走門来福

〜走る門には福来る 人生半分「エエ道」さがし〜

よもやま話

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奈良安全索道

2018/03/24(SAT)

ある友人から「こんなの知ってる〜?」と情報をいただいたのが、

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な、な、なんじゃこりゃぁ〜。奈良にロープウェイがあったって〜? ドリームランドやあるまいし…。
っちゅことで古地図(1922年)を検索してみると、

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京終駅から東南東に延びる何やらアヤシゲな直線があるではありませんか!
オオオッッッ!!!ってことで、早速ツアーに申し込みました。

集合はJR万葉まほろば線(桜井線)京終駅。平城京の端っこの方、京の果てなんで「きょうばて」と読む。
なんだかリニューアルされているようで、<す>としては明治31年開業当時の駅舎の方が良かったな。このあたりは公務員的観光関係者に一考願いたいところである。

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以前、このあたりは問屋街として栄え、テイチクレコードの工場があったりして、貨物専用の引き込み線が設けられた。

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奈良安全索道がこの京終駅を起点としたのもうなずける気がする。

奈良市観光協会が主催するツアーで、ガイドさんとお弁当付き。
一行はバスに乗り込み、

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名阪国道を東へ。
車中でいただいたお弁当は、平宗の柿の葉寿司。

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小1時間で、大和高原民族資料館。

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元は小学校だったようだ。

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ここを管理、運営されている「大和高原文化の会」の方々から、奈良安全索道の概要や、なぜこの索道が建設されたかというお話を伺う。

奈良安全索道は大正8年10月から同11年11月にかけて建設された荷役用の索道で、京終駅〜小倉駅までの16.9㎞を結んでいた。総工費は378,850円。米1升が13銭の時代である。
建設に尽力したのは中辻鶴松という人物で、旧針ヶ別所村村長や山辺郡会議員を務めた経歴を持つ。

全区間で111基の支柱を持ち、建設当時はすべて木製だったそうだ。

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昭和4年に全線鉄骨製になる。

残されている搬器は民家のストーブに下に敷かれていたものが、たまたま発見されたらしい。大きさは70㎝×130㎝くらい。

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下の金具にケーブルにひっかける金具が取り付けられていた。

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で、なんでこの索道が建設されたかというと、

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大和高原は明治期には凍豆腐の生産が盛んで、出荷量が増え続けていた。
当時の輸送は牛車や自転車によるもので、出荷量に限りがあった。これを解決しようと建設されたのが奈良安全索道なのである。

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おっ、武田五一。

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奈良安全索道のあらましをお勉強した後に、いよいよ廃線跡探索に突入する。

終点小倉駅付近では、この地に凍豆腐を伝えた杉本武助の碑。
このあたりは冬季は気温が低く、その間、仕事が少なかった。それを何とかしようと、はるばる高野山まで凍豆腐(高野豆腐)製造を学びに行ったとか。

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豆腐小屋と呼ばれる製造所跡。

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凍豆腐と同時に茶も生産されていた。

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旧小中学校のグランドを回り込むと、

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林の中の支柱跡。

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ガイドさんは京終〜小倉間全線を踏査されたそうだが、残念ながら遺構らしいものがあるのはここだけだったらしい。
鉄骨製の支柱を支えていた4つの基礎。アンカーボルトで固定されていた。

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凍豆腐を伝えた杉本武助から数えて4代目にあたる方のお宅には、紀念碑。

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そのお宅の向いが小倉駅跡。
凍豆腐の出荷場となっていた。

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当時の門柱が残る。

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山田駅付近。

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お稲荷さんの参道を登りつめると、

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とりあえず、この窪みが支柱跡と推測してみたりする。

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索道のほとんどは尾根伝いに建設され、支柱の高さは3〜10mくらい。このあたりが最も低くて、当時のガキンチョはいたずらで搬器に飛び乗っていたらしい。

天満駅跡。
ここで、祖父が天満駅長を務めておられたという方のお話を伺う。

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当時の駅舎が残っている。

16.9㎞に渡る索道の動力は電動モーターで京終駅〜天満駅間、天満駅〜小倉駅間に1基ずつ備えられていた。
天満駅は荷役の中間地点で、荷物の積み替え地点となっていた。

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ケーブルのテンションを取るために巨大な滑車が備えられていたという遺構。

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駅長が通勤に使っていたという大正12年製の自転車。

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今でも現役で動いている。

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食いつかないワケがない!

