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2日前の1月17日はわたしにとってとても重要な日です。
私は大学時代、OL時代の計6年を関西で過ごした。
あの当時、会社の事私生活の事いろいろ、行き詰っていた私は同じく色々悩んでいたアメリカ人の友人のシンシアとパプアニューギニア人で未来も前世も見れるというスタンリーという黒人男性に占いをしてもらった。
彼の勧めでわたしはいったん山口に帰ることにしてマンションを引き払い実家に帰った。
シンシアは同じく彼の勧めでアメリカに帰った。
その後、すぐにシンシアはロスアンゼルスの震災にあい、コンドミニアムは倒壊し、飼っていた二匹の猫は死んだ。つまり、スタンリーの占いはあてにならないということだ。
しかし、そのご、すぐに私の住んでいた所は震災でめちゃめちゃになった。
震災を知ったのは飛行機の中。北海道のスキー旅行から帰る途中だった。
その時点では事の重大さはわからなかった。
宇部空港に着きすぐに一人暮らしのお春が気になり、電話した。
生きていた。ほっとした。でも、住んでいたボロボロの文化住宅は半壊していると恐ろしさを訴えた。
そのあと、また、うちに帰ってから電話すると言っていったん電話を切った。
しかし、その後、5日くらいは連絡がつかなかった。
うちに帰り、ニュースをみたら先輩のしまピーの住んでる灘地区が壊滅状態。
私は彼が死んだものと思いむせび泣いた。
しまピーはデブで歌がうまくて優しい先輩。楽譜も読めないのに大阪フィルのオーディションに受かり、関西二期会オペラのバイトをしたりする変な人だ。お茶の店を始めたばかりなのに。。。
のちに、生きていて倒壊した家屋から自力で脱出し、"映画見たいやったぞ”と平気そうに語っていると聞いて拍子抜けした。
しかし、お茶屋は全滅した。”また、一からやりなおせばええだけや”としまピーが言っていたと友人のなおに聞き、さすがだ思った。彼のその時の言葉は私のビジネス取り組み方にその後深い影響を与えた。
その日から毎日、当時務めていた議会の議員図書館で全ての新聞に目を通した。
嫌なものを見つけた。
山○理子25歳。。。。。
大学時代の同じサークルの友人の名前だった。
その瞬間、りこちゃんと話した恋愛の話、病気のお姉さんの話、バイトの話、恋人のともきと帰る姿。
様々なことを思い出した。
りこちゃんはともきとは大学卒業してすぐに別れたと聞いた。
あれだけ仲が良かったのに信じられなかった。
理子ちゃんは倒壊した家の下敷きになり即死だったと後から聞いた。
その、倒壊した家屋から掘り起こしたのは外でもないともきだった。
大阪から自転車で芦屋まで行き、彼自身が掘り起こしたのだ。
別れた恋人を。。。
わたしはその後、幾つかの短すぎる恋をして、その仲の縁のあったひとと一緒になり、そして緩やかに
歳も重ねた。いまでは3人の母だ。かおpがお母さんになるなんて想像がつかないと笑われていたあの頃の私はもういない。
彼女もきっと結婚をし、子を産み育てる夢を見ていただろう。
偶然私は生きていて彼女はなくなった。
例えばあの日、神戸で遊んで終電乗り遅れてどっかにうろついていたら私は死んでいたかもしれない。
お春だっておなおだって死んでいたかもしれない。
今生きていることの偶然さを忘れてはならない気がする。
ある時期まで震災のあった1月17日はとても恐怖だった。
わたしは母になることで強くなっていった。
強くなって強くなってたまには弱い所も見てみたいと自分でも思うのだが。。。。。あの鬼婆の娘だから仕方ない。
世界が平和で人々が争わないでいられる世界を今日も祈り続けるかおぴであった。
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