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全写真はスライドショー 2月20日 「ゆのわん」という名前の友人を持つ方ならいくらかおわかりいただけると思うが、ウチのワイルドハニーで変換すると、まず「ゆの湾」と表記される。「ゆのた」と入力すれば「湯の太」と出る。 となれば、ワタシが地図上に「湯湾岳」という山を発見して以来、うきうきしながら「ゆのわん岳」と呼ぶのも無理はないと思う。 奄美大島最終日、前日の天気予報で朝からずらりとおひさまマークが並んでたのに気を良くしたせいか、二日酔いの気配は露ほどもない。勢いよくカーテンを開けると、あらら、朝の日差しはどこ? 別側のカーテンを開けると、ビルの屋根に水たまりがあって、雨滴がぽつぽつと落ちるのがはっきりと見える。期待していただけ落ち込みも激しい。 ともかく朝食をとって(500円にしては豪華)、今日の予定を考え直す。 これではせっかく山に登っても展望を楽しめるわけがないから、とりあえず博物館に行って、お勉強がてら天気が好転するのを待つことにする。 奄美博物館は市内中心部から車で5分ほどのところにある。 (リンク先のオフィシャルページではいまだに「名瀬市立」となっているが、もちろん「奄美市立」) 広々とした芝生の庭に立派なガジュマル。移築された高倉が数棟と茅葺きの民家が一軒移築再現されている。 博物館の展示は3フロアに分かれている。最上階は自然展示、2階は歴史展示、1階は工芸品やらカエルやら雑多で何とも言いがたい。 一番時間を過ごしたのは2階に展示された「南島雑話」という史料展示の前だった。幕末に奄美大島に流された薩摩藩士・名越左源太が、奄美大島の風俗を多くのスケッチを交えて記したものである。 実物ではなくカラーコピーではあったが、製糖過程、ローカル信仰、罪人への刑罰など、奄美大島の様々な場面がわかりやすく描かれていて面白かった。 なかでも「泡盛」。高い位置から杯に注いで、文字通り泡を盛ったようにして飲んだらしい。 (帰宅後、奄美の債務奴隷・ヤンチュについて書かれた本を読んでいるのだが、そこにも「南島雑話」の図版が掲載されている。ワタシがただ「刑罰」とだけ思った図版は、薩摩藩の黒糖収奪に深く関わるシーンだとわかった) (この稿を書くにあたって「南島雑話」を検索したら、書籍にまとめられていて今でも流通していることがわかった) 一通り館内を見終わっても、まだ小雨が降っている。うかない気持ちでふらふらすると、鮮やかなピンクが視界に入った。 緋寒桜が、ちょうど満開だった。 島産の黒糖焼酎の銘柄にもなっている島のあちこちに見られる花なのだが、ワタシたちがいた南部ではもうほとんど終わりかけていたので、ここほど見事に咲いているのを見るのは初めてだった。 ショッキングピンクの派手な花色に反して、うつむき加減に咲く奥ゆかしい風情の花だ。 今年一番の花見となった。 さて、雨はやまないが、いつまでもここにいてもしょうがない。とりあえずゆのわん岳に行ってみることにする。 昨日来た道を逆に辿り、スモモの里の先から山に入る。うねうねと峠を登っていくと、あちらこちらにヘゴが生えていた。雨を含んで美しい。たった1日町にいただけなのに、もはや懐かしい気持ちさえして、大喜びの車内。 途中、マテリヤの滝に寄る。滝に降りていく道すがら、白い花が落ちている。これは噂のサクラツツジ。スモモ、緋寒桜とともに、2月が見頃と紹介されていた花だ。 花は小振りだがいくつも集まって垂れ下がるように咲いているのでとても豪華。滝にもふさわしい姿。 ほどなく滝壺についた。落差はあまりないが、ともかく水が澄んでいて美しい。 樹木に覆われる薄暗い谷にあって、ここだけはいつも太陽の光がさんさんと降り注ぐので「本当に美しい太陽の滝(マティダヌコモリ)」と呼ばれ、それが訛ってマテリヤという名になったという。 残念ながらもちろん日は射していない。けれど少ない光を反射させているのか、ここだけが明るく見えるのも確か。 滝を後にして、ゆのわん岳展望公園まで行ってみたが、やはりすぐ近くの谷しか見えなかった。