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〜走る門には福来る 人生半分「エエ道」さがし〜

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近く撤去される日本遺産レンガを訪問しました。

引っ越し先

どうしよっかな〜。
引っ越しすんの面倒くさいなぁ〜。
アメブロ検討ちう。

新春 第十回初削り

久しぶりにおけいはんに乗って京都にやってきました。

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目的はコチラ。

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腕に自信のある大工さんたちが薄削りの技を披露しようというイベントです。

いわゆる「台鉋」と呼ばれる一般的な鉋ですが、

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薄削りというのは単に鉋掛けをするのではなく、いかに薄く削ることによって表面をつややかに仕上げる技です。

先ずは道具の調整から。

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我々のような素人は刃の出具合くらいしか調整しませんが、職人さんは台の調整から始めます。台を削る鉋もあります。

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削る材の表面を整えます。

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この時点で十分だと思うのですが、職人さんは妥協を許しません。微妙な調整を繰り返して本削りにかかります。

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おおおっ!

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厚みは1000分の1mm単位。つまり㎛ですね。

削っては調整して、調整しては削る。

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削る、

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削る、

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削る。

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鉋屑なんていえない、芸術品です。
細かくしておひたしなんかにかければおいしそう…、なんて感じてしまうほど。(お昼ごはん前だったので〜笑)。
材は檜です。

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単純にいってしまえば、台から1000分の何mmか刃先が出ていればそれだけの薄さで削れるわけなんですが、刃を取り付ける台にはそれ以上の精度が必要です。
さらに均等に削るためには刃先を均等に出さなければなりません(1000分の1mm単位の精度で!)。
加えて、鉋に掛ける力具合、おまけにそれを均等にするための体の運び具合。

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それらの微妙な加減が薄削りを実現します。
1000分の9mm!

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正に職人技。
薄さを競う競技会もあるそうです。

もちろん、刃が切れていることは言うまでもありません。

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削られた材は、頬ずりしたいくらいにピッカピカツルッツルです。

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ちなみにこれは杉で、これほどつややかな肌を出すのはかなり難しいとか。
お土産(?)にいただいてきた鉋屑です。

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これもお土産(?)でいただいてきた檜の鉋屑。新聞が読めます。

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旧い道具も展示されていました。

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これは酒樽に穴をあける道具。今のホルソーのようなものですね。
70年くらい前の道具だそうです。

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きっと年配の気難しそうな職人さんばかりで、ズブの素人の<す>なんて入り込む余地もないと思いきや、若い職人さん方もおられて、お話を伺うことができました。
「仕事でここまで要求されることはありません。自己満足というか遊びというか。いくつかの工務店の有志が集まって勉強会のようなものを作ってるんですが、こんな技術って言葉では伝えられないし、見てもわからない。自分で試行錯誤して身に着けるのが職人の喜びなんですよね。」
一応、職人のハシクレに引っかかっている<す>にとっては、とても共感できるお話です。

なんだか早春のほのかな暖かさを感じつつ、木の香りが心地よい会場を後にしました。

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オマケは外国からのお客様でにぎわう舞妓さん。

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以前からお誘いいただいていたのですが、なかなか日程が折り合わず、やっとお伺いすることができました。
職人のハシクレに引っかかっている<す>としては、かねてから「ほんまもん」の技を見てみたかったのですね。もちろん仕事上でも木と鉄の違いはあれ「ほんまもん」の職人技は見てきているわけですが、なかなかその域には達しません。もしかしたら一生のテーマかも知れません。
若い職人さんの言葉が印象的でした。
「妥協しない遊び心」
そんな仕事ができれば楽しいですよね。

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「むかしむかし、あるところに…」というふうに日本の昔話は始まります。
これはいつの時代、どんなところでもお話ができるように「むかしむかし」で「あるところに」なんだそうですな。
例えばこれが「西暦300年ごろ、大和の国あたりに…」だと考古学の論文のようで、「慶長19年、大坂船場に…」なんていうと歴史小説のようになってしまうし、「平成31年2月16日(土)、東京都千代田区千代田1-1に…」なんてやってしまうと報道記事みたいになってしまいますな。
だから「むかしむかし」で「あるところに」なんだそうです。

でまぁ、そんな「むかしむかし、あるところに」住んでいるのが、大概の場合、「おじいさん」と「おばあさん」なんですな。別にお父さんとお母さんでも構わないと思うんですが、子供が主人公となる昔話では、なぜか「おじいさん」と「おばあさん」なのですね。
桃太郎でもかぐや姫でも一寸法師でも、「むかしむかし、あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。」と物語が始まりますな。
「なぜ、おじいさんとおばあさんなのか?」
このあたりを少し考察してみましょう。

とりあえず大前提として「男」と「女」が同居しているものとします。
例えば20歳そこそこ、あるいはもう少し若い、おニィちゃんとおネェちゃんであった場合。昭和の頃には同棲時代なんていうのもあって、ちょっとエッチなシチュエーションでアレやコレやって感じですかね。当の本人たちは一生懸命なんでしょうが、傍目から見るとオママゴト的でありますな。

