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前回
中国の内戦が始まり銃撃戦が始まり、女性は髪を切り赤い物は着ない事と
指示がありました、そんな中でも食べる為には中国人に皮肉を云われても
働かして貰う、雇い主からわしの嫁になれと云われたりもしながら働いて、
命を繋いでいた。


厳しい冬も何とかしのいで春になり、帰国の噂話が・・・あ〜やっと日本に帰れる!


ある日街で知り合った人と話をしていると其の人が「私は何をしていた者と
思う」と聞かれ正直に警察か憲兵と答えると「わかるか!」自分は警察官を
していたのだと云っていました。この頃は警察官でも解ればシベリア送りに
なって重労働をさせられるのだそうです、私達が汽車に乗ってある駅に止まった時、日本の兵隊さんがいっぱい乗った汽車とすれ違いになった時が、たまたまあって、兵隊さんが何処の開拓団かと聞くのですが直ぐにソビエト兵が銃を向けてくるので恐ろしくて何も話を出来ませんでした。


 あの兵隊さん達はソビエトに連れていかれ少ない食物でひどい重労働をさせられたそうです。そして6月のある日、日本に帰れると云う話がでました、私達の喜びは尋常ではありませんでした、日本に帰ったらどうしようと先ず暮らしていく事を考えると又不安になり、心配でなりませんでした。数日して汽車に乗り込み奉天に向かったのです。


 奉天大学には、兄さんの長男がいる事に気がつき、どうしてるかなと思いましたが、皆ソビエトに送られたと聞きなんと酷い事をと残念に思いました。
そして菰蘆島へ其処から輸送船に乗るのですが、炎天下の中検問待ちで半日待たされました、結構きつかったけど待ちに待った船へ乗船、1000人余りでした
船では音楽が流れていました。


 赤いリンゴに唇寄せて
 黙って見ている青い空
 リンゴは何にも云わないけれど
 リンゴの気持ちはよくわかる
 リンゴ可愛いや 可愛やリンゴ


流れる歌声に心が弾み、あ〜あやっと日本に帰れるのだと思われました。
日本には今、このような歌が流行しているのか、ついさっきまで避難民でいた
哀れさが吹き飛んで嬉しい心でいっぱいでした。


近況
一年振りの更新です、この間 改姓→改葬をしました。近い将来には生まれた場所にもう一度行っておきたいと思い、今中国語を勉強中なかなか難しいですが頑張って通訳なしで旅行したいと思っています。

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