山頂はそこから50分のハイキングなので、次回の楽しみに取っておく。 昼食は名瀬に戻る。昼時は過ぎてしまうが、アドバイザー2人から協力に勧められている店に行くのだ。その名も「満月」。お好み焼き屋である。 当初の予定では名瀬での食事は昨日の夕食のみだったので一端は諦めたのだが、天気が悪いことも手伝って名瀬で昼食をとることになったというわけ。がんばって車を飛ばし、到着したのは2時前。おなかグーグーである。 ワタシが車を駐車場に入れている隙に、すでに注文されていた。ま、みんな腹減りだからね。ほどなくしてお姉さんが超豪華お好みを焼き始めてくれる。 左が「黒豚ミックス」、右が「大海老ミックス」。 思わず「黒豚スペシャル」と名前を呼び間違える気持ち、わかってもらえると思う。 できあがり! 半分はポン酢、半分はソースで食べる。 ポン酢が微妙に甘い独特の味で、これがカリカリのお好み焼きにめちゃくちゃ合うんだ。 もう少し行けそうだったので焼きそばもオーダー(ほんとは焼うどん頼んだけど)。 「もうお腹いっぱいだから食べない」と宣言した父も、当然食べたくなる。 うわー、ビール飲みてーよー。泣く泣くウーロン茶をすする、かわいそうなワタシ。 ちなみに翌日が満月にあたり、このスペシャルなミックスが500円で食べられるらしい。惜しい! |
around myself
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たまにはU2と関連のない/薄いことも書くらしい。
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全写真はスライドショー 2月19日 東シナ海最初の集落は今里。峠を下ってくると、大きな丸いタチカミが視界に入る。けっこう大きな港があるので立ち寄ってみる。 岸壁は地元の中学生が今里をテーマに描いた共同制作絵画で飾られていた。海の生き物、森の生き物、それに擬人化されてたこ焼きのお化けみたいなタチカミ。 年度を追うごとに制作に携わった人数が減っていく。最後の作品は3年か4年前のものだった。 ヘゴと並んで父が執着していたアマミノクロウサギを訪ねて大和村の野生動物保護センターへ。もちろん生体を見られるわけがないのだが、剥製はいた。展示で奄美の動物たちについてお勉強。企画展示されていたツシマヤマネコについても。 村内の津名久地区が「スモモの里」だというので、白く可憐な花を求めて路地をうろつく。「梅の里おごせ」が頭にあったので、てっきり広々と見渡せるスモモ林があるのだと思っていたのだが、平地の狭い、風の強い地域だから、小さな果樹園が防風林に遮られて点在していた。 花はやっと咲き始めたという段階でがっかり。2月中旬から見頃だと聞いていたのだが、ここしばらく寒かったそうなので遅れているのかもしれない。 nekoちゃんとチャーリー、二人がおすすめの大浜海浜公園に立ち寄る。砂浜と磯が混在する、広い広い海岸。波打ち際ではアオサ狩りができそうだ。 空には雲が立ちこめているが、左手の岬の辺りだけ切れていて、午後遅い太陽が明るいスポットライトを照射している。残念ながら夕焼けにはまだ早い。 遊歩道に釣り人一人。父とばーちゃんが屈託なく話しかけるのに、言葉少ないながらもにこやかに応じてくれる。足下には釣果の一匹。魚の名前を教えてもらったのだけど、忘れてしまった。 シックでスタイリッシュだ。 奄美大島の中心は名瀬という町なのだけれど、数年前の合併ブームの例に漏れず巨大な奄美市になっている。なにしろ昨日のマングローブも奄美市。空港も飛び地で奄美市。 地名は残っているし、当然慣用的に使われているけれど、なんだかもったいない気がする。 今夜の宿泊は名瀬港の近く、ウェストコート奄美という新しいホテル。荷物を部屋に、車を駐車場に入れ、街散歩に出かける。 母とばーちゃんは、ばーちゃんの壊れたハンドバッグの代替品を探しに。ワタシと父は奄美に関する書籍がそろっているという「あまみ庵」を探しに、街をうろつく。 小さな街だけれど、立派なアーケード街がある。裏路地に入ると市場もある。