眞弓さんのこと

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眞弓さんが実際にPCを操作できるようになるまでにさらに時間がかかっています。

補助を受けられるようになって、
購入から設置までH社のOさんが細かなことを全部指示して下さったし
眞弓さんも待ち望んでいたことなのでそれからは早かったと思う。

パソコンの電気代に病院側は難色を示したように記憶している。
(TVの使用料がカードに変わる前は、TV視聴は無料で提供されていたと思うが…)
個室の電話を利用するなどとても認めてはもらえなかった

やがてTVも冷蔵庫もプリペイドカード方式になるのだが、
パソコンは携帯電話を使用してインターネットにつなげる。
その手続きなども親切に教えてもらい最終的に眞弓さんのところにOさんが来て設置して下さった。

前にどこかで書いたと思うが、パソコンからはタッチセンサーが接続されており
顔の前まにセンサーを持ってきて唇に当ててカーソルを動かす。
メールを書くにしてもまず50音の画面が表れ、文字を一つずつ追っていくのだ。
今はどうなっているのか知りませんが、とにかく根気のいること。キーボードをたたけるありがたさを思う。

メールアドレスをつくる時アカウントは何にする?と聞いた時、少し考えて「ridia」にすると。
ridiaさんは彼女の友人の名前。色々いきさつを聞いたが若い頃は積極的に外国の方とも交流していたようだ。
なのに病院では面会謝絶にされ、彼女の世界はいくらかの看護師さんと医師、病院関係者、数人の見舞客、それにTVだけだった。

インターネットが出来ることは文字通り窓を開き、外に飛び出し、町並みを見、人の暮らしに触れることだった。
お買い物も出来る、調べ物も、人との対話もメールで出来る。

開設のお祝いに乾杯しましょうということになって眞弓さんは病室で、Oさんは東京から、私はその日友人と会っていたので
その友人も巻き込んで2001年9月18日午後8時に一斉に…といっても各地で乾杯の声をあげ、おめでとうメールが飛び交ったのだ。

間違って友人の家までメールが届き、そのご主人も巻き込んだりと面白いこともあったが
沢山のメールが彼女の元に届けられたと思う。

乾杯の時に眞弓さんがくれたメールの文中には「ばんざい、ばんざい、ばんざ〜い」とあった。
   


6に主治医からPC導入を勧められたことを書いています。

主治医のK先生が眞弓さんに、パソコンで日記でも書いてみたらというつもりで勧められたみたいですが、初めからインターネットがしたいという考えがあってそれはなかなか認めてもらえませんでした。
その理由が「医療機器に影響があるから」でした。
そこで障がい者用のノートパソコン「伝の心」を出しているH社のOさんに問い合わせました。
Oさんはご親切にこの問い合わせに当時九大の先生が出した、「パソコンに関する電波は医療機器に影響しない」のデータを送って下さいました。それをK先生に届けて病院側に再検討をお願いしました。

いつごろだったかもうすっかり忘れてしまいましたが、病院側から後日、許可がおりました。

それから今度はノートPC「伝の心」購入の壁です。
お母様に「伝の心」の購入をお願いしました。新規に購入すると当時50万ぐらいだったと思います。
眞弓さんは難病でもなく、言語や聴力に障害があるとも、みなされないのです。
だから公の補助を受けられなかったのです。

お母様の返事は「できない」でした。
事情はわかりました、決してお金が出せないお家ではなかったんですが…

そんな事情をOさんに説明しますと
「伝の心の中古を探します。
また支払いは私が立て替えますから、少しづつ支払って下さい」
大手の会社です。その技術者の方が立て替えるなんて!
Oさんの優しさが身にしみました。

Oさん自身が障がい者用のノートPC開発に携わった理由は、
先輩がALS(筋萎縮性側索硬化症)になりコミュニケーションがとれなくなることから
なんとか意思を汲むことが出来ないか模索から始まったそうです。
その先輩に使っていただくことは出来なかったと聞いています
体のどこかが少しでも動けばPCを介して文字に出来る…

その前に市にかけあう事になりました。これもOさんが教えてくれたと思います。

K先生が診断書を書いてくれ、市役所に足を運びました
当部署に眞弓さんの状態を訴えてPC導入の補助をお願いしたのです。


夏の日、街を歩いていた時に電話が。市役所からOKの返事です。
その場でOさんに電話をしました。
嬉しくて人目もはばからず泣いてしまいました。

眞弓さんがインターネットが出来るPCを願ってから、半年以上かかりました。








東京マラソン

真弓さんにPCを導入する件でとてもお世話になったH社のOさんが、
「東京マラソン」に出ますとメーリングリストでお知らせがあったのに
きれいに忘れていて、今日だよ、走ってるよとメーリングリスト仲間の I さんが教えてくれた。

東京マラソンってすごいです!
マラソンの各自の情報がPCやスマホでわかるんですよ!
エントリーナンバーを入れると5キロ毎のタイムが表示される。
しかも東京の地図画面では、今頃この辺 とばかりに地図上に示されるんです。

こういうことって今や珍しくはないのかな?

