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「ムーンドッグズ・ロックンロール・パーティ」のスタートは1951年とするもの、1952年とするもの、文献によってまちまちです。偶然にもフリードが出演するテレビ番組To Tell The Truth(本物は誰だ)を発見しまして、その中で1951年に始まったと言及しているので、それが正解と思われます。「ムーンドッグズ」はたちまち評判になり若者に影響力を与えます。その勢いを買って1952年3月には、クリーブランド・
アリーナにおいて「ムーンドッグ・コロネーション・ボール」というダンス・パーティー形式のコンサートを開きます。収容人数1万人のアリーナには、さらに中に入れない1万人が押し寄せ暴徒化したので途中で中止をせざるを得なかったと伝えられています。そしてこれは史上初のロック・コンサートと言われています。 ともかくアラン・フリードの名声は高まり、ニューヨークからヘッド・ハンティングされます。1954年に高額の契約金でWINS局に移籍してさらに活躍の幅を広げます。1955年にはパラマウント劇場でフリードの司会によるロックン・ロール・ショーを開催、この模様は全米にラジオ中継されロックン・ロールとフリードの人気はさらに高まるのです。さらに勢いは止まることなく「ロック・アラウンド・ザ・クロック」(1956)「ロック、ロック、ロック!』(1956)、「ドント・ノック・ザ・ロック」(1957)などの映画にも出演します。 1957年になるとテレビに進出してBIG BEATの司会を担当しテレビでも成功するかと思われましたが事件が起こります。「恋はくせもの」の大ヒットを飛ばしたフランキー・ライモンが登場すると観客の白人の少女と踊る場面が画面に流れ、番組に激しい抗議が寄せられたのです。事態を重くみたテレビ局は番組を数週間で打ち切ることにしました。 いけいけどんどんだったアラン・フリードのキャリアに暗い影を落とすことになりました。 |

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、ナイスです!
(^。^)



ビル・ヘイリーの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は、映画「暴力教室」をテレビで見て最初に知りました。その後、アメリカの青春映画「アメリカン・グラフィティ」でも曲が挿入されていましたね。
TB(トラックバック)させてください。
2016/9/24(土) 午後 9:08
> fpdさん
コメントありがとうございます。暴力教室、ご覧になったんですね?こんなブログをやっていながら見たことがないんですよね〜
[ らん ]
2016/9/24(土) 午後 10:05
話は逸れますが、ロック・ミュージカル映画「ジーザス・クライスト・スーパースター」(1971)は大好きな映画です。ビルボード・ヒットチャートで1位にもなり、それがきっかけで舞台化されました。
2016/9/24(土) 午後 10:56
「ジーザス・クライスト・スーパースター」(1973)でした。こちらもTBさせてください。
2016/9/24(土) 午後 10:59
> fpdさん
ちょっと注釈させてください。A・ロイド・ウェバー
とティム・ライスの楽曲がまずレコード化されます。それを元にブロードウェイとロンドンでミュージカル化されて、その好評を受けてノーマン・ジュイスンにより映画化、という流れですね。粗探しみたいですみません。
[ らん ]
2016/9/25(日) 午前 9:25