映画館もある。暮らしやすそうな街だな。 市場の外観。こういうのが大好き。 映画館の名前は「シネマパニック」。このまま営業を続けてほしい。 目当てのあまみ庵は新刊と古本を一手に扱う書店だった。奄美関係だけではなくて、薩南諸島の他の島や、沖縄、八重山関係の本まで豊富だった。 昨日まで泊まっていたマリンステイションのロビーにあった『村・奄美 ネリヤカナヤの人々』という写真集も、しっかりあった。 ワタシはてっきり父がこの本を欲しいのではないかと思って、それでこの本屋に連れてきたのだったけれど、財布の中身と相談した上、「写真集だとあまり開かないから」といって別の本を買った。ワタシがプレゼントしてあげられればいいんだけどな、すまんの。 ワタシはワタシで、江戸時代の債務奴隷・ヤンチュの本が気になったのだけど、ここで手を出すとお土産の焼酎が買えなくなる恐れがあったため断念。そのうち父が買うんじゃないかという期待もあった。 (で、翌日別の場所で父が母のお財布で買った。) 程よい時間になったので、集合場所の居酒屋へ向かう。無謀にも集合時間は決めてないし、ワタシたちは地図を持っていない方向音痴コンビだし、ちょっと心配だったのだけれど迷わずに辿り着いた。先に来ていた母とばあちゃんも、あまり待たされなかったみたい。 待望の居酒屋食なので、早速焼酎の湯割りを頼み(お店の人に銘柄をお任せしたらいつも飲んでる高倉だったのが残念)、貝だとか魚だとか海藻だとか、珍しいものをあれこれ頼む。焼酎のおかわりを頼んだら、こっちの方が安くつくからと、ボトルを持ってきてくれた。 最後の夜だから、これまでの3日間を振り返りつつ、明日の予定も目星を付けなければならない。といってもまあ、行きたい場所はいくつか決まっているんだけど。 店内のテレビで天気予報をやっていた。やった! 明日は朝から夕方までおひさまマークだよ。今までのおつりが来るかな。 8時頃、父が先にホテルに帰る。ワタシたち3人はもう少し飲み食いした後、飲み残しの焼酎ボトルを下げてホテルに戻った。 んが、母とワタシがたった一夜の居酒屋ライフをたった一軒で満足するわけがない。ばあちゃんが風呂に入れるようにセッティングした後、そそくさと再び街に出る。 目を付けていた店はもう一軒あるのだが、ホテルからは少し離れている。どうするべねーと思いつつ顔を上げると、ホテルの真っ正面に赤提灯。炭焼小屋だって。ここだったら這ってでもホテルに帰れるねとお互いの認識がとんでもないところで一致して、さっさと道を渡る。 小さくて簡素な店で品数も少ないけれど、焼酎があれば言うことはない。牛串とタコ串、それに焼酎、もちろん湯割りで。 お店のご主人がシシ汁がおすすめだという。そういえば奄美ではイノシシも名物だけれどまだ食べてなかったと、大喜びで注文。けっこう腹はくちてるはずなんだけどな。で、これが大根たっぷりのみそ味で旨いんだ。 一人だけいた先客の常連さんは龍郷町にあるキャンプ場の関係者だそうで、その辺りの観光情報をいろいろと教えてくれる。 6月末、梅雨明けの頃には蛍も飛んでおすすめらしい。それに10月は安木屋場という集落で祭りがあって、誰でも参加できるらしい。うむー、再訪はそのどちらかの時期に決定だな。 あと、海なら喜界島だって。珊瑚礁が一番残っているらしい。 他にもあれこれ話し込んで、しっかり居酒屋ライフを堪能できたワタシたちが重い腰を上げたのは10時半を回っていた。 翌日写した「炭焼小屋」。また来たいな。 |
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全写真はスライドショー 2月19日 大島湾に別れを告げて、北上の日。途中、奄美で一番高い山・湯湾岳(ゆわんだけと読むが、愛称はもちろんゆのわんだけ)と、東シナ海沿岸の地域に立ち寄る予定。 その前にヘゴ自生地を訪ねたいという父の希望を容れ、国道58号から脇道に入る。 地図上に「ヘゴ自生地」と明記されてはいるもののかなり大まかな位置しか書いていない。案内板も目につかず、何となく走っているうちに目当てのあたりを通り過ぎてしまう。 