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「蝦夷国まぼろし」は、江戸時代初期の松前藩を舞台に
隠れ切支丹とアイヌ民族、江戸幕府、そして松前藩の
歴史的確執の中で苦闘する一藩士の姿を主軸に
ひとつの時代を壮大に描いた作品でした。
夏堀正元という作家は、
もうお亡くなりになっていますが、
旭川に縁の深い三好文夫さん同様に
現在も訴える力があるように思えます。
同作家の他作品を図書館で探して読んでみようと思います。
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本
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立松和平氏の「ふたつの太陽」読み終えました。
戊辰戦争の中でも、いわゆる野州戦争とよばれる出来事を活写した作品です。
読後、感じる所が多々ありました。
あとがきより、以下を引用します。
十九世紀の後半の日本を野火のように走った戊辰戦争の記憶の断片を、
私は子供の頃より辻や神社等の遊び場の中に意識もせずに見てきた。
路傍に放置してある文字も表情も消えかけた石碑や野仏が、
戦死者の墓だったり顕彰碑だったり、
歴史の闇に沈んで名も忘れられた敗者への
せめてもの鎮魂のしるしだったりした。
そんな記憶が身辺にあふれているにもかかわらず、
長い間私にとっての戊辰戦争とは、
江戸の旗本たちによって起こされた
何となく堪え性のない彰義隊の上野戦争であり、
一族が根絶やしになるまで徹底抗戦したいたましい会津戦争なのだった。
これは不思議な光景である。
一般に流布されている史書の中から、
江戸と会津の間が空白になっているのだ。
(中略)
想像力はどのようにでも展開していくのであるが、
本書の舞台は私の故郷の野州だけにとどめてある。
私の故郷から北の人は、
新政府軍を官軍といわず、西軍と呼んでいる。
だがそれは後年明らかになってからの立場なのだ。
闇の中で営々として生活の糸を紡いできた人々には、
当時、太陽はふたつあった。
時々刻々入れ替わるふたつの太陽のもとで、
武士であれ百姓であれ猟師であれ、
もうどうしてよいかわからなかったに違いない。
それが本書の基本的なモチーフだ。
(後略)
一九八六年盛夏 宇都宮の寓居にて 立松和平
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THE FOOTPRINTS IN THE SAND
ある夜、私は夢を見た。
私は砂浜を1人で歩いていた。 小高い丘に来たところで立ち止まり、後ろを振り返った。 そこには、延々と刻まれた自分の足跡があった。 その足跡とともに人生のさまざまな場面が思い出された。 隣をみるとそこには神様が立っていた。 そして、足跡を良く見ると、2組の足跡があることに気付いた。 一つは自分の足跡、もう一つは神様の足跡だった。 しかしよく見ると、ところどころ足跡は1組しかなかった。 そして、それは私の人生の中でもっとも辛く、苦しく、 悲しみのどん底にあった時期だった。 私は驚いて神様に尋ねた。 「私が辛く苦しいとき、あなたを最も必要としていたとき、 どうしてあなたは私を見捨て 私と一緒に歩いてくれなかったのですか?」 すると、神様は悲しそうな顔をして、こう答えた。 「私はあなたを見捨てたのではありません。 私はいつもあなたと一緒でした。
あなたが試練に会って苦しんでいたとき、 1つの足跡しかないとき、 私はあなたを背負って歩いていたのです。 あなたは決して一人ぼっちになることは無いのです。」
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