私はびっくり仰天!結構面白かった。
沿道にいる気分。

東京マラソンなんて全く興味もなかったのに5キロ毎のタイムに手に汗握ったわ〜

ちなみに還暦も過ぎたO氏は、初めから「6時間かけて完走 」を目標にしてらしたので
私達メーリングリスト仲間は6時間も手に汗握りました(汗) 

 ツイッターで応援メールを送れるとのことで、したこともないツイッターを登録して
悪戦苦闘の末ツイッターで送ったあの「完走おめでとう」はいったいどこへ行っちゃったのでしょう。トホホ

今日はOさんに労いメールが届いています。
明日の8時に完走お祝いの乾杯をそれぞれ各地で行います。

以前、真弓さんにPCを導入、初めて送信できたのを祝って各地で乾杯した時のように。

真弓さんはその時、一つ一つの文字を時間をかけてつないでいき、「ばんざいばんざいばんざ〜い!」と送ってきてくれた。

明日、3月1日は真弓さんの命日…なんだか不思議。

宮沢厚さんとパン君

3月1日は眞弓さんの命日です。
気持ちがザワザワと波立つのですが、
結局何もしてあげられなかったな、と無力感を味わっています。
 
もっと早くに記事にしたかったのだけど‥
 
昨年12月10日ごろだったでしょうか、
宮沢厚さんから電話が掛かってきました。
眞弓さんと親交があり、亡くなられたこともお知らせしていましたが
「ようやく念願叶って機会が出来たので、お参りに行きたいのですが」
とのことでした。
納骨されているお寺で落ち合ったのは12月12日
納骨堂にご案内しましたが、宮沢さんが著書をお供えになりました。
イメージ 1
 
病院の病棟婦さんが、友人だった宮沢さんを眞弓さんに紹介してメールの交換が始まったそうです。
パン君の大ファンで、その頃の「志村動物園」はかかさず観ていて
パン君の聡明さをどんなに聞かされたことでしょう。懐かしい‥
 
宮沢さんと眞弓さんは直接会われた事はないけれど
暖かい絆で結ばれていたようです。
 
眞弓さんが亡くなられた後、
宮沢さんが眞弓さんのことを書いていいですかと聞かれていて
どうぞ書いて差し上げて下さいとメールのやりとりをしていました。
 
そしてその本が出来上がったのです。
眞弓さんのことも書いていただいています。
機会がありましたら、
いきいきと活躍するパン君と、
深い愛情でパン君に接する宮沢さんの面白交流記を手にして下さい。
 
眞弓さんが一番喜んでくれるかな‥‥
 
眞弓さんは、いつ行っても、眠っていることはなかった。
 
病室のドアを開けて「こんにちわ」と声をかけると
体位交換で、顔がこちらを向いていなくても
呼びかける私を満面の笑顔で迎えてくれた。
ベッドを回って向き合うと、それまで見ていたTVでも読書でも
即座にやめて、私と話し合うのが常だった。
 
そして、読書や、ネットで取り寄せたお菓子のこと
病院のこと、家族のこと、友人のこと、私の家族のこと、
ごく普通に世間話をする
時々、口の動きが何を言ってるのか
何度も何度も聞き返すが、それでも分からなかったら
50音を順番に言って、言葉の頭の文字を教えてくれる
こちらが分かるまで、気長に言葉を換えたりして伝えようとしてくれる
なんでもない言葉なのに、時間がかかる時もあった。
そんな時、理解できなかったことを本当に申し訳ないと思った。
 
でも、50音のアクリル板で文字を一つずつ探したあの頃に比べて
格段の差がある。
普通に声を出すのは出来ないが、ささやくような事は出来る
その口の動きに時々、げっぷのように空気が通って声?音?が出るのだ。
慣れてくると、彼女の言うことは殆ど理解できるようになる。
さすがに看護師さんの方がよくわかっていた。
けれども、少し離れたり、口の動きが見えないと
眞弓さんには要望が伝えられない。
 
だから「もう帰るね、他にはない?」と聞いて、
それからまた少し会話が弾んだりもした。
私達おばちゃんが「では、またね〜あそうそう、思い出したわ」で、
また話が続くように。
 
日中はテープで音楽なども聴いていた。
TVもよく見ていた。
体に障がいを持つ人が口で棒をくわえてキーボードをたたき
点字訳をしている人のことがニュースで流れて
私も何かしたいともらした。
けれども同じようにするには、体が起こせなくてはならないし
首も動かせないと無理だったと思う。
 
それから、特許を取りたいとも言ってた
歩行困難な方が座った位置で動けるよう
キャスターのついた椅子を作ったらいいかも知れない!とか。
大抵、類似品はあるので私がネットから検索し
「こんなものならあったよ」と教えたりしていた。
狭い病室にいながら思いをめぐらせて、「発明したい」という欲求があるのだ。
いくつか聞いたことがあったが、それを申請する術を知らないし
私自身がそんなに時間をとってあげられなかったし…
 
時には涙を見せることもあったが、いつも喜んでくれて、
心から会話を楽しみ、退室する私を笑顔で見送ってくれた。
  
病室で8年間は、TVや読書、友人や看護師さんがもたらす情報が
唯一の世間との接点だった。
 
そんな時、当時の主治医が日記でも書けるようにと
障がい者用のコンピュータを紹介してくれた
それは、日立の「伝の心」というノートパソコン。
 
眞弓さんはその頃インターネットに興味を持っていて
PCを使うならインターネットが出来るものを!と要望するのだが
病院側の回答は
「電子機器は医療機器に影響があるので許可できません」というものだった。
 
2001年が明けた頃のこと。

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