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「そや、縁というのは不思議なもんやな〜。今日アンタらが来るっていう日に搬器が見つかったんや。ウチにあるから見においで。」
ということで、お宅にお邪魔させていただくと、

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当時のお話を伺う。
荷役札。

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荷役作業着。

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パンフレットの表紙になった写真が!

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かきもちやお茶までいただいた。

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京終駅でゴール。

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お疲れサ〜ン。

奈良県の廃線跡といえば大仏鉄道や五新線は知っていましたが、まだまだこんなところがあったんですね。モニターツアーということでわずらわしいアンケートなんかもありましたが、それ以上に面白いツアーでした。
何よりも感動的だったのは、地元の方々とのお話です。もっともご高齢の方々のなんで、索道に飛び乗って恐かったという思い出話のなかに、元気な日本を垣間見たような気がします。
いわゆる「近代化」とは少し違う、地元に根付いた「近代化」にココロを奪われてしまった<す>でありました。

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思わず漏らした<す>の一言…。
「鉄道路線跡なら地図から想像できますが、空中の索道はわかりませんよねぇ。」

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高貴寺に集う会

偶数月第三日曜日は高貴寺に集う会です。
このところ建設的作業が続いていますが、今回は石蔵院の竹垣の修復です。

先ずはbefore。

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かなり前に作られた模様で、横桟はボロボロ、

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主柱に至ってはすでに朽ち果てて、補強で打ち込まれた鉄筋でもっているという状態です。

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材料となる竹の伐採。

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笠木の天端には瓦が葺かれているので、主柱を交換するとなると大変な作業になります。
補強となる鉄筋がしっかりしていたので、それに期待して主柱と笠木は残す作戦となりました。

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石蔵院は高貴寺の庫裡となっていて、お昼はここでいただきます。最近は若いお母さんも増えてきて、一汁一菜も華やかになってきました。

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午後からは本格的な組み立てにかかります。

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うっかり寄りかかってしまうと倒れてしまいそうなので控えの本数を増やし、腐食した横桟を交換して竹を張り付けて行きます。

で、after。

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内側から見ると、意外にもエエ雰囲気です。

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当初は「大丈夫やろか…」と心配しておりましたが、みなさんの知恵と頑張りで思いのほか素晴らしい出来上がりとなりました。

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最近やってきた珍客。

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アライグマです。


窓を開ければ雪国だった…。

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いきなり驚かされましたが、近つ飛鳥博物館で催されている、

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に行ってきました。

慈雲飲光は大阪市北区で生まれ、東住吉区の法楽寺にて出家します。真言正法律の開祖となりますが、仏教のみならず神道までも説くという超宗派的で、「今釈迦」と呼ばれるほどの高僧であったそうです。
高貴寺には1776年に入り、荒れていた堂舎を整備しました。
1804年、京都の阿弥陀寺で亡くなりますが遺体は高貴寺に運ばれ、奥の院に墓所があります。

慈雲は人々の信仰に応えるために、様々な教えを書に残しました。
ということで、

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小学生の頃、習字というのがありましたが、これはお手本があってそれを書き写すものなんですね。
「想いを書に」っていうとなんだかラブレターのような感じもします。それもまぁ大昔のような感じで、今のワカモノタチはラインっていうものなんでしょうね。

先ずは「想い」を込めて墨をすります。

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習字の先生に言われたことを思い出します。
「墨のすり方で人間性が出る。ほらほら<す>君、真っ直ぐすれてないですね。」
姿勢が良くないと真っ直ぐにすれません。加えて硯の一部分だけですっているとそこだけが減って、硯がくぼんでしまいます。

