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ようもこんだけお空に水が溜まってたもんやなとビックリするくらいの雨が降り、各地に大きな被害をもたらしております。今日になって、ここ大阪方面は晴れ間が見え、その代りムシムシと大阪独特の暑さです。
昨日の話なんですが、久しぶりにカァちゃんとドライブするするつもりでしたが、各方面への高速道路は通行止めで、オマケに目的にしていたところには土砂災害警戒情報が出されています。
で、しゃぁないから昼メシでも食いに行くかと近場に出かけました。
大阪でも讃岐うどんのお店が増える中、大阪うどんのお店です。
讃岐うどんと大阪うどんの決定的な違いは出汁。
讃岐うどんにはイリコが使われコシの強いうどんに対して、大阪うどんはカツオ節を使い比較的柔らかくてモチモチとした食感。
大阪うどんのオススメはきつねうどんで、あげさんの味付け具合でそのお店の力量がわかるくらいです。
きつねうどんは大阪発祥とされ、河内方面では「ケツネウロン」と発音されますね。このあたりは、桂枝雀師匠の落語でよく聞かれます。
で、その「きつねうどん定食」です。
少し甘めのおつゆとあげさんが、なんとなく懐かしい味です。
子供の頃、バァさんがお昼に作ってくれたきつねうどんと同じです。 どちらかというと蕎麦食いの<す>なんですが、うどんのウマさを再発見したのでありました。 さてさて、お腹がふくれたところでカァちゃんが「天野酒〜」というので、近くの酒蔵へ。
断っておきますが、ウチのカァちゃんは決して飲んだくれではありません。目的は「生姜の酒煮」。これもまぁ、立派な酒のアテになるんですけどね。 折しも酒蔵のガレージでは「奥河内Art4展」なるものが開催されていて、 こういうのが好きなカァちゃんのスィッチが入りました。
カァちゃんが出展者のオバチャンと話し込んでる間に、<す>は改築中の旧店舗へ。
チラリとレンガが見えたので…。
ビンゴ〜(^^)!!
堺煉瓦と謎の「五」の刻印を発見しました。
他の会場へ。
カァちゃんはこんなのが好き。 なぜか石を磨いてみる。
思いがけず、芸術散歩となったのでありました。
で、帰宅して昼寝していたら、その間にカメラが届きました。
今まで使っていたカメラがどうも調子がおかしくて、よくある新聞広告で「アレもコレもついてこんだけ〜」(コンデジだけに?)というのに食いつきました。
マクロ0cmから光学ズーム1200mm(さらにデジタルズームで最大200倍)、魚眼効果やセルフタイマー設定(最大30秒、10枚連写)とかで結構遊べそうなんですが、今までのカメラのようにポケットに入らないのが難です。 記念すべきファーストショット。
「夏季限定」というのに、思わず買ってしまいました…、とさ。
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よもやま話
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8月を除く偶数月第3日曜日は高貴寺に集う会です。
梅雨の中休みというには上天気過ぎて、カラリと晴れあがった晴天で、 暑くなりそうな予感ですが、比較的標高がある高貴寺は快適です。
昨年、スズメバチの猛襲で全滅した巣箱にも、ニホンミツバチたちが帰ってきました。
<す>が高貴寺に通い出したころは10名程度の参加でしたが、最近では人が人を呼び、参加者が増えています。
今回は老若男女合わせて60名超えです。
各方面に作業が分担されます。
薪集めは子供たちの作業、<す>は風呂の杉板張りに指名されました。
お昼ごはんのメニューは夏野菜カレーとサラダ、雑穀米ごはんです。以前なら囲炉裏を囲んでいただいていたんですが、これだけの大所帯となると居場所を確保するのも大変です。
