ここから本文です
Ran'sストレンジ・ブリュー
ロックン・ロールの源流とその他諸々。

追悼

サーフギターの帝王ディック・デイルが死去した。ご冥福を祈ります。
エド・サリバン・ショーにおけるディックのパフォーマンスを見てみましょう。

この記事に

Too Young To Die

久々にToo Young To Dieを取り上げてみましょう。
ジョニー・エースという歌手がいました。1929年、テネシー州メンフィス生まれ。
兵役を終えたあと、ビール・ストリートで活動する「ビール・ストリート・ブルース・ボーイズ」に加入します。このバンドにいたのがボビー・ブランド、BBキングといった面々です。ビール・ストリートを闊歩していたエルビスもジョニー・エースを見ていたかも知れませんね。(ビール・ストリートはアメリカ音楽史の聖地のひとつです)

やがてジョニーはソロ歌手として独立します。My Song、Cross My Heartなど順調にヒットを飛ばし南部では人気歌手になっていきます。1954年のクリスマス、ヒューストンの公会堂ではダンスパーティーが開催されていました。会場は大いに盛り上がりジョニーもかなり酔いが回っていました。彼は持ち歩いていたリボルバーで遊び始めたのです。自分のこめかみに銃口を当て”バン!”、一瞬で彼の人生は終わりました。25歳でした。このステージにはビッグ・ママ・ソーントンも共演していてその瞬間を目撃したそうです。




イメージ 1

この記事に

朝日のあたる家は日本でも広く歌われていて、浅川マキ、高田渡、ちあきなおみ、
吉井和哉、美川憲一、藤圭子、山口百恵、ザ・ピーナッツなどが歌っている。
では浅川マキのバージョンを聞いてみましょう。


イメージ 1

イメージ 3

イメージ 2
(ピアノを弾いているのはジェリー・ロール・モートンらしい)


この記事に

過小評価

どうもロカビリーに対する偏見があったようだ。黒人のブルーススピリットこそ偉大でロカビリーなんてとるに足らないもの、そんな思いこみがあった。認識を改めないとね。


この記事に

朝日のあたる家

さて、アニマルズは主人公をpoor boy とすることで、この曲のストーリーを根本から変えました。主人公を娼婦からアウトローに変えたのです。

  一軒の家がニューオリンズにあって
  朝日と呼ばれてた
  早く言えば少年院のことさ
  おれもそこにいくんだ
  おふくろは仕立て屋で
  おれにジーンズを縫ってくれた
  親父はニューオリンズの
  ばくち打ちだった
  ばくち打ちに必要なのは
  トランクとスーツケースさ
  そいつが一番ごきげんなのは
  酔っぱらってるときさ
  息子に言って聞かせろ
  おれの二の舞はするなと
  でなければ惨めな思いをする
  朝日の上る家で



この記事に

[ すべて表示 ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事