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 初めて来られた方、はじめまして。大歓迎♪ご訪問に感謝します。
 そして、古くからの友人の皆さん、すっかりご無沙汰していました〜、1年9か月ぶりにヤフーブログ再開します。
 東日本大震災の勃発から、救援のために札幌を離れ東北に入ってもう2年以上がたちました。今は岩手県一関市に暮しています。

 再開にあたって、ブログの性格をやや変えさせていただきます。いろんなことを発信していくつもりですが、中心に岩手県南、一関地方に市民出資型の再生可能エネルギー発電所の建設を目指す活動のお知らせを据えたいと思っています。
 岩手県南・一関地方は東日本大震災の激しい揺れによる家屋や道路等の崩壊とその後のライフラインの途絶に襲われました。情報が途絶え、寒さに震え、余震におびえる日々が数日過ぎた頃、福島第一原発からの放射能が上空に飛来しその時の気象状況によって雨粒とともに地表に落下したのです。
 こうして、福島第一原発から200キロ離れた当地方は汚染されました。しかもそれが知らされたのはかなり月日が経ってからでした。
イメージ 1
 
 太平洋側の都道府県を、北海道、青森…と北から順に見て行きますと、岩手県は東日本の太平洋岸では唯一の原発の立地の無い県でした。土地面積の広さや、人口の少なさから、他県同様に原発建設の条件はそれなりにあったはずですが、懸命な先人たちがくい止めてくださった賜物だったのでしょう。
 しかし、悔しいとしか口に出せません。チェルノブイリの場合と同様に、汚染物質は県境どころか国境をも越えて世界中にばらまかれたのです。
 ホットスポットとなった当地方の主要産業だった路地原木シイタケ栽培は壊滅的になりました。事故後2年を過ぎて、除染も関係者の努力で進んでいますが、広大な農地や牧草地、森林や林床はいったいいつになるのか、そもそもはたして除染ができるのかもわかりません。
 私は震災直後、いち早く全国から個人ボランティアを受け入れて被災地救援を始めていた『遠野まごころネット』に参加して、4月〜5月陸前高田や釜石、気仙沼等で災害ボランティアとして活動しました(この時の貴重な体験はまた別の機会にぜひ掲載したいと思います)。
 その後、6月下旬から復興支援で福島県に赴きいわき市と本宮市(郡山市の隣)に合わせて半年間滞在し、福島の皆さんとともに日々を過ごす中で、言葉では言い表せない、ただ涙するしかできない苦しみをたくさん見てきました。
 もう夏だというのに長袖とマスクを着せられて学校へ行く子どもたちが泣いていました。その子らに暑苦しい服装を強いて母親が泣いていました。生活を維持するために福島を離れて避難できない若夫婦と孫を思って、おじいちゃん、おばあちゃんも泣いていました。せめて休日に車で子どもを野外遊びのできる遠方まで連れて行った父親が、その地で「福島から来るな」と心無く言われて泣いていました。暑いのに教室の窓を開けさせることができなくて、先生たちも泣いていました。
 若者たちは深く絶望的な眼差しをしていました。この先が不安で片付ける気力も出ないと目を伏せて、震災で無茶苦茶になったままの部屋の中でただその日その日を暮すばかりのようでした。
 津波で被災した直後に立入制限がしかれ、犠牲者の捜索も手付かずのままの地域がありました。すぐに捜索に入れれば助けられた命があったはずなのにと唇を噛む無言の怒りがありました。


 長くなりましたので、続きは次の記事へ。
                                              

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北海道で多くの現代的な風車やソーラパネル見ました。電気は不足していません。石炭や石油もあります。☆

2013/6/4(火) 午前 10:25 hitomi


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