それよりも大変なのが、この大所帯の食事の支度。 高貴寺では、ごはんは昔ながらのかまどで薪で炊くのですが、六升五合を一人で炊き上げた若いお母さんはスゴイですね。 午後も引き続き作業を続け、
終了〜。
会を追うごとに若い方たちが増え、頼もしい限りですね。
数日前のテレビで放送されていたのですが、認知症の予防には人との「つながり」を持つことが最も効果があるそうです。ヒトの脳は他人との「つながり」を意識した時に活性化するらしいのですね。 普段は会うこともないし年齢も離れているし、まだまだお名前すら覚えられない方たちですが、ここに来ると昔からの友達のように語り合えるのがうれしいです。 新鮮で、どこか懐かしい出会いがある高貴寺です。 |
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奈良県観光局にお勤めの<N野>さん。お仕事柄、様々な情報を送っていただいております。奈良安全索道もこの方からの情報です。
以前、棲霞園を教えていただきましたが残念ながら一般非公開。ぢゃぁってことで、旧西尾家住宅をご案内することにしました。
西尾家は江戸時代から明治2年まで、仙洞御料の庄屋を務めていた。仙洞御料というのは天皇を退位した上皇の所領地のこと。
JR吹田駅から徒歩10分。目的地が近づくとエエ感じの路地。
南側が低くなっていて、なんとなく水屋建築っぽい。 いただいたパンフレットより(Nマークは貼り付け)。
歩いているのは戌亥土蔵の外側辺り。
おそらく北側に盛土され、例にもれず主屋の北側に土蔵が配置されている。
かつてこのあたりは湿地帯で、敷地南西側の路地は以前は川だったそうだ。
その川へ直接、田舟を出すために作られた出入り口。小さいがキーストーンを備えた立派な石積アーチ。設計は武田五一。
まわりのコンクリート塀は低湿地による水害に備えたもの。
そんな路地を回り込むと表門に出る。
1400坪に及ぶ広大な敷地には主屋をはじめ、二棟の離れ、米蔵を含む三棟の土蔵、茶室、さらには温室や防火水槽まである。
とんでもない豪邸というだけでなく、電話番号が壹番!!
<す>としては5度目の訪問となり、とりあえずごあいさつ。
玄関を入ってすぐの計量部屋土間の刻印煉瓦。
矢筈張煉瓦の土間は、やはり水害に備えたもの。
ガイドさんの丁寧な説明を聞きながら邸内を見学する。
残念ながら先の耐震調査で多くの危険個所が発覚し、二階へと続く箱階段のある奥の間や電話部屋など、立ち入りが制限されているところもあったが、それでも見どころ満載なのだ。
客間の欄間。
胡粉を盛り上げて立体的に仕上げられている。
長押の釘隠しにも格式の高さが感じられる。
客間南側は濡れ縁だったが、武田五一によって増築されている。
台所のテーブルも武田五一のデザイン。
巨大な配電盤も目を魅く。
現在の主屋は11代目と12代目の時期(明治中期〜昭和初期)に建築され、両人とも茶道をたしなんでおられた。
茶道藪内家の免許皆伝で、藪内家10代休々斎の指導による庭園。
石灯籠は様式を変え、22基あるそうだ。
四腰掛。
茶室へ向う客の待合となっている東屋で、桂離宮卍亭を模してある。
屋根の形が面白い。
藪内家の茶室、燕庵写しと雲脚写しを合体させた積翠庵。燕庵は古田織部、雲脚は千利休の流れを汲んでいる。
扁額は作庭を指導した休々斎によるもの。
残念ながら、ここも立入り制限されていた。
裏庭に回ると巨大防火水槽。
当時は付近にプールがなく、子供たちがよく泳ぎに来たそうだ。
植物分類学者、牧野富太郎の指導で作られた温室。
戦前までガラス張りの屋根が備えられていた。
西尾家と牧野富太郎の関係は11代目だか12代目が東京大学卒で、その頃に出会ったというらしいが、記憶があいまいで…(汗)
「今度、大阪に行きたいのだが、宿賃が…。」
「ほんならウチに来いよ。ウチ大金持ちやから。」
というふうな感じやったのかな?
