公益社団法人 須賀川青年会議所ブログ

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ふるさと再発見バスツアー次は、長沼城址 です!!
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長沼城は、天分年間に築城されたと伝えられています。城の南側には白河から会津へ通じる会津街道が走り、戦国時代の後半には力と力がぶつかりあう「境目の城」として、蘆名氏、二階堂氏、伊達氏との間でこの城をめぐり幾多の抗争が繰り広げられました。
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  本丸があった、頂上まで、登っていきました。登ってみると結構急な坂で、日頃の運動不足を痛感されられたメンバーでした。


天正18年(1590年)には、豊富秀吉は、東北仕置きの際、この城に宿泊したとされています。その際、秀吉を迎えるために御殿を建築したそうです。秀吉は大変喜び、永楽閣という名を与えられたと言われています。現在の四阿があるあたりの見晴らしの良い場所に建てられていたようです。
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長沼城の特徴は、石垣があることです。と言っても皆さんがイメージする巨大なものではありません。現在でも本丸跡の西側に残っていますが、残念ながら震災で一部崩れてしまったようです。
 石垣の他にも、周りの畑や水田に土塁が残されています。土塁とは、土の壁のことで、堀を掘って土を積み上げたもので、敵の侵入を妨げる目的で作らてたそうです。

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本丸跡からみた町並みです。東西に長く伸びており、街道沿いに発展してきたようです。
 昔の会津街道と現在のルートはさほど差がないと考えられており、当時も多くの人が往来していたのでしょう。

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長沼城のサクラはふくしま緑の百景にも選ばれています。満開の頃は、山一面がサクラで覆われ、遠くからみても楽しめます。 このサクラは、お城があった頃から植えられていると思う人もいるようですが、廃城になった後整備されて植えられたサクラです。木で覆われていたとすれば、敵が近づいてきてもわかりづらくなってしまいます。平安な世の中だからこそ鑑賞できるサクラですね。

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ご紹介した、長沼城址ですが、まだまだ紹介しきれない部分が沢山ありますので、是非訪れてみてください。
新たな発見があるかもしれません!!

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