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2019/04/29(MON)
アベノバポタです。
相変わらず<U阪>さんのガイドは面白い。 |
自転車日記
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2019/04/21(SUN)
輪音RUNです。
春を通り越して初夏の様相で少し日焼けしました。 それと長すぎるとアカンみたいで、2部構成になってしまいました。 https://sumidanna1116.blog.fc2.com/blog-entry-610.html |
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2019/04/06(SUN)
<モゼール>さんプロデュースの「桜・ロードラン」に参加しました。
奈良の川沿いに咲く桜をめぐるサイクリングで、昨年に続きゲップが出るほど満開の桜を堪能しました。 <NKO48>さんの広報活動(?)が功を奏してか、総勢13名。
先ずは飛鳥川から。
藤原宮跡北側の一面の菜の花と桜のコラボ。 ウワサは聞いていたが、これほど素晴らしいとは!!
黄砂の影響か、空が少し霞んでいるのが惜しいが、これも春の風物詩。 皆さん撮影に懸命でなかなか腰が上がらない。 約一名の行方不明者を無事救助(?)して、再び飛鳥川。
京都や名古屋から参加された方もいる。さすがに顔の広い<NKO48>さん。 桜が続く自転車道を快走し、田原本から曽我川。 お昼も満開の桜の下で。 お花見のお弁当は助六と決まっているのだがコンビニになかったので、サラダ巻きで…。
午後も桜ロードは続く。 百済寺。
葛城川を遡っていたら、いつの間にか御所。 運よく電車が来た。 カーブの具合が絶妙で、「桜カーブ」って呼んでみたい。 西御所から住宅街を抜け、交差点を曲がると不意に!!
見事な芝桜と桜のコラボ。
例年は桜が終わった時期に満開になる芝桜。 こんな風景は、なかなか珍しいそうだ。 曽我川沿いに下り、仕上げの桜。 お花見というのは日本人独特の風習だそうですね。
奈良時代から平安時代に貴族たちが始めたそうですが、その頃は梅が主流だっただしいらしい。 古来、農耕民族だった日本人は暖かくなったころに咲く桜の咲き方で、秋の豊作、凶作を占い、豊作を願って酒や供物を供えていたそうです。それが転じて豊作の前祝というような感じで、今のようなお花見の形態ができたみたいなんですね。
一日中どっぷりと桜の花に浸っておりました。
<モゼール>さん、ありがとうございました。来年もよろしくお願い致します。 |
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2019/03/31(SUN)
輪音RUNです。
ここ数年、お花見RUNからフラれ続けている輪音です。 今年は暖冬だったから、きっと桜の開花も早いだろうという個人の見解は見事に外れ、開花状況にヤキモキする日々が続きました…。 榛原駅まで車載。
車を降りると寒い。大阪より3℃くらい気温が低い。 各方面のイベントが重なり、今回は総勢7名。ちょこっと冷たくて強い風の中を走り出す。 芳野川を少し遡って、八咫烏神社。
とりあえず桜が咲いていたのでホッとする。 宇陀松山方面へ。
松山町道路元標。 旧い街並みをユルユルと。
で、メインの又兵衛桜。
開花状況は三分咲きということだったが、開花間近のつぼみが薄いピンク色で満開のように見える。 で、本日のお花見部隊。
人麻呂公園。 この辺りは古くは阿騎野(あきの)と呼ばれ、皇室の狩場だった。 かつて旧暦の5月5日は宮中行事として薬狩りが行われ、男性は狩猟し、女性は野草を摘んだ。狩猟の狙いは鹿で、袋角(鹿茸)は滋養強壮剤だ。野草は薬となる薬草だった。
柿本人麻呂は軽皇子(かるのみこ、文武天皇)の狩猟に随行し阿騎野を訪れた。 「東(ひむがし)の 野に炎(かぎろひ)の 立つ見えて かへり見すれば 月傾(かたぶ)きぬ」(万葉集48番)という歌は、この時に詠まれた歌の一つ。
お昼には少し早いので、再び松山地区をポタポタ。
薬狩りが行われたくらいだから薬業が盛んだった。
っちゅうことでお昼。 茶房あゆみ。ここは外せない。 なぜ外せないかというと、
女将さんが気立てのよい美人だから。 まったりとしたひとときを過ごした後、相変わらず少し冷たい風を受けながら、宇陀水分神社。
ここの水分桜も見ものだが、まだつぼみは少し堅そうだ。 宮司さんが自転車好きで、しばしの自転車談義。 宇陀水分神社の裏手は廃校になった宇陀小学校の跡地を利用したワールドメイプルパーク。世界中のカエデを集めた植物園。
紅葉時期に再訪してみたい。 伊勢本海道をたどりつつ、墨坂神社。 大和の国に猛威を振るった病の平癒を願って崇神天皇が創建したことから、日本最古の健康の神とされている。境内に波動水というトンデモナク元気になりそうな湧水がある。 榛原駅近くの札の辻。
南に向かう伊勢本海道と東に向かうあお越道の分岐点で、榛原町道路元標があるのも頷ける。 「あお」は「阿保」と表記するらしい。もしかしたら「阿保親王」と関係があるかも知れない。 その分岐点にあるのが、旅籠を営んでいた「あぶらや」。
