろうか。)
名瀬の町から峠を二つ三つ越え、時々海を見晴らしながら約30分ほどで秋名につく。父のいつもの方策で公民館を探しながらうろつくと、「ショチョガマ祭場地」という看板に出会った。
旧暦八月最初の丙の日アラセツ行事を行う。
この日の早朝、潮が満ち始める頃「ショチョガマ」祭りを行い、
夕方の潮が満ち始める頃海岸の平瀬で「マンカイ」祭りを行う。
この二つの祭りを合わせて「平瀬マンカイ」と呼んでいる。
内容は、稲の豊作を願い、また豊作に対する感謝の念をこめた祭りである。
起源は琉球王支配下にあった時、ノロを中心に始められたものとされている。
畑の間の細い急坂を上がると、秋名の集落が眼下に見渡せた。
例えば武蔵野のように、田んぼの中にぽつんぽつんと家が建っているのではなく、家は集落の中にあり、田んぼは田んぼで集落の外縁にあるという感じだ。
思っていたほどに広い水田地帯ではなかったし荒れた田んぼも多かった。
公民館は見つからなかったが、カーナビが小学校を表示したので目指す。海沿いに走って、老人施設を回り込んだところに、なかなか大きな小学校があった。
昨今の時勢からして中に入るのはためらわれたが、校門は閉じられていない。車を止め、遠慮がちに中に入ってみる。
片隅に畑があった。ほんの2週間ほど前に自動が芋を植えたのだという。ここでいう芋はやっぱりサツマイモなんだろうかと考えていると、先を歩いていた父が校舎から出てきた男性と話を始めた。ワタシと母も近づいて、挨拶する。教頭先生だった。
公民館と黍搾りの工場を教えてもらって、学校を後にする。
田んぼの真ん中を走っていると、農作業をしている男性がいた。聞けば、苗作りの準備を始めたところだという。関東に比べると2ヶ月くらい早いだろうか。
そのまままっすぐ、田んぼが途切れたところに黍搾り場「さたやどり」があった。人気はなかったので、勝手に見学させてもらう。
高倉と納屋が並んでいて、納屋の中には若い馬が一頭。奄美博物館でみた史料に寄れば、馬は黍搾りの動力である。裏には搾り機があって、どうやらそこに馬を繋いで黍を搾るらしい。もちろん大半はエンジン動力の搾り機を使っているようだったが。
「さたやどり」の入り口。この日はしまっていたが。
高倉と踊りながら近づいてくる父。
ひとしきり見てから付近をぶらぶらしていると(ヘゴを見つけて喜んだり、スモモを見つけて喜んだり)となりの畑で作業をしていた男性が上がってきた。さたやどりと黍畑は友人の持ち物だから、黍を切ってやろうという。ありがたくいただく。
固い皮を歯で剥き取り、芯の部分にかぶりつくと、思ったよりも甘くさっぱりとした糖液が口の中に広がった。うまい。歯の部分をもらって食べている馬を眺めながら、あごが疲れるまで黍をかじった。
馬は甘いものが好き。
ガジガジ。
馬小屋に堆肥を取りにきたもう一人の男性も交えながら、この辺りのことをいろいろと伺う。さたやどりのオーナーの本職は大島紬の図案職人で、週末だけここを開けて黍を搾っているのだという。
黍を切ってくれたおじさんは一度は大阪に出て、また戻ってパパイヤやパッションフルーツを作っているのだそうだ。先日もさいたまから移住してきた家族がいるから、あんたたちもここに移って暮らせばいい、なんてリアルな冗談を言う。
帰り際にタンカンと緑のパパイヤをいただいた。
国道に戻るべくうろついていると、スモモ畑があった。満開とはいかないものの昨日見た畑よりもずっと花が咲いている。その向こうのタンカン畑で作業をしているおばさんに声をかけ、写真を撮らせていただく。
再び車に乗り込んでその場を離れようとすると、おばさんが近づいてきて、タンカンを一抱えくれた。まったく会話もないままいきなりだったので、面食らってしまう。慌ててお礼を言うと、にっこりうなずいただけでまた畑に戻っていく。
自己紹介のつもりか、父が背後から「埼玉から来ました!」と声をかけると、おばさんはあらーと言ってもう一抱えタンカンをくれた。娘さんが白岡に住んでいるそうだ。ちょうど実家に戻っていて、これから畑を手伝いにくるという。奇遇と厚遇に驚きながらも重ねて礼を言い、写真を一枚撮らせてもらう。
直後にすれ違った車に乗っていたのが、多分娘さんだったのだろう。まだ小さいお子さんも一緒だった。
午後は余裕のある日程のはずだったのに、思いがけない出会いで急ぎ足になってしまう。昨夜話に聞いたキャンプ場と安木屋場の集落を通り、ソテツの群生地を見つけ(一山全部ソテツ)、龍郷湾に入る。
ソテツに覆われた斜面。
初日に通った道を懐かしく辿って、物産センターでお土産を買い、スーパーで夕食を仕入れ、空港へ。
自動チェックイン機で席がバラバラになってしまったが、いざ搭乗してみるとまとまった空席があったので、勝手に席を移って夕食。ワタシと母は昨夜の残りの焼酎を空ける。
食べ物の匂いを漂わせてかなり迷惑な家族だが、乗務員のお姉さんが持ってきてくれたお手拭きタオルがお墨付き。
雲の彼方の残照を見ながら、最後の島食を楽しんだ。
長い旅の記録にお付き合いいただきありがとうございました。
ちゃんとBack in the habitするよ。
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