「硯は自分の心を見るもの
 筆は自分の心を映すもの
 書はその人の心を表す
 字にはその人の想いが表れる
 その心を磨くには(  )をすることが一番」

と、いただいた資料にありました。
まちがっても( )はホニャララやチョメチョメではありません。こんなことを言っているうちは、なかなか「心を磨く」という境地に至りません。

「では、書いてみましょう。先ずは一礼して気持ちと呼吸を整えます。そして、息を吸って、

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ゆっくりと息を吐きながら、真ん中に『|』を書いてください。」
このあたりの呼吸法はヨガに通じているところもあるかも知れません。
「それから書きたい文字、何でもいいです。今、感じたことを書いてください。」

ワークショップは思ったより盛況で、

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それぞれの「想い」をしたためておられました。

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で、

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「想創」とは、「想い」をかたちに「創る」という意味で書きました。
ワークショップの最初にご住職が、
「今年の干支は『戊戌(ぼじゅつ、つちのえいぬ)』です。『戊』は草かんむりをつけると『茂』に通じ物事の繁栄を意味します。対して『戌』は『滅』に通じ衰退を表します。波乱の一年になるかも知れませんね。」
というようなことをおっしゃっていました。
世界情勢を見るに隣国や海を隔てた大国の動きにはキナ臭いところもあって、そんなことは手も届かないところなんですが、自分の気持ちだけは確かにしておきたいものです。その「想い」を「創る」という気持ちは大切にしたいです。

「|」が少し曲がっているのは…、
人間というのはですネ、謹厳実直、何でもかんでも一直線というのはツマラナイと思うんですネ。ちょこっと寄り道とか回り道の方が面白いし、でも、「すべての道はローマに通じる」わけだし、だからネ、あのネ、結局ネ…。あるいは、こういう曲線は女性的で、オジサンとしては魅かれてしまうのですネ。とは言っても、決してそれを狙っていたワケでもなく、途中で息切れしてしまった…、
という言い訳をしておきましょう。


博物館の駐車場には梅が咲いていました。

季節は巡り
自然はそれを忘れない
想わずして形を創る
自ら然り
他には
何もない

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新年雑感

あけましておめでとうございます。

今年も忘れもせずにお正月がやってきたワケで、たまには「あ、忘れてた」というようなコトがあってもよさそうなんですが、どうあがいても、一年に一度はやってくるワケで、でもまぁ、これが二度三度とやってこられても、それはそれで迷惑な話なんですな。お正月は年に一度だから「おめでとうございます」なのですね。

とまぁ、新年早々(こういう言い方も好きじゃないんですが)、こんなアホなことを考えているくらいだから、とりあえず現状のままで今年もなんだか平穏無事に過ごせそうな気がします。
「気がします」っちゅうのは、つまり一寸先は闇、未来は誰にも予測できないっちゅうことですな。いくら機材が良くなっても天気予報の的中確率は100%ではないというのが良い例です。


でもまぁ、「予兆」というものもありますな。
例えばお腹がグルグルしてきた。「あッ、そろそろ来るな…」と予測ができても、無事トイレにたどり着けるかどうかはわからない。満員の急行列車なんかに乗り合わせていたら車内トイレには駆け込めないし、次の停車駅まではまだかなりある。冷汗をかきながら車内トイレにまでたどり着いても、すでに先客が…。なんて時もしばしば。
もっとましな例えはなかったんでしょうかねぇ。

予測できない「未来」はそんな闇ばかりではなくて、明るい「希望」っちゅうのもございまして、宝くじが当たるかもしれないということもありますな。
これはまぁ前段階に「宝くじを買う」という行為がなければ希望も何もないわけで、そのまた前段階に「宝くじを買う金を稼ぐ」という非常に能動的な行為が必要になるわけですな。
つまり「夢」や「希望」を叶えるためには、「幸せは歩いてこない。だから歩いていくんだね。」ってことになります。
でまぁ、よしんば宝くじが当たって「夢」が叶ったとしましょう。その瞬間に「夢」は「夢」でなくなるワケですな。「夢」とか「希望」は夢や希望の内が「夢」であり「希望」なのでありますな。