屋号が示す通り、かつては油業を営んでいたらしいが、江戸末期に旅籠になり交通機関が発達する明治末期まで続いたそうだ。 お伊勢参りで賑わってた頃の江戸時代の落書き。雨戸の裏側に書かれてある。 さしずめ現代ならアヤシゲな集団が、お店のシャッターに「ナントカカントカ参上」ってところかな? 「和州平群郡龍田村紅葉講 弘化四未三月五日」。 龍田村の紅葉講って納得できるな。 っちゅうことで、お疲れさん。
なんとかお花見ができました。
今週は花冷えで気温が低いですね。週末の本番が楽しみです。 |
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2019/03/24(SUN)
有料の自転車イベントにはめったに参加しないのですが、今回はガイド役のタクリーノ<U阪>さんに久々にお会いしたかったのですね。<U阪>さんのウンチクは<す>をはるかにしのぐほどにオモロイんです。
なんとまぁ、記念すべき「アベノバポタ」の第1回目らしい。 以前から気になっていたお店でもあるが、ラ系の<す>としてはちょこっと近寄りがたいところもあって…。 オッサン4人でスタート。 先ずは<U阪>さんの地元(<す>の地元でもある)からウネウネ。 万代池。
子供の頃、ザリガニ釣りしたなぁ〜。 高級住宅地、帝塚山界隈をポタポタ。 突如として「ブラタモリ」的な解説。 「上町台地は東側より西側の方が勾配がきついんです。つまり西側は崖、あるいは入り江のようになっていたんでしょうね。ここにはその痕跡が残っています。」
はるか縄文時代にまでさかのぼるお話。 いつもながら<U阪>さんのウンチクには頭が下がる。
確かにこの交差点では南北、東側は上り勾配で、西側(海側)のみ下り勾配になっている(ブラタモリ的)。 「ここは桑名正博がよく行っていたうどん屋なんですよ。」
「東側に桑名正博の実家跡がありますよ。」 今は高級マンションとなっているが、当時のまま残る立派な門が豪邸だったことをしのばせる。
地元民には「聖天さん」と親しまれている聖天山正圓寺。
もとは前方後円墳だったそうだ。 前方部と後円部をつなぐクビレの痕跡が「ブラタモリ」的に残っている。 上町台地西側が崖であった痕跡を残すあたりは阿倍野区と西成区の境目で、坂の下は西成区、上が阿倍野区。 ブラタモリ的に言うと「キワ」ってところ。 以前は住居の入口がどこにあるかで住所が決められていた。この急峻な土地に建てられた2階建て家屋は1階にも2階にも入口があったため、1階と2階の住所が異なっていたとか。 ボクシングの亀田兄弟がダッシュ練習していたという石段。
オッサンばかりだから、こんなところもクネクネしてみる。
阿倍野が再開発されるまではアーケードの商店街が続いていて、その頃は天王寺駅から天下茶屋駅まで雨に濡れずに歩くことができた。 今池商店街は、じゃりん子チエの世界。
ガード下のホルモン焼き屋には行列ができていた。 鶴見橋商店街。
大衆演劇場のお隣は、かつての鶴見橋ミュージック(ストリップ劇場)。
桑名正博御用達のバー。
亡くなる2週間前もここで飲んでいたらしい。 さてさて、やっとこさ本題のベイサイドエリアに突入する。 落合上渡船。
渡った先の大正区はオキナニワン。
昨年のナニ銀ポタで食い損ねた沖縄ホルモン。 ホルモン焼きは大阪のソウルフードだと思っていたが、沖縄出身の方々のお店が多い。
宮城さんとか仲宗根さんとか。
「中」に「イ(ニンベン)」が付くのは沖縄出身。女優の仲間由紀恵さんも沖縄出身であるね。
オッサン4人の共通した意見は、
「あぁ、ビール飲みたい…。」 この場合は、オリオンビールに限るのネ。 大阪ベイエリアを強く感じる大正内港。
タグボートが繋留されていて、潮焼けしたオッチャンたちが生活していたりする。
鶴町からなみはや大橋。 大阪のベタ踏み坂のダウンヒル。 「<す>さんはレンガも見るとイッちゃうんですよ。」 ビンゴ〜!! ホンダ・ステップバン愛好者のイベントが催されていたらしく、 さながらシクロジャンブルのステップバン版。 お昼は天保山の「とらじ」でカルビタン定食。
うどんが入っているあたりは大阪風? で、本日のメインイベントともいえる観覧車に突入。
オッサン4人で…。 ちなみにタクリーノ<U阪>さんは全日本実業団個人4000m個人追い抜きチャンピオン。アベノバ<A部>さんはシドニー五輪ロードレース日本代表。 風は少し冷たかったが、その分見晴らしが良い。 天保山渡船を乗り継いで、 安治川トンネル。 九条商店街を経て、大阪市電創業の地。 京セラドームまで来たら、
行っとかなアカンでしょ。 木津川沿いに下って玉出から帝塚山へ戻る。 帝塚山古墳。 一説では浦島太郎の墓であるとか。 帝塚山の地名由来には諸説あって、この帝塚山古墳はかつて「タマテツカヤマ」古墳と呼ばれたらしくて、いつの時代にか「タマ」が取れて「テツカヤマ」と呼ばれたらしい。
その元となる「タマデ」という地名にも諸説あって、海幸彦山幸彦の玉が出たから「玉出」、玉手御前が俊徳丸との不義密通がバレてこの地に来たからとか、その時に通ってきたのが「玉手山」だとか、「タマデ」は古来日本語で「海」、玉出の旧地名「コツマ」は崖を表すとか…。 そういえば「帝塚山」に「帝(ミカド)」という字があてられたのも意味深なような気がする。 そんなこんなの<U阪>さんのウンチクに感心しながら、
お疲れサ〜ン。 やや走り飽きた感のある大阪ベイエリアですが、ガイドさんが変わるとそれぞれ味があって面白いですね。
特にタクリーノ<U阪>さんに至っては、「どこからそんなネタ仕入れるの?」って感じです。 アベノバではGWに堺ポタ、大阪レトロ建築ポタが開催されるそうで、また参加してみたいです。 |