このまま行くと嘉徳という集落に入るのだが、カーナビに「嘉徳小」という表示が出る。小学校で校長先生にヘゴ自生地の場所を教えてもらおうと父。この人は小学校の校長先生が結構好きなんである。 昨日訪ねた蘇刈よりもさらに小さな集落。細い路地を行きつ戻りつして辿り着いた小学校には人の気配がない。さらに、門の傍らにギャラリースペースの看板が立っている。 これはもしや……と危惧したとおり、すでに廃校になっていた。 ギャラリーがあるおかげで学校が開放されているので、せっかくなので中に入ってみる。芝生の校庭には空を覆うばかりの大木。集落の生活必需品だろう小舟も置かれている。 建物の中に入ると、ゴリラや山羊のデッサンが飾ってあったがやっぱり人気はない。もちろん校長先生も、現職元職を問わず見あたらない。 ヘゴ探索はここまでかと諦めかけたとき、ワタシたちのレンタカーの後ろに一台のトラックが止まり、おじさんが降りてきた。電化製品か何かの配達らしい。お仕事中すみません……と父が話しかける。 その一方で、学校の隣の家のドアが開き、ご婦人がひとり出てきた。ワタシはそちらにアタック。ヘゴを捜してここまで来たというと、地図上の自生地とは明らかに違うものの、期待の持てそうなヘゴポイントを紹介してくれた。 二組のやりとりが続くうち、ご婦人が出てきたドアからさらにもうひとり、半纏を着たおじさんが登場。うむー、なにやらアーティストの匂いがするぞと思ったら案の定で、小学校をギャラリーにしたご本人だった。 結局、ワタシたちはまとめてギャラリーの隣室=アトリエに招き入れられ、お茶をごちそうになることに。 半纏氏は堀晃(ほり・ひかる)さんという山口県の画家で、お連れ合いと一緒に山口と奄美を行ったり来たりしながら制作をしているという。 アトリエに使わせてもらえそうな廃校を探してあちこちを歩き、奄美大島に落ち着いたのだという。自分ひとりで終わらせるのではなく、若い作家にもつないでこの場を継続していきたい、と言うようなことを話していたと思う。 最近、こういう形で廃校を開放するケースは増えている。地元作家の美術館になったり、ギャラリーになったり、アトリエ(ワークスペース)になったり。 (こういう事に限らず、廃校になるのを待たずに、子どもが減って空き教室ができた段階で新たな利用を始めれば、子どもと大人のつながりも強くなるし、地域の活性力を保つことになるんじゃないかと思うんだけどな。市民講座みたいな名目でもいいから。 子どもたちが九九を覚えている隣でじいちゃんばあちゃんが俳句を詠んで、お昼は一緒に食べましょうとかさ。じじばばだってひとりで食べるよりは地域の子どもと食べる方が楽しいだろうに。どうせ給食センターのお昼を食べてるじじばばだって多いんだから。 それはやっぱり難しいのかな。先生の仕事が増える!って怒られちゃうかな。) このあたりの自然や暮らしの様子もいろいろと伺った。夜になるとアマミノクロウサギを初めとする珍しい動物もよく出てくるんだとか。体長10cmくらいのリュウキュウコノハズクが道路を歩くさまは、想像するだにかわいい。小トトロだね。 戸数にして20あまり、人口30数人というこの集落、歌手の元ちとせさんの故郷でもあった。今でもご両親がいらっしゃるので、ちとせさんも時々帰ってくるんだとか。校庭の大木の足下に立って歌う彼女の姿、あまりにもはまりすぎる。実際にここでライブをしたことはないらしいけど。 (父はこの方の名前をなかなか覚えられず、帰宅後「もとちとせ」のCDを買いに行ってあえなく失敗したらしい。今はやっと覚えました) お茶を頂きながら小一時間ほどお話をして、そろそろこのあとの予定も気になるのでおいとました。 思いがけない出会いで楽しかった。関東で個展をする機会も多いようなので、またお会いできるといいなと思う。 教えてもらった道順でヘゴを目指す。 10分くらい走ったか、目印の橋に辿り着いて、車を停めた。橋から谷を見下ろすと、おおー、ヘゴじゃ。ヒカゲヘゴがあっちにもこっちにもにょきにょき生えている。父はもちろん、すっかりヘゴ中毒がうつったワタシと母も大喜び。 