タイ・イサーンのくらし

毎日のくらしの出来事。その中で感じたことを書く。

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第1章 
ムアングタム遺跡の発掘
 ムーアングタム遺跡の発掘(仏暦2531-2532)(西暦1988-1989)
 ムアングタム遺跡の修理に先立って、2回の試掘が行われました。仏暦2531(西暦1988)と仏暦2532(西暦1989)です。
 
 仏暦2531(西暦1988)の発掘
 この年のムーアングタム遺跡の発掘の目的は2か所の発掘でし
た。
① 中央祠堂の盛り土。


イメージ 1イメージ 2
 ② 池 (4隅にある池)
 
1 中央祇祠堂の土盛りの発掘
 中央祠堂の裏側は周りの土地にくらべて盛り土で高くなっています。例えば、西側の回廊には出入り口がなかったのではないかと考えられています。ある研究者はアーチ型の出入り口は北側と東側と南側だけにあったと考えています。            ヒンズー教の信仰が強まって西方に広がったので、西側に扉をつけなくてもいいと考えたのではないかと考えています。 このような疑問を晴らすために前に述べたようにこの周辺を発掘するという結論になったのです。
 
 発掘の結果、中央祠堂の裏側の高みからは、次のような重要な品々が見つかりました。
 
 1. 窓の格子のソロバン珠状連子の柱(ムクロジの柱)
 2. 砂岩の屋根飾りの柱。
 3. 鴨居と中央祠堂の妻壁
 4. 中央祠堂の回廊の壁の飾り柱。
 
 発掘の結果、ムアングタムの回廊には西側に出入り口があり、真ん中の大広間を挟んで両側に小さい部屋のあったことが分かりました。こちら側の大部分の出入り口は煉瓦で出来ており、窓枠、扉の周縁、飾り柱、鴨居の基盤、屋根飾りの柱などは砂岩でできていました。
 
 
Ⅱ 池の発掘
 イメージ 3イメージ 4ムアングタム遺跡の東南隅の池を他の3つの池と比べるために
池の隅から水を吸い出すと、他の4つの池と同じ水位であったことが分かった。池の縁は壊れて傾いたが、水を吸い出しとてみると縁の方の干上がった部分にはラテライトが並べられており、土台がしっかりしていたので、傾いてはいたがまだ壊れてはいなかった。池の底は泥が一杯で、池の底にラテライトが敷いてあるかどうかは分からなかった。池の真ん中へんの干上がった部分に赤土に覆われた部分があり、20㎝ほど掘ってみると水が湧きだしてきたので、掘るのをやめて2日ほど待つと水は元の水位まであふれてきた。
 

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難しくて翻訳がなかなか進みません。読みながら、ふんふんと分かるのですが、日本語に直して他人に読んでもらおうと思うとブレーキがかかってしまいます。

2015/7/10(金) 午後 2:15 [ ninja ] 返信する

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