タイ・イサーンのくらし

毎日のくらしの出来事。その中で感じたことを書く。

サドクゴクトム

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サドクゴクトム宮殿遺跡の過去
 
西暦1920年に警察尉官エーク・ルワング・チャーン・ニコムがサドクゴクトムの第2碑文を複写して、報告文を書いた。
報告文は言う。「この宮殿遺跡は密林の中にあった。村の人々はそのあたりに恐れを持ち、だれもほかの密林に入るようには入って行かなかった。コークスーングの住職(旧コークスーング郡の郡長・バラモン僧)が、この宮殿遺跡に連れて行ってくれたが、コークスーング部落の東北8000メートルの所にある。ここには回廊が二つある。外側の回廊に出入り口が四か所あり、その形態はイハーンコット(วิหารคด)仏堂と似ている。内側の回廊にも出入り口が四か所ある。
遺跡の回廊の周辺に7棟のお堂がある。外側に4棟、内側に3棟。すべて石製である。
 どの鴨居にも美しい彫刻が掘られている。あるものは完全に残っているが、壊れてしまっているものもある。
 内側の回廊の屋根は石の瓦で葺かれており、旋盤で削った格子を取り付けた窓が美しい。
 遺跡の東側は草原になっており、一辺が400メートルの方形の池がある。
回廊から池までおよそ200メートルの石敷きの参道があり、両側にはほぼ20メートルおきに高さ1メートルの柱が立っている。ところどころ柱に沿って、仏像や神像もある。
 この他に外壁からサンコークをへてタープラヤー(又の名をクムラーイオー)に至る、長い広い道があった。この道は東に向かってアンコールワット、アンコールトムへと続く道であった。この本の書かれた今から20年から30年前にはこの遺跡の前の池には水が豊富にあり、涸れることはなかった。
 水はカンボジアから来ていたが、近年はカンボジアから来なくなってしまった。そこでこの池は近年ずっと水がなくなってしまっている。
 警察尉官エーク・ルアング・チャーン・ニコムのメモは、サドクゴクトム宮殿遺跡があらされる前の状況をこう説明している。
 「スティンチョムディー氏と、元コークスーング村の村長のストッチャイ・チトラプアン氏はサドクゴク遺跡は荒らされていたという。西暦1964年に古物商たちは村人を雇って遺跡の遺物をこっそり掘らせたと言っている。村民は宮殿遺跡の価値を知らないので宮殿遺跡の頂上にまでよじ登って、石をこじて下に転げ落とした。扉の裏側の美しい彫刻を削り取って、彫刻の塑像を売ってしまったりした。
村人は道具を持ってきて遺物を探し、金属探知機を持ってきて金属を探知して天人像を掘り出して、こっそりと持ち出してしまった。価値のある財宝はまだ忘れて残されていると信じられている。ある者は遺跡の頂上に上って爆薬を使って石を上から落とした。
爪長仏・アナンダ僧は瞑想して財宝のありかを探し当て、たくさんの天人像を掘り出して隠し持っているという話が広まり、村人はアランヤプラテートの郡長に申し出て調べてもらった。しかし確証はなかった。村人はきっとアナンダ僧が財宝を遺跡の周りに埋めたに違いないと思って、アナンダ僧が埋めたといわれる財宝を見つけるために一生懸命に掘って探した。
 
 
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第1章 サドクゴクトム宮殿遺跡研究の起源
1節 サドクゴクトム宮殿遺跡研究の経過
サドクゴクトム宮殿遺跡の全般的な情報
 
 
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 サドクゴクトム遺跡はタイ-カンボジア国境に近い、サケオ県タープラヤー郡コークスーング支郡コークスーング村第九部落ノングヤーゲオにある。およそ紀元11世紀にウタヤーティタヤウォーラマン2(1050-1066)によって、ヒンズー教サイワニガーイ派の神殿として建てられた。美術様式はバプーオン様式である。
 フランスの考古学者エティーネ・エマニエル(Etienne Aymonier)がタイのクメール遺跡を調べたときから知られ始めた。
 エマニエルは碑文石碑を写し、読んで訳して1901年に「カンボジアの旧タイ領におけるクメール遺跡」という書物を著して普及させた。その後、フランスの考古学者ルイ・フィノー(Louis Finot)が碑文を完訳して1915年に出版普及させた。
ためにサドクゴクトムの碑文はこのように広く知られている。
サドクゴクトム石碑はサンスクリット語で書かれており、その内容は事実を伝えている。そこで、古代カンボジア族の歴史と、文化を学ぶ参考として使うのに価値がある古資料である。
サドクゴクトムの名のクメール語の由来は“サドク”は“錯綜として乱れた”“ゴク”は“イクサ”“トム”は“大きい”からきている。
サドクゴクトムはエマニエルがこの宮殿遺跡を調査した時に、事実イクサの生い茂った広い湿地の景観から名づけられたのである。
エマヌエルは東に貯水池、北に堤防と池のあるL字の湿地があって、土地の人々がそう呼んでいるように、宮殿遺跡にそういう名をつけた。
以前には、この種の湿地がたくさんあった。全面イクサに覆われていた。ここにたくさんの水を貯めておくことができた。
今日、景観はすっかり変わってしまった。境界に沿って道が作られ、水路はふさがれ、池の水は涸れ、コークスーング村民の飲み水がなくなってしまった。
この宮殿遺跡はまた“ココナッツ椰子の宮殿遺跡”とも呼ばれていた。村の人の言うには、この宮殿遺跡は霊験あらたかで、椰子の木の密集した密林の中にあり、近くで振り返ってみても椰子の木しか見えないような状態であった。
 

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サドクゴクトムについて
 タイとカンボジアの国境線の上に、サドクゴクトムというアンコール時代 (10世紀から12世紀)の宮殿遺跡がある。ごく最近(2011年)復元工事が完了したはずである。
 何年か前にパノムルングの博物館で、「サドクゴクトム碑文(จารึกสด๊กก๊อกธม)」というタイ語の本を買った。アンコールワットの27代の王の名や事績が記されている碑文だそうである。いつか読んでみたいと思っていた。目を通して、単語を調べると大体の中身はわかる。この際、訳してみようというおおそれた考えを持った。
字引で引いた単語を拾っていくと大体の意味がつかめた気持ちになったが、いざ、文章にしようと思うとそう簡単には問屋が卸さない。殊にヒンズー教の宇宙観の解説にぶつかって、いっちもさっちもならなくなった。その辺は訳にはならず、適当に言葉をつなげた。
 他人には見せられるようなものではないが、文章にしてみたので自分の覚書程度のつもりで発表することにした。
 
 宮殿の写真や図面などと照らして、その部分だということはわかっても、日本語で何と言っているのか、名称の分からない所もたくさんある。そういう所は後日分かった段階で補えるように、原語を書いておいた。
 あくまでも、自分の覚書の程度である。
 

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