橋のたもとを捜すと道とも呼べない道があったので、草木に捕まりながら川に降りた。見下ろすヘゴより見上げるヘゴの方が綺麗。川の流れも澄んでいるし、もちろんゴミなんて落ちてないし。 晴れていればもっと緑が鮮やかだろうとは思いつつ、小雨が降っているからしっとりと水を含んださまがまたいい。 しばらく堪能して、橋上に戻って川と橋の名前を確認して青くなる。 最初に見つけたのは「おおへんじゃばし」というひらがな。おい、これって……「じゃ」ってもしや……。逆側の銘板を見ると、漢字で書いてありました。曰く「大辺蛇橋」。ですよね。 冬だったからまだよかったけど(いや、空港近くでそれらしき姿を見ていたワタシはちょっと意識しながら降りたんだったけど)、あったかかったら一家全員ハブにやられてたかも。 もう2度と降りないす。この場所に限った話じゃないけど、毒蛇のいる島では用心が肝心です。反省。 予定よりだいぶ遅れて、ようやく元のルートに戻る。雨が降り出していたし、時間も時間だったので食料調達してピクニックという魅力的な案を捨て、宇検という町の宇検食堂で昼食。
ガイドブックに載っていたんだけど、想像していたような「食堂」ではなくて、行政色の濃い施設でした。隣は老人系の公共施設。観光客が宿泊できるようなキャビンも並んでいたけれど、ワタシ向きではなかったな。食堂も宿も新しくて清潔そうで、いい感じではあったけどね。ハブの心配もいらないだろうし。 もう一息山を越えて(今日のところはゆのわん岳は諦めて)東シナ海に出る。 |
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全写真はスライドショー 2月18日 今回遠隔操作でガイドを務めてくれたのはnekoさんなのだが、中でも至上命令だったのがマングローブ探索である。ワタシと父は西表島で日本最大のマングローブを見ていて、特に父は遊覧船でそばまで行ったのだが、母とばあちゃんは初体験だし、ワタシもカヌーで水面に近い視点からマングローブを見るとなれば好奇心をかき立てられることこのうえない。すべてはお天気次第と思っていたけれど、幸い昼過ぎから晴れて気温も上がっていた。 てなわけで、母とばあちゃんは遊覧船、ワタシと父はカヌー、どちらも可能という奄美市住用町のマングローブ茶屋へ。カヌーはとても安定していて簡単で、小学1年生でも大丈夫というお墨付きをいただいて、勇気凛々川へと滑り込む。 自分と川を隔てるのは薄いプラスチック一枚だけ。お尻の下に川の流れをありありと感じる。パドル操作にもじきに慣れ、方向変換も停止もバックも自由自在、広い川を左右に横切りながらマングローブの奥へと進む。 マングローブというのは植物の名前ではなく、熱帯〜亜熱帯の汽水域に広がる植生のことで、日本語では紅樹林と訳されている。住用・役勝川の河口に広がるマングローブは、主にメヒルギとオヒルギからなる。 マングローブ@wikipedia 河口近くでは両岸に広がる低い森といった風情だが、上流に向かって川幅が狭まるに連れて、川面に多いかぶさるアーチになり、やがて川がつきて森そのものになる。 森の中へ小さな小舟に乗せた身一つで分け入っていくという感覚はかなり特殊で、少し物語めいている。もちろんカヌーを降りて更に奥へはいって行く用意はないし、それが目的であるわけでもないのだが、進み続ければなにか不思議が用意されているような気もする。 実際、森の中には不思議なものがあった。まるで蟻塚のようにうずたかく盛られた泥の山が、ヒルギの間に点在しているのだ。ガイドを兼ねている遊覧船の船頭の青年が、あれはシャコの巣だと説明してくれた。原理は蟻塚と同じで、地面に潜って巣を作るシャコが吐き出した泥が、時には1メートルを超える高さの塔になるのだという。 カヌーの底を泥でこすりながらUターンして、明るい世界へ戻る。ツアーの1時間という規定は過ぎていたが、よかったら、と青年が寄り道を進めてくれた。満潮の時にだけできる、海へ出る水路があるのだ。 遊覧船が入れるほどの幅はないし、父は辞退したので、ほんのつかの間だが一人だけの散歩を試みる。 