走門来福

〜走る門には福来る 人生半分「エエ道」さがし〜

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<す>企画のミューズ・クラブランです。
5月5日に催行する予定でしたが雨のために中止。
絶対にこの時期の琵琶湖疏水は外したくないということで、急遽、企画を再度アップしました。
 

10時30分、JR大津駅に集まった面々(オッサン率100%)。
カブスカウトの子供たちが募金活動をしていたので、早速、協力させていただいた。
「緑の羽根・銀輪戦隊チャリレンジャー」発進!!
「ヘルメットの羽根が飛ばないようにユックリと走るべし」と指令を出す。
 
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これは良い考えや。
 
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走行時。
 
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琵琶湖疏水とは…。
明治2年に首都が東京に遷都され、京都は産業も人口も急激に衰退していった。
そこで「コレハ、イカン!」と立ち上がったのが3代目の京都府知事であった北垣国道。名前にそぐわず、国道でなく疏水の建設を提唱。当時はまだ幼い土木技術であったが、アメリカ視察経験を持つ若き技術者、田邊朔郎を工事責任者として抜擢。そして多くの技術者、政治家、京都市民の努力により、明治18年着工。明治22年に鴨川東岸までの11.1kmが完成。その後、枝線や鴨川〜伏見間、第二疏水が作られた。
建設費用も当時の京都府の年間予算の2倍という膨大さ。
 
琵琶湖岸をしばらく走り、第一疏水の取水口。右手の建物は渇水時のポンプ施設。
 
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大津閘門。
昭和20年代後半まで使われていたという、日本最古の洋式閘門。
 
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第一疏水には3つのトンネルがあり、それぞれの入口、出口には明治の元勲たちが揮毫した扁額が掲げられている。入口は「陰刻」、出口は「陽刻」になっている。
第一トンネルの入口は初代内閣総理大臣、伊藤博文。
「氣象萬千」=千変万化する気象と風景の変化は素晴らしい。
全長2436mで、完成当時は日本最長のトンネルだった。当時これを人力で掘ったという先人たちのパワーに思いを馳せる。
入口の鉄扉は、明治時代の琵琶湖洪水の折に設置されたという。
 
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さてさて、自転車の我々はトンネルの中を走るわけにもいかず、疏水とはしばしのお別れ。
三井寺をまわり込むように、小関越の短期決戦型の登坂。ピークには「喜一堂」と呼ばれる小さなお地蔵様がある。
東海道の裏道として利用されていたこの道は、本道の「逢坂関」を「大関」とするのに対し、脇道だから「小関」。
「関脇」とか「小結」ではナイ…。
 
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脇道に入ると第一竪坑が現れる。ここに使われているレンガは、御陵にあった専用工場で作られたそうだ。
トンネルの出入り口だけでなく、この竪坑から両側に掘り進めることで切羽を増やし、大幅な工期短縮を図った。
 
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坂を下り切ると第一トンネル出口。
山縣有朋(第3、9代内閣総理大臣)、「廓其有容」=悠久の水をたたえ、悠然とした疏水のひろがりは、大きな人間の器量をあらわしている。
 
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新緑が気持ちいい!!
 
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四ノ宮の舟溜まりで昼食。
昭和45年にJR湖西線建設に伴って山を回り込むように流れていた疏水は廃止され、諸羽トンネルが建設される。
 
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第二トンネル入口。
鹿鳴館を建設した井上馨、「仁以山悦智為水歡」=仁者は動かない山によろこび、智者は流れゆく水によろこぶ。
 
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「竣工 明治20年12月30日」!!
 
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高さを測量する際のベンチマーク。
 
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第二トンネル出口。
西郷隆盛の弟、西郷従道、「随山到水源」=山に沿って行くと水源にたどりつく。
坑口のデザインが秀逸。
 
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第三トンネル上流部にある日本最古の鉄筋コンクリート橋。明治36年に田邊朔郎がトロッコのレールを利用して造った。
そんな恐々渡らんでも、大丈夫やって。
 
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これが扁額。家でいうと表札みたいなもの。
第三トンネル入口。松方正義(第4、6代内閣総理大臣)、「過雨看松色」=時雨が過ぎるといちだんと鮮やかな松の緑を見ることができる。
週替わりで天候が変化するこの時期、確かに緑が鮮やかだ。どこを走っても絶好のサイクリングコース。
 
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西洋のお城の門みたい。
 
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三条通りに出る。
かつて難所とされた日ノ岡から蹴上にかけての峠に轍をつけた石(車石)=舗石を敷き、荷車が通りやすいようにしていた。その舗石が擁壁に転用されている。
 
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交差点?
 
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ピークを過ぎて、蹴上。
日本最初の急速濾過式の浄水場である「蹴上浄水場」、当初は京都市営の発電所であった「蹴上発電所」など歴史的建造物が多い。いずれも現役で稼働している。
 
インクラインをくぐる「ねじりまんぽ」。これも田邊朔郎によるもので、扁額には北垣国道が揮毫している。
愛しのネジネジ。
 
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「雄観奇想」=すごい眺め、良い考え。
 
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「陽気發處」=陽気を発するところ。
 
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インクラインは、第三トンネル出口から南禅寺舟溜まりまでの急な高低差(36m)を台車に舟をのせて運ぶケーブルカー式の線路である。
 
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線路沿いに少し登って、第三トンネル出口。
三条実美(第2・3代内閣の間の暫定総理大臣)、「美哉山河」=なんと美しい山河であろう。
 
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ここで第二疏水が合流している。このトンネルの出口には工事責任者である田邊朔郎が揮毫した扁額がある。「藉水利資人工」=自然の水を利用して人間の仕事に役立てる。
 
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このイケメンが、田邊朔郎サン。
 
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見晴らしが良い。 
蹴上浄水場。場内には約4600本のサツキやツツジが植えられている。
 
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平安神宮の大鳥居。
 
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南禅寺へ。 
石川五右衛門が「絶景かな、絶景かな」と言った三門。山門でないのがナゾ。
五右衛門は釜茹での刑に処せられたというが、本当は煮えたぎった油の中に放り込まれたそうだ。「釜茹で」ならぬ「カラアゲ」の刑?
 
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水路閣。
癒されるレンガ…。
 
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本日参加の銀輪変態―――否、本日の銀輪戦隊チャリレンジャーの面々。
「5人そろって、チャリレンジャー!!」
 
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平安神宮を経て、鴨川まで琵琶湖疏水を辿る。
 
夷川発電所。
琵琶湖疏水は飲料水や舟運だけでなく、動力にも貢献した。当時の動力といえば水車が主流だったが、田邊朔郎がアメリカ視察の経験から水力発電を提唱した。
現役で稼働中。
 
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この方が琵琶湖疏水の提唱者、北垣国道サン。
左手に携えているのは、疏水の設計図か…?
 
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ふと歩道のレンガに目をやると…。
でたっ! キシレンのセントアンドリュークロォ〜ッス(チャリレンジャーの必殺技ではない)!!
同行者が一言…。
「レンガに洗脳されてきたぁぁ〜」。
 
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予定通り、15時にJR京都駅に到着。
緑の羽根・銀輪変態――、だ〜か〜ら〜、ちゃうっちゅうに…。銀輪戦隊チャリレンジャーは無事、任務を終える。
 
 
二駅分の短い距離でしたが、新緑の中、ゆったりとした気持ちの良いポタリングでした。ヘルメットの緑の羽根も飛ばずに無事でした。
おつかれサン!
 
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