30代前後の夫婦と仮定してみます。ダンナは男盛りでビンビンだし、ヨメも女盛りでムンムンしています。ビンビンとムンムンでは子供に聞かせるおとぎ話にはふさわしくありませんな。

これがおじいさんとおばあさんになると、このあたりのナマナマしいお話でなく、なぁ〜んとなくホンワカァ〜としてくるんですな。日当たりのよい縁側で昆布茶を飲んでいるようなイメージです。

で、キーポイントになるのは、この老夫婦に子供がいないってことなんですな。
「既に子供たちは独立して、それぞれの生活を営んでいる」なんて家庭事情は、この際べつにして、とにかく子供がいないんです。
神頼みやらなんやらで、桃とか竹の中から突然子供が現れます。生まれたのではなく「現れる」んですな。
物語の成り行き上、おじいさんとおばあさんですから、普通に子供ができる確率は低いと思われますね。最近は医学が発達してかなりの高齢出産も可能らしいですが、とにかく「むかしむかし」の「あるところ」なんですから、そんな高度な医療技術を持った産婆さんがいるかどうかわかりません。

神様から授かった子供は宝物なんですな。
子供が生まれるってことは、およそ人智の及ばない神業と言っていいほどの偶然と奇跡だと思うんですね。
だから子供は宝、つまり「子宝」なんですな。

2月14日、初孫が誕生いたしました。
よく考えてみると「ちち・はは」に「てんてん(濁点)」を付けると「ぢぢ・ばば」になるんですな。
1個目の「てん」は「子」、2個目の「てん」は「孫」を表すのではないかと思うんですね。

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「こんにちは、はじめまして。おじいちゃんだよ、よろしくね。」





訃報

この件に関して、ブログに書くかどうか一晩悩んだ。
そのあげく、ヤツとの思い出は残しておきたいので、書き留めておくことにした。

出会いは大学生の頃。
きっかけはどんなだったか忘れたが、それから土木学生会というところでの付き合いが始まった。

2年生の頃だったか、ヤツはオンボロの学生寮を出て、アパートのような下宿屋のようなところへ引っ越した。
自宅組の俺達3人組(H、M、そして俺)にとって、帰宅途中にあるヤツの下宿は恰好のたまり場で、その頃の俺達と言えば4人集まると麻雀だった。まぁ、当時の大学生は、みんなそんな感じだったと記憶している。
ヤツは右利きでありながら、いつも左手で牌を切っていた。時として夜を徹して繰り広げられるその集会で、酒もタバコもやらないヤツは、何を思ったのか、休憩時(だいたい午前2時くらいなんだけど)におもむろに米を研ぎ、一人住まいの小さな炊飯器にセットすると飯を炊き始めたのである。
「腹減ったな」と言いつつ握るヤツの握り飯は、この上なくウマかった。

3年生の夏、ヤツとともに北海道、根室の牧場にアルバイトに行った。
日本海フェリーに乗るために、出発前日は舞鶴のヤツの実家に泊めてもらった。
日当が4000円で30日。小遣い合わせて13万円でアルバイト後に北海道を旅した。当時、俺は運転免許を持っていなかったので、レンタカー(スターレットのバンだったか)の運転はヤツだった。
「足寄には行かなあかんゾ」
「千春〜♪」
足寄はただ、だだっ広くて広大な草原の丘陵が記憶にある。
ほぼ1週間で金が尽きかけてきて、釧路からフェリーに乗った。なぜか「苫小牧発〜♪」と歌いながら。

4年生になって、そして卒業。
土木学生会の14人の仲間で、少しばかりの決め事をした。
「2年に1度集まろう。結婚式には呼ぶこと、葬式には呼ばせること。」

2年に1度の同窓会は、家族も巻き込んで今も続いている。
ヤツの結婚式で歌ったのは、北海道の思い出を語りつつ「大空と大地の中で」。
ヤツが最後に顔を出したのが淡路花博(ジャパンフローラ2000)だから、もう20年近く前になる。
その後、俺が幹事の大阪開催の時に、
「出といでや。」
と電話した時には元気のない声だったので、既に病んでいたのかも知れない。
そのうち自宅に押し掛けて、ハッパかけてやらんといかんなと思っていながら、それができなかったのが悔やまれる。
そんな思いもありながら、年賀状だけは欠かさず出していた。
相変わらず、ヤツからの返事はなかった。

昨日、ヤツの奥さんから届いた寒中見舞い。
「???」
「昨年11月22日に急逝しました。」
と…。

こらこら、葬式には呼ばさんかい。勝手に逝ったらアカンやろ。

人間というものは勝手なもので、いつでも会える時にはそんなに思わない。もう会えなくなったという決定的瞬間に思いがこみ上げてくるものだと痛切に感じた。

今年は2年ごとの同窓会の年。
せめてヤツの思い出話をしてやることが、一番の供養になると信じている。
ヤツが得意だった松田聖子のモノマネとともにな。
















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