鳥になりたいと願う。
それが叶って大空を飛び回る。それはそれは気持ちの良いことでしょうが、<す>のような俗人は露天風呂の上空に飛んでって、なぁ〜んてヨカラヌコトを考えます。
でもそこで重要なコトに気付くのですね。オネイサンの裸を見たいというのは人間であるからであって、鳥になった時点ですでに人間でなくなるワケですから、果たして鳥がオネイサンの裸に興味を示すかということなんですな。

例え話が的確であったかどうかはわかりませんが、「夢」とか「希望」を叶えるために「だから歩いていくんだよ」と言っている最中が人間にとって一番幸せなことではないかと思えるのですね。

今日一月一日の朝日朝刊で「一瞬のハッピーがあれば、人はまた走れる」と矢沢永吉さんは語っています。「(略)、サクセスとは違う、もう一つのハッピーというレールがあった。」
「物の豊かさより心の豊かさ」と言われて久しいですが、その「ハッピー」とは他人と比べるものでなくて、自分で決めるものなんだと。
人間は幸せに向って歩くんではなくて、自分にとって何が幸せなのかを見つけるために歩き続けているのかも知れませんな。

<す>にとっては、こうして酔っぱらった頭でウダウダとワケのわからんことを語っているときが「一瞬のハッピー」ってものでしょうねェ。
と感じる今日この頃でございます。

今年もよろしくお願いいたします。

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高貴寺に集う会

偶数月第3日曜日は「高貴寺に集う会」です。
今年最後の奉仕作業となったわけですが、この一年の作業内容はというと、
2月、薪小屋作り
4月、お餅つき
6月、排水工整備
10月、龍池泥さらえ
と、お餅つき以外は建設作業的なものがほとんどでした。
例年12月は「これでもかッ!」と積もった落葉の清掃なんですが、今回は二年続きの台風で大きな被害を受けた境内の復旧作業となりました。

参道の崩壊箇所にはいつの間にか板敷が施されています。

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奥の院から続く谷筋の崩落個所には土嚢積み。

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これらを整備されたのは高野山つながりの方(本業は建設業)だそうで、被害調査から役所への折衝もされておられるとか。
今後は重機を入れる作業道が造られるそうです。また、史跡指定を受けるために発掘調査も行われ、本格的な復旧が行われるそうです。

砂防堤は、杭を打ち倒木を利用した土留め壁のまわりに土盛りし、法面は土嚢積みされています。

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「もう2段くらい積みたいですね。」ということなので、さらに2段2列の土嚢を積み上げていきます。
「土嚢は角材で叩き締め、積み上げる時に間に薄く砂を敷くと滑りにくくなります。『自衛隊積み』というらしいです。」

土嚢に土を詰める人、運ぶ人、積む人。
それぞれが誰に指示されることもなく、各方面に分かれ作業が進みます。

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災害復旧経験者の<す>は、とりあえず「積む人」に専念しましたが、この後の筋肉痛が心配です。

この日の高貴寺は下界よりも3℃は低い気温4℃で、暖かい囲炉裏のまわりでいただいたお昼にはホッコリとしました。

午後も作業が続き、なんとか時間内に作業を終えることができました。
頑張った親方(56歳)と若者(11歳)です。

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さてさて、「高貴寺に集う会」に参加して今年で足かけ五年になりますが、どうしてこの会が発足したのかと気になって検索してみると、コトの起こりはこのあたりなんですね。
http://blog.livedoor.jp/mokuzo_architect/archives/51091915.html
このブログアップが2007年だから今年で丸十年ということになります。
最近は若い方々も増え、それもご家族で参加されるものだから、囲炉裏端はさながら託児所のようですが、「歴史」は確実に形作られているようです。

「歴史」と言えば…。
来年は高貴寺中興の祖「慈雲尊者」の生誕三百年になるそうで、近つ飛鳥博物館では記念特別展が催されます。

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招待券を32枚もいただいてしまいました。

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もしかしたらノルマかも知れません〜(笑)







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