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まったく、機械設備屋というのは因果な商売で、メンテナンス工事は他人が休みの時、つまり装置が止まっている時に仕事なんですな。
っちゅうことで、12〜16日は長野出張でした。
ハイエースに荷物を満載してスタート。
だいたい、この時期の移動というのは自殺行為に近い。 雨の中央道。 適当に昼メシでも食って…、というのは甘い考えで、各地のパーキングエリアはどこも満車状態。 結局、目的地までやってきて、 当地の仕事ではいつもお世話になっているラーメン屋さんに落ち着く。
少し時間があるので、周辺を散策。
以前から気になっていた橋があった。
箕輪橋。
そんなに古くはないが初代の橋は明治初期に架けられ、この橋は4代目になる。
江戸時代、参勤交代にも使われた「高遠みち」が渡っている。 明日からの仕事に備え、
初日の「だぁ〜ッ!」
(あれ? どこかで見たことがあるゾ) あ〜飲んだ、食った。
二日目の「だぁ〜ッ!」 予期せぬトラブル発生。
三日目の「だぁ〜ッ!」 なんとか装置を立ち上げて、
四日目の「だぁ〜ッ!」 最終日、立会と打ち合わせを終えて、
さらばぢゃ。
今日は代休。 久々にハードな内容だったんで、体中が痛いです。
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よもやま話
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♪〜きぃみぃがぁ
いたなぁつぅはぁ
とおいぃ
ゆぅめぇの
なかぁぁ
そぉらぁにぃ
きえてぇった
うちあげぇはぁなぁび〜♪
(Whiteberry『夏祭り』)
暑中お見舞い申し上げます。
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あっ、断っておきますが、かぁちゃんが日本遺産になったワケではありません。どちらかというと、かぁちゃんは特別天然記念物に近いです。
前置きはさておき、ホントは今月初めに行くはずだったのですが、あの大雨で断念。ならばとリベンジしたものの、この猛暑。 このところ、我家のエアコンのご機嫌がよろしくなく、車の方が快適に過ごせます。 中国道から播但道へ。 目的地のすぐ手前に現れたのは、 神子畑鋳鉄橋。
明治18年3月に架けられたこの橋は、鋳鉄橋としては日本最古。
小躍りする瞬間。
昭和52年6月27日、国指定文化財に登録される。
ほどなく目的地に到着。
先ずは周辺の探索から…。 鉱滓ダム。
鉱滓とは鉱石から鉱物を取った残りカスで、豆腐でいえばオカラのようなもの。 それでダムができるくらいだからその産出量は想像できないくらい多かったのだろう。 正式には間歩谷ダムと呼ばれる。
「間歩」とは、鉱山の坑道のことであるね。 神子畑小学校跡。
栄えていた頃は社宅が立ち並び賑わっていたそうだが、現在は19戸の小さな集落となり、子供は中学一年生の一人だけだとか…。
数年前に火野正平さんがチャリオ君とともに「と〜ちゃこ」したらしい。
満を持して核心部に突入。
高低差75mをつなぐインクライン。 インクラインへと延びるトロッコレール。
転車台?
徐々に全貌が明らかになる。
明延と神子畑をつないでいた鉱山電車。
運賃が一円だったので「一円電車」と呼ばれていた。
ムーセ旧居(明治5年築、明治20年移築)。
このあたりの鉱山開発に携わったのは多くのフランス人技師たちで、その宿舎として建てられた。この地に移築されてからは、事務所兼診療所となる。案内して下さったおばちゃんが嫁いできたころの診療所のお話を聞かせてくれた。 「4つの部屋があるでしょ。それぞれが内科とか外科とか診療科目で分かれてたの。」
明治22年から7年間、宮内省財産(御料局生野支庁)となったこともあって、瓦には菊の御紋が残る。
神子畑選鉱場跡。
神子畑鉱山の歴史は古く、平安時代には採掘がおこなわれていたそうだ。
銀と銅を産出する鉱山で一時は生野の支山として幕府の管理下に置かれたが、生野銀山よりも鉱石の出産量が不安定だったため、繁栄と衰退を繰り返すこととなった。
明治中期に神子畑周辺で有望な銀の鉱脈が再発見され、外国人技術者も招き近代鉱山開発が進んでいったが、
明治後期には神子畑鉱山は衰退し、大正6年に閉山。
その頃、明延鉱山の産出量が増加し選鉱施設が手狭になった。そこで大正8年に神子畑は大規模な「機械式選鉱場」として生まれ変わるのである。
24時間操業で、「不夜城」と例えられた当時は規模、産出量とともに東洋一と称えられた。
選鉱は鉱石を粉砕して水と混ぜ、それぞれの鉱物の比重差によって行う。
当然、水は高いところから低いところへ流れるので、高低差75mの急斜面は正に「地の利」というものであろう。 昨年、「播但貫く、銀の馬車道、鉱石の道〜資源大国日本の記憶をたどる73kmの轍」の関連施設として日本遺産に認定されている。
