タイ・イサーンのくらし

毎日のくらしの出来事。その中で感じたことを書く。

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テロ 1

テロ  2015-08-10
 テロという言葉を聞き、文字を見てまず思い浮かぶのは「アメリカ」という文字です。世界最大のテロ国「アメリカ」が私の印象です。
 二番目は「爆弾三勇士」です。これは絵も見えます。カーキ色の軍服を着て、爆弾を抱えた三人の兵隊が走っています。元祖自爆テロです。
 三番目は安倍首相の演説している姿です。場所はイスラエルです。後藤さんを見殺しにしておいて一言の謝罪もありません。
 しいて四番目はと言われてようやく出てくるのが、黒覆面のアラブ人です。アルカイダとかアフガニスタンなどは、はるかに記憶の外です。
 
 テロとの戦い、凶悪なアイシスを非難しないで、まあまあという態度を取ると避難ごうごう、半殺しに遭うような世の中です。「アイシスにはアイシスの事情があるさ」、などと人に聞こえる声で言うと、「テロを容認しているのか」、と非難されます。もちろんテロは悪い、テロには反対ですが、「テロとは徹底的に戦う。武器を持って戦う」、と言わなければ世間は納得しません。「あんな悪い奴らは皆殺しにしてしまえ」という雰囲気があります。
 憲法9条は「平和のパスポート」です。武器を携えずに、平和でいれば誰も危害を加えないというのが本来の社会です。
 日本国内のテロの危険はアメリカによってもたらされます。アメリカが近寄らなければ絶対に安全です。アメリカが助けてあげようと言って近寄って来るからテロに狙われる危険が出るのです。
 日常的に日本の中にも思わぬ犯罪が多いです。「通り魔」がいます。けれども、誰もすれ違う人が通り魔だとは思っていません。それが当たり前の世の中です。けれども暴力が平気でまかり通る世の中を作ってしまいました。だからと言って見ず知らずの他人を警戒しない人が悪いとは言えません。
 自分に被害を与えるものを排除しようとするのは当たり前のことです。しかし、その排除の仕方にはいろいろあります。暴力的に殺せばいいというものではありません。
 
 7月31日はワン・カオ・パンサーでした。お寺の坊さんが寺籠りに入る日です。一説によると、雨期に入り、田んぼの虫たちの活動が活発になります。大勢の坊さんが托鉢に歩いて虫たちを踏み潰してはかわいそうなので、出歩くことを差し控えるのだと言われます。小さな虫たちにも命があり、その命を無理に奪わないという思想です。
 私が畑で草抜きをしていると、アリが食いつきに来ます。自分たちの棲みかが壊されるからです。私はすぐに退散します。
 アリでも何でもいやだなあと思うと、ワンはすぐ殺虫剤を持ってきて噴霧します。日によって机の上をアリが這いまわります。私は原因になるものを探して取り除き、アリと共存します。
 半年ほど前に、お勝手の石膏ボードの天井の継ぎ目にシロアリが入り込み天井が崩落しました。最近やっと修理しましたが、5万円ほどかかりました。ブロック建築の家は倒れませんが、内部の木を使った部分はみんなボロボロです。シロアリの被害は大きいので、シロアリについては殺虫剤を使うことを黙認しています。
 虫の命にも気遣うというのは仏教徒でなくても大切なことだと思います。

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安保法案の国会審議

安保法案が衆議院で強行採決されて、参議院の審議に移りました。
もともと、こんな憲法違反の法案を国会に掛けるなんて間違っています。
憲法には、政府が憲法を当然遵守すべきものとして罰則規定は設けられていません。
だからと言って憲法違反をしてもかまわないという政府の態度を見ると、なんと堕落した国なのだろうと情けなくなります。
もともと、日本国憲法には、「戦争をしない」という規定があります。安保法案を論議するなら、平和に足場を置いて論ずるべきです。戦争準備に終始するなど論外です。
毎日、論議の推移を見守っています。
まるで、戦争準備が大事な事のように論議されています。時間がたっても国民の理解が深まらないとアベ首相は嘆きます。そのはずです。国民はこんな法案を望んでいないからです。
自民党の議員は言いました。
「国民の理解が深まらないのは、国民の危機意識が低いからだ。もっと中国や朝鮮の危機をあおるべきだ」と。
国民は、この憲法違反に不安を感じ、反対の声は日増しに強くなってきています。
共産党や一部野党の議員は先を読んで、戦争の危険を国民に警告しています。
今回の問題は、単に平和か戦争か、という問題ではありません。
たまたま衆議院の審査の中で、自民党推薦の参考人を含む全員が憲法違反との意見を出したことで、憲法違反であるとみなされています。しかし、違います。憲法破壊が憲法違反なのです。
「憲法を変えて、自衛隊は憲法違反ではないとすべし」との強い主張を持っていた憲法学者・小林節教授が率先して違憲法案は取り下げるべし、廃案にすべきものと主張しています。独裁者アベの「俺の言う事を聞け」に国民の反発があるのです。
国会審議で、元防衛大臣は「日本を取り巻く安保環境が悪化してきています。」と繰り返すだけです。ホルムズ海峡とか、サイバー攻撃とか、テロの危険とか日本にはおよそ縁のない例を挙げるだけで、時間を潰して歳費を稼ごうとしています。安倍首相に「アメリカのする戦争に巻き込まれる危険があるのではないか。」という具体的な質問をすると「そんなことは絶対にありません」という否定を繰り返すだけです。
中国がミサイルを日本に向けて並べて、いつでも発射できるようにしていると元防衛大臣が言うので、その真意を訪ねたら、外務大臣は、「中国とは互恵関係があり、話し合いが進んでいるので脅威はありません」とはっきりと脅威を否定しました。
国際条件が悪化しているならそれに対応する国会討議も必要ですが、それをやるなら「戦争準備に足場を置くのではなく」「平和構築に足場を置く」国会運営をしてほしいものです。安倍政権では無理なことは分かっています。あと、2, 3回の選挙で民主的な政権に変え、日本国憲法を守る政治に発展してほしいものです。

