|
その後川は、跡形も無く、破壊され、埋められた。 闇屋の使いっ走り蟹田次郎は、16歳に成っていた。
元々、銀座の浮浪児、移動靴磨きの頭分だった。
赤いハイヒールのリリーは
進駐軍将校らに、銀座で人気の街娼婦、パン助である。
二人は今迄に面識も無く、口をきいたことも無かった。
唯、主とする稼ぎ場所は同じだったから、
すれ違った事は何度かある。
場所は銀座4丁目の角、服部時計店の前である。
ここはGHQに接収された、進駐軍専用のPXであった。
現在の「和光」である。
夏の盛り、在る晴れた日の午後、
突然銀座界隈に、サイレンの音が鳴り響いた。
恒例の、一斉苅込である。
警察の狙いは、浮浪児と、パンスケである。
大通りに、延々と軒を連ねる
泥棒市場、各種闇の露天商らは、見逃された。
気が付いた其々は、
必死に走り、転びながら、挙って地下道へ逃げ込んだ。
警官に抜かりは無かった。改札口は封鎖されていた。
地下鉄での逃走は断念するしかない。
警官隊は、頃合いを見計らって、
全ての地下道入り口を封鎖する。
手筈は整っていた。一網打尽は時間の問題であった。
二人の出会いは、偶然に、突発的に訪れた。
ぎゅうぎゅうに詰め込まれた、トラックの荷台の中である。
逮捕者は男女の区別なく、次々と幌付のトラックへ、
放り込まれたていった。
押し込まれた次郎の、胸の前でリリーは泣いて居た。
靴下は破れ膝からは血が滲んでいる。
履いている真っ赤なハイヒールの片方の踵は折れていた。
「大丈夫、大したことには成らない。泣くな」と、言って
素早く、右ポケットに在った商売道具の絆創膏で
傷の手当てを手早くしてやった。
落ち着いたらしく、リリーは「ありがとう」と言い
にっこり微笑んだ。
黒髪にパーマを掛け、八重歯と両笑窪が可愛い美人である。
眼の前に在る、真赤な唇と、甘い香水の香りに、
次郎は、一瞬たじろいだ。
今迄、女性とは話をしたことが無い次郎だが、
どぎまぎしながら聞き出して、解ったことは、
通称リリー。本名は幸子。26歳。出身は新潟の十日町。
宿無し。進駐軍相手の街娼婦。だと言う事だった。
次郎は驚いて言った。
「俺、新潟長岡の生まれなんだ!」
「同県人とは、驚いたな〜」
「俺は、2.3日も在れば、舞い戻ってくるぜ」
「大丈夫だよ、お姉さんだって、直ぐ戻ってこれるさ」
と、笑顔で慰めた。
「お姉さん。銀座に戻ってきたら何時でもいい」
「有楽橋の袂に在る貸ボート屋え、俺を訊ねて来て呉れ」
「俺、蟹田次郎。餓鬼だけど、結構稼いでるんだぜ」
「千疋屋のウインドウにある、真っ赤なイチゴの刺さったやつ」
「何時か腹一杯。食ってやろうと思ってたんだ」
「一緒に行って、食べようよ!」
「金は腐るほど、稼いでいるんだ。心配ないよ」
「きっと来て呉れ。待ってるぜ!」
たった此れだけのことだが、
次郎は,意を決して言い切った。
「あんた優しいんだね」と言った幸子は、
いきなり、次郎の頬へキッスした。
返事は貰った!と、次郎は舞い上がった。
呉服橋の先、数寄屋橋の手前に、有楽橋は在った。
橋の袂に石段が斜めに切ってあり、
トントントンと下がり切った所が、船着き場に成っている。
小ボート5艇だけの貸しボート屋が在った。
数寄屋橋が「君の名は」で有名になる前の話である。
街は、進駐軍兵士、浮浪児、パンスケ、浮浪者、等々で
溢れ返っていた。まだ,至る所に焼跡が目立った。
周辺には、貸ボートで楽しむような一般人は、
一人も居なかった。
貸ボート屋を開いたのは、闇屋の元締め
渡辺五郎である。次郎は彼に目を付けられ
スカウトされ、厚遇で店長に据えられた。
目的は、大阪周辺から流行りだした、
ヒロポンの東京密売拠点とする事に在った。
主として客は、進駐軍兵士である。
ショウボートや、ネオン煌くクラブ・キャバレーの
バンドマン達も足しげく通ってきた。
客が来れば、ボートに乗せ、3分も漕げば数寄屋橋に付く。
橋げたの底にボートを侵入させれば
あらゆる角度から視界は遮断される。
当時水量は豊かであった。水路からそよぐ川風に
周辺のしだれ柳はゆったりと揺れていた。
長閑で平和な景色だった。
数寄屋橋の底で、客には腕まくりをさせる。
先に20円は受け取っておく。
此のうちの5円が次郎の取り分であった。
アンプルと簡易注射器を取り出し
1本打ち終わるのは、5分で済んだ。
後は、絆創膏をサービスした。
空のアンプルと、注射器は、その場で川に捨て
沈める。此れが最高の証拠隠滅法であった。
朝鮮戦争勃発が、ヒロポンブームに火を付けた。
一週間の楽しい休暇を、日本で過ごした米兵たちは、
週末には、実弾の飛び交う戦場の、最前線へ戻って往く。
戦場に復帰する兵士たちは、
競争で、ヒロポンを買い漁った。
一人で、50本。100本と買う兵隊は珍しくなかった、
蟹田次郎は、日々の大儲けに有頂天であった。
次郎は、日が経つにつれ、赤い靴のリリー。幸子が
訊ねて来るのが待ち遠しくなってきた。
逢いたかった。
毎日のように、幸子の訪れを期待し、
暇さえ有れば、有楽橋の階段を見上げていた。
来た!
白いパラソルを翳した幸子が、真赤なハイヒールを躍らせて
一段、一段、石段を降りてくる。
待ちに待った笑顔が近づいて来る。
次郎は、大きく手を振った。
突如.轟音を響かせて、猛スピードでやっ来た
LP特殊部隊の大型ジープが、
有楽橋の真ん中に急停車した。
飛び降りて来た、数名の兵士は有楽橋の欄干に駆け寄った。
各自、手には自動小銃を持っている。
続いて降りて来た2名の兵士は
其々肩に、バズーカ砲を担いでいた。
時を置かず轟音が炸裂。
一瞬のうちに、5艇のボートは木端微塵に粉砕された。
次郎は、幸子の方へ手を差し伸べた。
幸子も両手を掲げて走り寄ろうとした。
瞬間
自動小銃が一斉に火を噴いた。
二人は重なって倒れた。
おわり
追記
間を置かず、川は水を抜かれ埋め尽くされた。
この場所は今、西銀座デパートと成り
大勢の人で賑わっている。
朝鮮戦争は終わり、
ベトナム戦争が始まった。
ヒロポンの需要は5倍に膨れ上がった。
日本は、神武景気で国中が沸いた。
眼の前で一部始終を見届けた筈の教会の十字架は
何も知らぬげに
今も、天空を突刺して聳えている。
完
|
短編小説・赤いハイヒール
-
詳細
全1ページ
[1]
コメント(2)
全1ページ
[1]