産業遺産マニア、廃墟マニアの<す>としては、もうしばらくここでボ〜ッとしていたいところだが、いかんせんこの暑さ。後ろ髪を引かれる思いで神子畑を後にする。 日本遺産に認定されている「鉱石の道」。先の鋳鉄橋から少し戻ったところにある。
反対側。
とまぁ、ここまではかぁちゃんサービスというより<す>が行きたかった場所。
このあたりを訪れたのはかぁちゃんのリクエストもあったワケで…。 虎臥城大橋。 12径間連続充腹式コンクリートアーチ橋。構造的には五新線と同じ。
100年後には日本遺産になるのかな? で、少しでも登坂を減らそうと狙っていた駐車場は先の大雨で土砂崩れ。
一般車は通行止めだがタクシーなら行けるとのこと、う〜ん、余計な出費はしたくないなァ。駅裏からの直登も可能だが、この酷暑。 ならばと対面の立雲峡へ。
第2展望台は、ほぼ同じ標高。
さらに上を目指すが、
これがまた酷暑が堪える登坂で、これやったら駅裏直登もかわらんやん。
ウンチ(運動オンチ)なかぁちゃんは汗だく。 さてさて、ご褒美は…。
竹田城。
虎が臥しているように見えることから、別名「虎臥城」と呼ばれる。 先の橋梁も、ここから命名されたのだね。
下界が箱庭のように広がる。
雲海に浮かぶ「天空の城」は、ここから撮影されるとか。
暑さにも負けず、頑張ったヒトビト。
かぁちゃんにも気に入ってもらえたようで、小さな木陰で涼みながら写真を撮っている。 ちょこっと安心して下山。 ぼちぼち帰ろうかというところで<す的>な寄り道が続く。 羽淵鋳鉄橋。明治20年架橋。 「銀の馬車道」とは神子畑選鉱場で製錬された鉱物が生野で精製され、姫路飾磨港に運ばれたルートである。 すっかりあきれ返って車で涼んでいるかぁちゃんを尻目に、現存する「銀の馬車道」を探索してみる。 当時の石積みだったら、ウレシイかも…。
かぁちゃんは、すでに寝ている…。
人力二輪でなく自動四輪のプチ旅でした。 <す的>な趣味を全面的に押し出し、かぁちゃんには申し訳なく思っています。 やっぱり温泉とかに連れて行かないとアカンかなァ…。 |
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先日、お月さんの写真が意外なほどよく取れたので、調子コイて夜景を撮ってみることにしました。
仕事が終わってから海辺の方へ。
19:09、日の入りです。
こんな時間でも気温は30℃を超えています。エアコンの効いた車中で缶コーヒーを飲みながら、暗くなるのを待ちます。
かなり以前、このあたりの発電所で仕事してたことがあって、仕事帰りの道すがら工場の夜景が当時から気になっていました。今ではツアーが組まれるほどの人気スポットです。
昼間は殺風景な工場が、暗くなるとなんとなく近未来的なイメージに変わるんですね。
こんな風景を見ていると、なぜか「ウルトラセブン」を思い出してしまいました。
空飛ぶ円盤なんかからアヤしい光線で工場地帯を破壊していく。あるいは海の中から巨大怪獣が現れて大暴れ。
まぁ、たいがい、アイスラッガーなんかで真っ二つにされちゃうんですけどね。アイスラッガーを放った直後のセブンって、少しオマヌな感じだったけど。 あの頃の特撮モノって今と違ってストーリーがありましたね。 メトロン星人とダンがちゃぶ台をはさんで会話するなんて、すごく人間臭いです。
(資料画像)
アンヌとダンの恋物語にも、子供ながらにときめいたものでした。
でもどうして、宇宙人にしても巨大怪獣にしても、最後は爆発してしまうんでしょうかね。 爆発はしなくても、
この暑さで、溶けちゃうかも知れませんが…。
いやはや、夜景は難しいです。
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先日、新しいカメラを買ったわけですが、その後お出かけする機会もなく、家の中でつまらない写真ばかり撮っていました。
で、このカメラ、CANONのPOWER SHOT SX 530 HSという機種で、すでに現行品ではありません(だから安かった)。
レンズ交換はできませんが、マクロ0cmから光学+デジタルズーム200倍(35mm換算で4800mm)に対応しています。フィルムカメラ時代には、広角やら望遠やらを担いでいたのが嘘のようなカメラです。 セルフタイマーも設定できて、最大30秒10枚連写は自撮りでも活躍しそうです。 たまたま、お月さんが出ていたので久々に撮ってみました。 今までのコンデジでは、どう頑張っても輪郭が流れてしまって気に入りませんでしたが、 いやぁ、腕前の進歩より先を行く技術の進歩ってヤツですね。
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