牧野富太郎によって当地で発見された吹田くわいは、吹田市のイメージキャラクターになっている。
「すいたん」で〜す♪
さてさて、<す>がなんで何回も西尾家を訪れているのかというと…。
ここの離れが見ものなのだ。
武田五一によるこの離れは、11代の隠居所として大正15年に建てられた。しかし、残念ながら11代はその前年に亡くなっている。
個人宅では例が少ない武田五一であるが、後妻が西尾家の養女であったという縁らしい。
外見は東棟と西棟からなる平屋の和風建築。
東棟内部はビリヤード台が備えられた応接室と、
ステンドグラスから柔らかな光が差し込むリビング。
室内では当家で生まれた貴志康一(母が西尾家出身)のバイオリンが静かに流れている。
建物だけでなく調度品や家具までが武田五一のデザインで、フロアは寄木細工。
サンルームが隣接されている。
洋の室内に対して、和の網代天井。
東棟と西棟をつなぐ廊下には船底天井。棟木に使われている根曲り杉。絶妙な曲がり具合は加工したものではなく、自然木なのだそうだ。
洋風の東棟に対して純和風の西棟。
面白いのは、洋風の東棟は尺貫法で、和風の西棟はメートル法で建てられていること。だから畳の大きさも1×2メートル。こんなヤヤコシイ設計をかたちにしたのは、武田五一の住宅建築を多く手掛けた三輪彌助という大工さん。
義父の隠居所ということで、自由な設計ができたのではないかと推測できる。
丁寧なガイドを務めてくださったボランティアのオジサンにお礼を言って、約1時間の見学が終了。
一番好きなところは、都会の真ん中にあって他に高い建物が見えない、という風景かも知れない。
一部立入り制限されていたとはいえ、何度訪れても素晴らしいです。
格式が高く贅を尽くした豪邸は、たんに「古民家」というものではなく、その時代の文化に触れることができるんですね。 11代、12代とも茶道に親しみ、西尾家には主屋に2つ離れに1つ、加えて燕庵、雲脚という5つもの茶室があります。その内、玄関先の帳場横の小さな茶室は主人専用のもので、仕事の合間に茶を点てて休憩していたそうです。 また、植物学者や建築家との交流、果ては音楽家まで輩出してしまうという豪農の暮らしぶりってどんな感じだったのでしょうか。 容易には想像ができませんが、ただ「お金持ち」というだけでなく教養人としての格式も高かったんではないでしょうか。ホンマモンのセレブって感じですね。 <N野>さんにもお気に召していただいたようで安心しました。
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最近はあまり長い距離は走らず(走れず)、狭いエリアをジックリとサイクリングしています。
で、遊郭跡やらレトロ建築やら路地道をご案内したり、レンガ教布教活動に努めているいるわけですが、もうちょっとナニカ楽しみを見つけたいのですネ。 ベテランサイクリストならご存知のフランク・パターソン。
細密なペン画で描かれたサイクリングの風景。
ここまでいかなくても、お絵かき程度ならなんとかなりそうです。 決して「絵心」があるワケではないですが、いつかはこんな色鉛筆と小さなスケッチブックを持って旅してみたいですね。 パステルも好きです。
若い頃、東北を旅した時に「いいなぁ〜」って感じた新緑とヤマザクラのイメージ。
うん、これくらいやったら描けそうな気がします。
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偶数月第3日曜日は高貴寺に集う会です。
4月は恒例のお餅つきですが、あいにくと雨の高貴寺です。 にもかかわらず、乳幼児から84歳の御大まで54名の参加です。
干しエビや境内で摘まれたヨモギを入れて、一斗二升のお餅をつきました。
お昼は、お母さま方が作って下さった具だくさんのお汁に、つきたてのお餅を投入し、
お雑煮ふうにしていただきました。
午後は堂内のお掃除をして、終了。 その後、ご住職から掛け軸についてのご法話をいただきます。
ご住職は、まだまだお若いにもかかわらず、 「私は最近のインターネットの情報や、法話でさえも信用していません。それは噂話のようでもあるし、言葉というものには形がありません。だから私は形に残る書に魅かれるのです。」 というようなお話をされておられました。
そんな中で、 「竹有上下節(竹に上下の節あり)」 というものがありました。
ご住職は実際に切った竹を持ってこられ、 「これの上下がわかりますか?」 正しく禅問答です。 で、ご住職が好まないネット検索でちょこっと調べてみました。
「松無古今色 竹有上下節(松に古今の色なし 竹に上下の節あり)」
松と竹に梅を加えれば「松竹梅」と言われるように、縁起の良い植物の代表格です。
この禅語にある「古今」あるいは「上下」とは相対する物事のようですが、松は一本の松、竹は一本の竹なので優劣はないはずです。
一見差別されているようですが、実は「『古今』も『上下』も平等なのである」ということらしいのです。
人それぞれには能力や性格といったような違いがあります。当然そこには「差別」というものが生じます。 でも、その役割や命といったものは「平等」でなければなりません(松無古今色)。 しかしながら、やたら「平等」を強調してばかりでは、世の中が成り立ちません。
年齢差、性別といった違いがあります(竹有上下節)。 「平等」「差別」といった矛盾する語ですが、要はそれらを自分で感じ(竹)、その上で、お互い認め合うこと(松)が「世の中」なのではないのかということらしいのです。
そんなことを日頃から感じられるようにするのが、「修行」というものになるのだと思いますが、その糸口すら見つかりません。
だって…、
こんなことをしてるんですから…。
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