景観はさっき見た水路に及ばないが、分岐点まで行って引き返し、大きな流れに戻る時の開放感はまた格別だった。 夕刻、ホテルに戻る。水平線と島々には雲がかかっていて夕焼けは望めなかったが、美しい空だった。 五右衛門風呂に入り、夕食。ブログ更新の後、翌日の予定を考えながら、昼間買い込んだ焼酎を母と空ける。 ホテルの庭から見上げる空。 貸し切り個室の露天五右衛門風呂。 やっと食事の撮影を思い出す。 赤ウルメの唐揚げ。豚の煮もの。カンパチの刺身。 もずく。ミミガー。茶碗蒸し。 サザエはアオサを主食にしているらしく匂いが良かった。 |
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全写真はスライドショー 2月18日 東南部最大の町・古仁屋へ。 港のそばにAコープがあると聞いていたので、昼食を調達しに。スパムおにぎりや豚足煮込みなど、それらしきものを選んで買う。 事前に父が目を付けていたつき揚げ(さつま揚げ)の上原かまぼこ店にも立ち寄る。コープにも売っていたのだが、「揚げたて」がお目当て。以前はあまり旅先での食に対して興味を示さなかった父だが、今回の旅行では鶏飯やらつき揚げやら、食べたいものがあるらしい。父はワタシと母に影響されたんだと言う。 かまぼこ屋の向かいに公園があって、海と橋を見ながら食べることもできたが、せっかくだからと空きっ腹を抱えたままもう一息我慢、瀬戸内の海を見下ろす場所へ行くことにする。 15分ほどで着いたのは、高知山展望台。駐車場から遊歩道を上がって小さく開けた場所に、コンクリートの塔が建っている。足下にテーブルと椅子があって食事ができそうだったし、ばーちゃんはここまで上がってくるのに疲れて、塔の階段を上がるのはうんざりといった様子。 が、一足先に上っている父はもちろんそれを許さない。ともかく綺麗だから早く上がっておいでと、頭上から声が降ってくる。念を押すように階段を上った甲斐がある景色かと問えば、「あるある!」と答える声がいつも以上に弾んでいるので、期待を胸にえっちらおっちらと螺旋階段を上がった。 で、父は正しかった。 上記リンク先の「パノラマ」を見ていただければよくわかるのだが、リアス式海岸の大島海峡が眼前に広がる、珍しく美しい光景だ。太陽が雲の隙間から顔を出すと、海がさあっと青くなる。 もちろん買い込んできた昼食もおいしいのだが、なによりこの景色がごちそう。日当りもよくて、下で食べるよりも暖かかったと思う。 ばあちゃんはちっちゃいので、座ってしまうと景色が見えず、ほとんど立っての食事。大正生まれのご婦人が全く行儀のよろしいことである。 食後、備え付けてある望遠鏡で四方を望む。ちょうど正面にある古仁屋の町を見下ろすと、上原かまぼこ店が見えた。あそこでお昼にしようと言ってたんだよ。食欲に打ち勝ってよかったよ。 渡ることを諦めた加計呂麻島の海岸線を右から左になめるように見晴るかす。入り江ごとの集落と、波打ち際の大きな岩(タチカミ=立ち神)が面白い。 それに無数の島々。湾内で何かを(真珠だったらしい)養殖するいかだ。 望遠鏡を離れて身近なところに目をやると、亜熱帯特有の木性シダ・ヒカゲヘゴがあちこちに生えている。父は数年前に大隅半島に旅行し、ヒカゲヘゴの北限自生地を訪ね、10メートルにもなるこの巨大なシダにすっかり魅了されたらしい。今回、最初に訪ねた奄美パークで再会して、ヘゴ熱がぶり返している。 放射状に広がる枝葉の真ん中に、次々と大きなゼンマイのような新芽が出ている。くるくると丸まっているゼンマイが伸びると、そこにはまた無数のくるくるがカタツムリのように並んでいる。それらが伸び、広がって、大きな葉のようになる。 枝が枯れて落ちると紋のような痕が残り、幹を飾る模様になっている。 何回上げても画像が横になる……左が天です。 絶景とヘゴを堪能しながらゆっくりと昼食を終えると、もう2時を回っている。いかん、今日のハイライトはこれからなのに。 もう一カ所、すぐ近くの油井岳園地に寄り道して、山を下りることにする。 油井岳園地で見つけたお絵描き虫の作品。 |