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戦争権


戦争権  2015-07-28
最近、「戦争権」という言葉を知りました。
自国が攻められた場合に、守るために戦争をする権利だそうです。ついでに「自衛権」もあることを知りました。
近代国家は、戦争権と軍隊を備えていないと国家とは言えないそうです。
戦争権には国力を大きくするために、他国をせめて自分のものにする権利もあるのだそうです。
こんな言葉はもともと日本にはなかったのではないかと思われます。
現在日本は、「戦後70年間戦争をしてない」と誇っていますが、これをあと180年続けないとギネスブックには載りません。秀吉の朝鮮征伐から幕末の薩英戦争までの250年間外国と戦争をしていないからです。

ではいつ「戦争権」が現われたのでしょうか。明治の初めに西洋文明と一緒に入って来たものです。
「平和に暮らす権利」に対して「戦争で殺し殺される権利」何といやな言葉ではないでしょうか。
 
今、アベ政権の進めている「安全保障)関連法案」は、日本が普通の国として持つべき権利の保障です。日本がこの権利を持たないのは普通ではないというのです。平和国家では国民の生命と財産は守れないというのです。外から平和を脅かすものがやっと来たら、力で追い払わないといけないというのです。門の前におもちゃの機関銃を並べておけば怖がって泥棒は近寄らないというのです。
 わが愛する日本国は堕落の極みです。  偉大な指導者アベシンゾーのためにです。 

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戦争に反対である

今日から参議院で戦争法案の審議が始まる。
憲法破壊、戦争のできる国を目指し、着々とその準備を進めている安倍政権に怒りを感じている。
しかし、そのことをみんなの目に見える所で発言してこなかった。みんなが声を上げ始めているのに。
「いやだね。」という「聞こえないほどの声がたくさん集まって大きな声になる」と理屈を言っている場合ではない。知らない、大勢の人に聞こえるように言っておかないとあとで後悔するだろう。
ここで声を上げたつもりでも、大勢に聞こえるとは限らない。
しかし、ブログは公の場である。大勢ではなくても見る人はいると思う。
私は、安倍の政治には反対である。戦争は絶対にいけない。ましてや平和憲法を持っているのに、その大切な憲法を敵視し、破壊し、戦争の準備を しゅくしゅく と進めることを座視してはいけない。

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職業に上下はない  恥ずかしい話    2015-06-21
 小学校の教え子のO君が、自分の仕事についてこういっているということを耳にしました。O君は出身の小さな部落の小さなガソリンスタンドの店員です。店主は出身校の1級上の先輩夫婦です。店員1人、計3人で働いています。
 O君は小学校で児童会長を務めました。学業も成績がよく、友達から信望がありました。大学は日本福祉大学を卒業しました。そういう子でしたから、みんなが認めるもっとパッとした仕事に就くかと思っていたら、田舎のガソリンスタンドで店員をしています。
 人は見かけによって上下はないのだ、という信念を実行に移しました。その行為は見上げたもので、子どもの頃担任をした私としてはうれしいのですが、同時に大きな責任を感じます。彼の人生に影響を与えたからです。
 「職業に上下はない」ということについて、最近感じることがあります。
タイの私の家の近所には「くず屋さん」が多いです。くず屋といえば廃品回収業を思い浮かべると思います。私なら落語に出てくる江戸時代の「くずーい、おはらい」というのを思い浮かべます。ところがそうではないのです。平たく言うと、『ゴミ箱あさり』なのです。職業に上下はないといいましたが、ごみ箱あさりは「下の職業」なのでしょうか。職業とは言えない気がします。考えてみたけれど、それで生計を立てているのですから職業に入れなければなりません。まさに「下の職業」です。
私の散歩に行く隣部落に少し大きな廃品回収業者がいるらしく、隣部落からかなり大勢「ごみ箱あさり」にやってきます。私の家の近くのごみ箱からペットボトルを拾っているのを見かけています。
散歩の途中、よく行き会う30歳代の女性は、1年前には道の反対側によけて顔をそむけて通り過ぎました。ごみ箱をあさっている自分の姿を見られていると思うといやですし、外国人の爺さんですからかかわりにならない方がいいからでしょう。出っ歯で、決してかわいい顔をした子ではありません。
タイ語で「おはよう」とは言えるので、出会うと必ず挨拶をしましたが、そっぽを向いて通り過ぎます。この国道の散歩は車が通って危ないので禁止されていて散歩に使っていなかったのですが、、この6月から1年ぶりで通り始めました。先日、「おはよう」と言ったら声が聞こえたような気がしました。今朝はにこっとして軽く頭を下げて行きました。おもわず「ヤッタッ」とうれしくなりました。
さて、同じ部落から足の悪い男性が来ます。彼は陽気でこだわりなく話をします。くずは自転車の荷台につけたかごに入れます。これ1杯で生計が成り立つのでしょうか。写真を撮らせてもらいました。快く応じてくれました。彼には写真を撮らせてほしいと云えたのに女性には写真を撮らせてほしいと云えません。この仕事を恥ずかしいと思っているのではないのかと思う気持ちが私にあるからです。仕事に上も下もないと私が本当に思っているのなら、仕事中の写真を撮らせてほしいと云えなければならないと思いますが、その勇気がありません。建前は仕事に上下はないといっていても、本心は下の仕事をしている人だと差別しているのではないのかと恥ずかしく思います。イメージ 1

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